3人の叔母たちが母のお参りに来てくれたので、
実家に行ってきました。
トルコ桔梗とリンドウに百合などの大きな花束、
切るというより解体するという感じの大きさで、
切り身(?)が大皿4枚に乗り切れなかったほどの立派なスイカ、
ゆでてラップにくるんだトウモロコシ、お菓子、蜜柑、等々、
お供えが山のようになりました。
叔母のうち2人は、足を病んでいて、畳の上に座れません。
椅子に腰かけ、畳に座っているあともうひとりの叔母に向かって、
「あんただけなんで足痛くないの」
「ほら、あの枯れ木のそばから拾ってきた子だからさ・・・!」
漫才のようにやりとりしている70代80代の叔母たちを見て、
姉妹って、うーーーーんと大人になっても、
子供の時と同じ冗談を言うものなんだと、おかしくなり、
それにしても、みんなおばあちゃんにそっくりになってきたよと
元気にしゃべる顔を見比べてしまいました。
お盆や、原爆の日、終戦記念日が続くいまの時期はよけいにですが、
ときどき、現在に続く前の時代の人たちのことを想うことがあります。
先祖のことだけでなく、血の繋がっていない人たちのことも。
いまの自分の人生を振り返ると、肉親はもちろんですが、
一期一会の人たちも含め、なんと多くの他人に助けられてきたことでしょう。
だから、先祖のおかげで自分がいるのはもちろんのこと、
先祖を助けてくれたり、励ましてくれたり、支えてくれたり、
愛してくれたり、叱ってくれたりした、名前も顔も知らない無数の人たちが
生きてくれたからこそ、いまの自分がいるんだという気持ちになります。
前の時代のすべての人が、その時代に生まれたことを
引き受けて、それぞれ精一杯自分の人生を全うしてくれたからこそ、
現代にまで命が続いてきてくれたのだと思います。
そして、現代のわたしたちも、この時代を引き受けて、
自分の人生を全うすることで、次に命をつないでいくのでしょう。
ひとりでいると、まったくひとりのような気になるときがありますが、
ひとりどころか、言い表せないくらいの時の流れと空間のなか、
言い表せないくらいの数の人たちと結びつきかかわりあって、
はじめて生きているのですね。
いちばん年長の叔母は80代で、階段は手すりにつかまらないと
上り下りできませんが、「漬物石なら15㎏持てる」と言ったので驚きました。
お手製の茄子の漬物、ありがたくいただきます。
ご先祖様にも、見知らぬ前の世代の人たちにも、母にも、
そして、いま、同時代に生きてくれている叔母や家族や友人たち、
お客様、いままで出会った人たち、これから出会う人たちに、
生きてくれてありがとうと、あらためて思う一日でした。