日本人に破滅願望は蔓延(まんえん)しているか? | ソウルメイトの思想

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唯物論に対する懐疑と唯物論がもたらす虚無的な人間観、生命観を批判します。また、唯物論に根ざした物質主義的思想である新自由主義やグローバリズムに批判を加えます。人間として生を享桁異の意味、生きることの意味を歴史や政治・経済、思想・哲学、など広範二論じます。

今もまたベンチャー事業投資家の原丈人さんがお書きになられた「『公益』資本主義」という著作の中に記述された原さんの提言をご紹介したいと思います。

原さんは同書の第5章 公益資本主義の12のポイントで以下のように書いておられます。

━━━━もはや「アメリカ形の資本主義がおかしい」と指摘するだけでは十分ではありません。単なる批判にとどまらず、次の段階として、これに代わる新しい資本主義のあり方、とりわけ公益資本主義を実践するためのルールを具体的に提示すべき段階に来ています。

金融危機で痛手を蒙った金融機関に公的資金を注入したり、銀行業務に制限を加えたり、ファンドの取引の透明性を高めたり、といった対症療法では、世界経済の方向性は変えられません。新しい資本主義が株主資本主義に取って代わるべき時代が来たのです。

「公益資本主義」は単なる「理想」ではありません。十分に実現可能な「具体的なプラン」なのです。2009年に日本能率協会グループが行った調査では、新任取締役・執行役員の8割が公益資本主義の考え方に賛同しています。財界や企業の経営陣にも潜在的な支持基盤があるのです。

この章では、公益資本主義を実現するための具体的なルールを提示します。短期的な株主利益を優先する税制、金融証券制度、国際会計基準、会社法、銀行法、商法といった現行の法律や商慣行を、中長期的利益の追求と新しい産業の育成に役立つ形に変えるのです。━━━

このように述べた後、原さんは公益資本についての12のポイントを提示しておられます。その12のポイントとは以下の通りです。


ルール①「会社の公器性」と「経営者の責任」の明確化

ルール②中長期株主の優遇

ルール③「にわか株主」の排除

ルーム④保有期間で税率を変える

ルール⑤ ストックオプションの廃止

ルール⑥新技術・新産業への投資の税金控除

ルール⑦株主優遇と同程度の従業員へのボーナス支給

ルール⑧ROE(自己資本利益率)に代わる新たな企業価値基準ROC

ルール⑨四半期決算の廃止

ルール⑩社外取締役制度の改善

ルール⑪時価会計原則と減損会計の見直し

ルール⑫日本発の新しい経済指標

以上の各ポイントについて原さんは同書の中でわかりやすく簡潔に説明しておられますが、そのすべてを転記する労はご容赦いただきたいと思います。大変有益な、提言だと思いますので、どうぞ本書をお読みになっていただきたいと思います。


さて、原さんの数々の提言はまことに理にかなっているし、企業の成長と繁栄や経済的繁栄を社会や共同体の繁栄に結びつける上できわめて有益なものだと思いますが、現在の日本における政治家や官僚、企業経営者やエコノミストや経済学者や経営学者が原さんの提言を喜んで受け入れて、実行するかというと残念ながらそうではないと言わざるを得ないと思います。

そして、それは、原さんだけでなく、インフラへの投資によって国土強靭化を唱導する藤井聡京都大学教授の主張についても、反対はしないけれども積極的に取り上げようとしないし、まして実現化しようとすることはさらにない、という冷ややかな態度と通底するものだろうと思います。

社会の至る所に不備や欠陥、さまざまな問題があっても、それを解決して、より良いものとしようとする意欲や情熱が社会の各層に属する人々から失われてしまっているのではないか?といういうような疑念が浮上してきているように感じられるわけです。同じような感想をお持ちになられる方も少なくはないのではないでしょうか?

現代日本人は問題や困難を解決しようとするのではなく、それどころか、自己破壊的な衝動に突き動かされているのではないか?とさえ思いたくなるような様相を呈しているようにも感じられて、だから、原さんや藤井さんがせっかく積極的で建設的な提言をしているのに聞き入れようとしないのではないかと思うわけです。

では現代日本人の意識は、なぜ建設的なものに向かおうとせず、自己破壊的な方向に向かおうとしているのか?

それについてのひとつの推論が、「永続敗戦論」の著者であり、政治学者、政治思想史家である白井聡さんと「日本の覚醒のために」や「街場の天皇論」などの著者である哲学者であり思想家である内田樹(たつる)さんとの共著「属国民主主義論」 の中に提示されていたのでご紹介したいと思います。

━━━━日本社会に蔓延(まんえん)する破滅願望

白井▷以前の対談の中で、内田さんが「日本人は破滅願望を持っている」と指摘し、「日本はむしろ主体的に破滅へ向かっているのではないか」という仮説を述べておられました。確かにそうした仮説を置いてみると、辻褄(つじつま)が合ってくる。今や社会のいろいろな局面で、ある種のニヒリズムというか、「もうどうでもいい」というあきらめの感情が広がっていて、確かに破滅したがっているとしか思えないと感じることが増えてきました。日本人の心には非常に深い部分に、無意識化されている自己嫌悪がしみついているのかもしれないという気がしています。ニヒリズムですね。

破滅へ向かっているという事実がはっきり数字として見えているのが、たとえば少子化の進行です。今のまま出生率が下げ止まらなくて、人口構成の急激な変動が起きたら大変なことになると、みなが口を揃えて言っている。しかし、誰もまともな対策をとろうとしない。

かつそれは、新自由主義と結びついている。東京へのさらなる一極集中は、新自由主義のなかで進行してきましたが、人口あたりの出生率の数値を見てみると、もう東京はダントツの最下位です。一方で東京に人口が集中する傾向は相変わらず止まらない。つまり東京は、日本におけるブラックホールのような街になっているわけですね。

内田▷若い人を吸い込むだけ吸い込んで、再生産しない。

白井▷そうなんです。カネ・モノ・人をを全部吸い込んでいく。この状況がまずいということはみんなわかっているけれども、それもやめられない。

なぜここまで少子化がひどくなるのか。成熟した資本主義国ではこういう出生率のカーブになるという傾向が世界的にあることはわかります。しかし、それにしてもあまりに極端ではないか。その原因を考えたときに、僕はこれは女性たちの無意識的な、ある種のストライキではないかという気がするんですよ。

男の子が生まれたら、それは子どものときはかわいいかもしれないけど、どうせくだらない日本のおじさんになるんでしょう。と(笑)。女の子が生まれたら、そのくだらない日本のおじさんに苦しめられる不幸な女になる。「どっちにしてもいやだよね。もうこんな国で子どもなんか産みたくない」と、心の奥底で感じているのではないか。

内田▷赤ちゃんにミルクをあげながらそう思うのか(笑)。切ないですね。

白井▷昨年、西部 邁(にしべ すすむ)さんに会う機会があって、そのときに聞いた話なんですが、戦争が終わって少し経ったときに、西部さんのお母さんが、「日本の男はだらしがない」と愚痴をこぼしていたというんです。「一度アメリカにコテンパンにやられたからって、もうしょげかえっちゃって。一度負けたぐらいでなによ。なんて情けない奴らなの」と、ボソッとつぶやいていたそうです。西部さんが、その話をもう亡くなった奥さんにしたら、西部さんの奥さんのお母さんも、まったく同じことを娘に向かって言っていたそうです。

日本女性というのは、実は日本男性に対して、深い絶望を持っているんじゃないか。一度負けて、生み育てた若者たちが大勢死んでしまった。それでも「また戦うんだ」というのであれば、「いいよ、かまわない。またお腹を痛めて、いくらでも産んであげる」という話になるんでしょう。ところが負けて凹んでしまって、こんな情けない有様とは、何事かと。「もうこんな奴らの子は産んでやらない」という気持ちがあるんじゃないか。

対米従属際限なしの、いわば情けない日本男児の代表のような安倍首相が総理大臣をやり続けて、少子化が止まらないというのは、これは見事に辻褄の合う話ではないか。

内田▷いやあ、暴論だな。でも、説得力がある(笑)。僕は「日本人の破滅願望」とは言ったけれども、それは単純な破滅願望とは少し違うと思っているんです。日本人の場合、「これ以上この方向に行くと大変なことになるから、ここでちょっと方向修正しませんか」ということが苦手なんですよ。途中での路線変更ということができないんですよ。「大変なこと」がおきるまでは路線の修正ができない。でも、それが起きると多少は路線修正する。だから、早く「大変なこと」が起きるように、システムをますます劣化させてゆく。

武術家の光岡英稔(ひでとし)さんとの対談『生存教室』でもその話をしてますけれど、幕末の江戸人たち、江戸時代最後期の日本人たちは、「江戸スキーム」を非常に強く憎んでいたんじゃないかと思うんです。

武道のことで言うと、明治維新の後に、それまで続いた古流の武道流派のほとんどが消滅するんですよ。古いものは鎌倉時代から途切れることなく続いていた武道の古流派が、わずか数年間で日本から消えてしまう。山田次朗吉の『日本剣道史』(再建社)などの武道史の公式な解釈によれば、「兵装が近代化して、もう刀だの槍だのを操る時代は終わってしまった。時代の要請がなくなったことによって、日本の武道は廃れた」ということになっている。でも、それは説得力かない思うんです。実際には、戦国末期にはもう戦争では火器が主力になっていたし、江戸時代は戦争がなかった時代ですから、刀や槍による殺傷技術の習得に対する「時代のニーズ」なんかもともとなかった。

白井▷確かにそうですね。

内田▷それは、、現代も同じことです。僕は合気道を修行してますけれど、それは別に人を投げたり、腕を極めたりする技術を身に付けるためにやっているわけじゃない。そんな実用性を発揮する機会なんかほとんどないですし、一生に一度でもない方がいいに決まってる。居合や杖術も稽古してますけれど、まさか街を歩いているときに暴漢に襲われ、少しも慌てず腰間から研ぎ澄ました三尺の愛刀をすらりと抜き出して、相手を斬り倒す…………なんて状況に遭遇するはずはないんです。遭遇したくもないし。

だから、江戸から明治になろうと、昭和から平成になろうと、武道の実用性をめぐる状況はたいして変わっていなかった。でも、明治維新の時には、六○○もの流派が短期間に消えてしまった。そこには「もう必要がなくなったから」ということとは別な理由があったのではないかと思うんです。そこで、僕は古流武道の継承者たちが「伝統を受け継ぐことにうんざりしていた」んじゃないかという仮説を吟味しているんです。

「父祖伝来の家伝である。だから、どんなことがあってもたやしてはならない」と親たちからがみがみ言われ続けてきた武術家たちが、明治になって、「もうそういうものは止めてよろしい。止めたほうがよろしい」と政府からアナウンスされた。それで「やれやれ」と肩の重荷を投げ出したという側面があるんじゃないですか。だって、家伝の武道をほんとうにたいせつに思っていたら、誰が何と言おうと継承したでしょう。別に政府の公認がなければ修行できない、教授できないというものじゃないんですから。プライベートにやる気ならいくらでもできた。嘉納治五郎(かのう じごろう=柔道の創始者)先生が柔術を学びたいと思ったのは、一八歳のとき、明治一○年です。まだ維新後わずか一○年しか経っていない。けれども、嘉納少年が東京中を探して歩いたときに、すでに柔術の道場がほとんどなくなっていた。ようやく骨接ぎをしていた八木貞之助という人を探して当てたけれど、この人はもう教えていないと言う。天神真揚流(てんじんしんようりゅう)同門の福田八之助という人を紹介してもらってそこに入門する。そこもお弟子さんが二人しかいなくて、自宅の八畳一間で稽古していた。

数百年続いた伝統が一夜にして消えるという日本社会の急転換というのは、これはかなり日本的なんじゃないかという気がするんです。もうこのシステムじゃ保たないよなと思いながら、ずるずると江戸時代の後の方の一○○年くらいやってきて、上から下まで、幕臣から武術家まで、みんな「江戸スキーム」うんざりして、「早く潰れて、違う仕組みに変わればいいのに」とひそかに思っていて、早く潰すために、無意識的にシステムの劣化に加担した………。そういうことがあったんじゃないか、と。だって、幕末の幕臣たちの幕府批判て、すごいですから。かつそれは、勝海舟も福沢諭吉も幕臣で、末期には幕政の中心にいたわけですけれど、「幕府は腐っている」って吐き捨てるように書いています。よほどひどいことになっていたんじゃないですか。

白井▷本当はみんなやめたくてしょうがなかった。しかしそれを誰も言い出せない。お上から「もう要らない」と言われて、ホッとしたというわけなんですね。

内田▷似たような話は他にもあります。岡山県の津山に行ったとき、そこに津山城の城址があって、立派な石垣が残っていたんです。地元の人に、「立派なもんですねえ。これ、お城はどうなったんですか?やっぱり空襲で焼けたんですか」と聞いたら、「これは空襲じゃなくて、明治維新のあとに壊してしまったんです」と言うんです。「それはもったいないことをしましたね。戊辰(ぼしん)戦争のときですか」と聞いたら、「そうじゃなくて、明治政府に対する恭順の意を示すために、自分たちでお城を壊したんです」という話でした。

これにはちょっと驚きました。調べてみたら、たしかに明治初年に廃城令という指令が出て、陸軍の軍事施設として使われることになった城の他は、国有資産として大蔵省が接収して、全部壊すといったことに決まったんです。ただ姫路城のように、地元で反対運動があったところはこわしてないんですよ。「こんなきれいなものを壊さないでくれ」と頼んだところは「じゃあ、残しましょうか」ということになっていた。でも、津山藩の人たちは、「廃城令で大蔵省の管轄になりました。城は壊します」と言われたときにとくに反対運動もせずに、城を全部壊してしまった。姫路城と同じくらい立派な城だったそうです。

でも僕はこの話に納得できないんです。何百年も建っていた、「お国」のランドマークじゃないですか。城下の人たちが朝な夕なに見上げていたはずのお城でしょう。それを政令一つで「壊せ」と言われたら、ふつう「ふざけたことを言うな」ってなると思う。でも、住民が烈しい反対運動を展開したが、明治政府の恫喝(どうかつ)に屈したというような話じゃなかった。人々はたいして惜しがらずに、廃城に同意した。そういう話が地元では言い伝えられている。それを聴くと、幕藩体制末期には、もう「江戸スキーム」の隅から隅まで、上から下まで、武術からお城まで、「もう見るのもうんざり」という気分が横溢(おういつ)していたんじゃないですかね。

これは興福寺の多川俊映(しゅんえい)貫首からうかがったんですけれど、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)のときに、興福寺の仏像も仏具も経典もぜんぶ焼かれるというときに、五重塔を買った人がいた。五重塔を燃やして、焼け残った金属だけ回収して金にしようとしたんだそうです。すると、地元の人が「止めてくれ」と言ってきた。その理由というのが、「私たちがたいせつにしている五重塔を焼くなんて、仏罰が当たります」とかそういうことではなくて、「塔を焼くのはぜんぜん構わないけれど、まわりに延焼したら危ないから止めてくれ」ということだった。

興福寺は久しく信仰の対象だったはずなのに、それが明治政府の発令した思いつき的な廃仏毀釈令で一夜にして崇敬の対象でなくなった。僕はこの廃仏毀釈という政治的事件そのものもすごく不気味なんです。だって、神仏習合って、一三○○年も続いてきたわけじゃないですか。それを政策的な理由で「分離する」って言われて、当時の日本人たちは多くの土地で「はいどうぞ、ご勝手に」というなげやりな対応をしたわけですよね。おかしいと思うんです。武術もお城も五重塔も廃仏毀釈も、江戸の人たちにとって血肉と化していたはずの「たいせつなもの」でしょう。それが瓦解(がかい)するのをぼんやり見ていた。

僕はこれを「江戸スキームからの脱却」というふうに見立てることが出来るんじゃないかと思っています。同じように「明治スキームからの脱却」として先の戦争があり、そして今「戦後レジームからの脱却」としての安倍政治がある。構造的には同型のものが反復しているような気がしてならないのです。

白井▷なるほど。先の大戦の終わり方も同型ですよね。「聖戦完遂」とか「一億火の玉」とか勇ましいことを口先では言っていたけれど、本当はみんなウンザリしていた。八月一五日の後にも独自に戦争を続けようという人はまったく現れないのがその証拠ですね。だから、坂口安吾が『続堕落論』のなかで、「嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!」とその自己欺瞞(ぎまん)の深さを糾弾(きゅうだん)するわけです。玉音放送の「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び」とは、文面では「いま戦闘を止めて矛(ほこ)を収めるなどということは、勇猛で献身的な汝ら臣民にとって耐え難いことであろうが、どうにか我慢してくれ」という意味ですね。安吾は、「これを聞いて皆ホッとした、つまりもう戦争継続なんてウンザリだと思っていたくせに」という意味のことを書いています。

内田▷前に藻谷浩介さんと話したときにも、不思議な話を聞きました。藻谷さんは日本のあちこちに招かれて、地域の振興策について助言をしているんですが、そのときに新しいアイデアを出すと、何かと横やりを入れて、妨害してくる人がいる。若い人たちが「こういうことをしたらどうか」と提案すると、そのたびに「そんなことできるはずがない」と言って冷水を浴びせかける。そのいちゃもんをつけてくる人というのがなぜか大抵が老舗(しにせ)旅館とか料亭とかの何代目かなんだそうです。

ある街で、そうやって新しい地域振興策をことごとく蹴って何もしなかったせいで、地元がさびれきって、結局はその人の老舗の旅館も潰れてしまった。そして、その人は別の旅館の従業員になったんだそうです。ところが、その後藻谷さんが会ったら、その人の顔が明るいんだそうです。肩の荷が下りたからなんだろうと言っていました。彼は本当は老舗の旅館なんか継ぎたくなかったんですよ。でも、立場上「いやだ」とは言えない。ところが、継いだ旅館は歴史的な環境の変化という不可抗力によって潰れてしまった。自分には責任がない。彼自身がそういう解決策を無意識のうちに望んでいた。でも、誰かの思いついた地域振興策がうっかりうまくいってしまうと、まだ老舗を続けなければいけない。だから、それを妨害する。早く潰したい、でも、自分の手では潰せない。だから、「時代のせい」にする。

無意識な生業の破壊願望というのはたしかに存在すると思います。自らの父祖伝来の生業や、自分が継承しなければいけない技芸や伝統については、表面的には「何があっても守らなければいけない」と言い張っているけれど、義務感が強ければ強いほど裏面には「こんなものなくなってしまえばいい」と毒のある欲望がわだかまっている。だから、何かよそから大義名分を与えられると、ほとんど喜々として捨ててしまう。でも、自分自身にはそれを喜んでいるという自覚はない。

幕末のときに、日本には三百諸侯がいたわけですけれど、版籍奉還(はんせきほうかん)のあと、「私はこのまま先祖伝来の領地にとどまり、草の根をかじってでも、領民と苦楽を共にします」なんて殊勝(しゅしょう)なことを言った領主はたぶん一人もいません。領主たちはぞろぞろと「お国」を捨てて、東京に出ていった。そして、華族に列されて、純粋な消費生活を享楽した。戦国時代から、先祖が命がけで守ってきた伝来の領地を捨て、城を捨て、領民を捨て、都会での消費生活に流れ込んでいった。この抵抗のなさにはもう少し驚いていいと思うんです。

白井▷それまでの自分たちの生活というものを、実は全然愛していなかったということですね。

内田▷そうなんですよ。どんなものでも、安定したレジームが長く続くと、どこかで「もう、いいよ」という膨満感が蔓延(まんえん)してきて、破壊願望が国民的規模で亢進(こうしん)する。日本社会における一番ニヒリスティックな要素ってそこじゃないですか。世界の他の国でどうなのかはわかりませんが、これはどうも日本人固有の性格のような気がする。地震があり、台風が来て、津波が来て、火山が噴火する………この苛烈で不安定な自然環境に適応しているうちに、一定期間システムが安定していると、「うんざりしてくる」という心性が兆(きざ)してくるということはないんでしょうかね。全部捨てて、全部壊したくなる。そういう破滅願望があれば、たとえ破局的な事態に遭遇しても、茫然自失(ぼうぜんじしつ)というようなことにはならない。「いっそ、さばさばした」というような前向きの気分に切り替えられるのかも知れない。

明治維新だけではなく、先の敗戦にも、僕はそれを感じるんです。敗戦直後の日本の、特に東京の雰囲気って、どんなニュース映像見ても、奇妙に明るいじゃないですか。「リンゴの唄」がかかっていて、闇市に集まった人たちはぎらぎらと異常に活気づいている。

坂口安吾は空襲のさなかも東京に踏みとどまるんですけれど、そのときの気持ちについて、のちに『堕落論』でこう書いている。「予想し得ぬ新世界への不思議な再生。その好奇心は私の一生の最も新鮮なものであり、その奇怪な鮮度に対する代償としても東京にとどまることを賭ける必要があるという奇妙な呪文に憑(つ)かれていた」

この「奇怪な鮮度」という言葉、変でしょう。それどころか、敗戦後の東京の人々を叙(じょ)してこう書いている。「爆撃直後の罹災(りさい)者達の行進は虚脱や放心と種類の違った驚くべき充満と重力をもつ無心であり、素直な運命の子供であった。笑っているのは常に十五六、十六七の娘たちであった。彼女たちたたの笑顔は爽(さわ)やかだった。焼跡をほじくりかえして焼けたバケツへ掘りだした瀬戸物をいれていたり、わずかばかりの荷物の張番をして路上に日向ぼっこをしていたり、(中略)私は焼野原に娘達の笑顔を探すのがたのしみであった。」

自分たちの生活基盤が徹底的に破壊されたときになぜか「爽やかな笑顔」をする少女たちや、「私は偉大な破壊を愛していた」と言い切る作家の「明るいニヒリズム」とでも言うべきものがどういう心理的な経路をたどって形成されるものなのか、僕はもう少し検証してみた方がいいと思うんです。━━━━


日本社会に破滅願望が蔓延しているのではないか、という白井さんと内田さんの上記の推論ですが、そういうところもなしとしないと思います。

深層心理学者のフロイトは、人間には生への欲求のみならず、死を願う気持ち、死を求める欲求があると主張して、死への欲求をギリシャ神話の死を司る神の名である《タナトス》と名付けました。フロイトだけでなく、ユングもまた人間の無意識には破壊衝動が潜んでいることを肯定したようです。

世界のさまざまな神話に繰り返し登場してくるのが死と再生、もしくは、破壊と再創造というもので、日本の商業の神様として信仰される大黒天は、日本の神話の大国主命(おおくにぬしのみこと)とインドの古代神話の破壊神シヴァが融合したものとされています。憤怒の形相で知られる不動明王もシヴァ神を模したものとされているようです。

インドの古代神話によればあらゆるものは、生成と消滅を繰り返しており、創造神ブラフマンが創造したものをヴィシュヌが維持し、破壊神シヴァが破壊するとされていますが、シヴァは破壊神であるとともに再生をも司る神であるところが興味深いですね。

自然界の生きとし生けるものは、滅すると同時に再生するものである、という観念は地域や人種、社会の営み方の違いを乗り越えて広く共有されているようです。

人間の心の中には、安定と平穏を望ましいと思うと同時に、停滞と硬直を嫌い、ダイナミックな変化をこい願うという性質も併せもつのなのだろうと思います。だからこそ人間というものは一筋縄では理解も予測も許さないんでしょうね。まことに人間というものはけったいな生き物でありますな。


また、フロイトの考察に従えば、父と息子の間には、ある種の反目が形成されやすく、父の生き方、価値観とは正反対の生き方、価値観に息子は傾きがちである、というようなことは現実にありうることだろうと思います。

父の世代において成功したやり方、システムを息子の世代が無意識に嫌い破壊したいというような衝動が形成されることもなしとしないでしょう。


人間は、口で言っていることと、本音が食い違うことが珍しくありません。それどころか、意識が考えていること、望んでいることと、無意識に考えていること、願っていることが食い違うこともしばしば起こり得ます。人間が、明晰な意識の選択や思考のみに基づいて行動するわけではなく、理屈を超えた不可解な力によって動かされたり、考えさせられたりしている、こともひんぱんに起きている、というのがフロイトやユングなどの深層心理学諸家の主張で、大いにありうることだろうと思います。人間は、理屈の上での正しさ、つまり意識による合理的正当性だけで動かされるものではないということなんですね。

一度は成功し、繁栄した者の後継者がなぜか、失敗と衰退の道をたどる理由の一つがそこにあるとも言えるでしょう。

現在、日本人が経験しつつある、経済運営の失敗やそれに起因する経済と産業および日本人の生活水準や生存条件の悪化は、避けようと思えば避けられた性質のものであるのにもかかわらず、なぜか好んで失敗と衰退に向かう方ばかりを選んでいる、ように見えてならないわけですが、これは、合理的に説明がつくものではなく、不可解な無意識の影響を考慮に入れないかぎり説明のつくものではないと思います。

また、それゆえに、日本の経済や産業の衰退や日本人の生活条件のこれ以上の悪化を食い止めたいと思うなら、論理的な 解決策を提示するだけでは駄目で、意識だけでなく、無意識をも納得させるようなものでなければならないのだろうと思います。ここに、あらゆる有益で効果的ではあるものの、無意識の存在と影響を考慮に入れない理屈の上ではこの上もなく正しい提言が退けられ続ける理由があるのではないか?などと思うわけであります。