恵方巻きと豆を食べました。
私は大豆が大好きなので、この豆をつい食べすぎてしまいます。
タンパク質(大豆)は畑の肉とも言われるように、体に必要な
エネルギー源になります。少し元気がないな~という時や
過食をしてしまう時、タンパク質が足りていないことがあるようです。
大豆>魚>肉などの順に良いそうです。
タンパク質をきちんと取ると栄養が満たされて、余計なものを食べ
なくなります。体が反応をするのでわかりやすいですよね!
年明け~節分辺りまでは、何となく気の流れが不安定
のような気がしていたので、そろそろ流れが変わるかな~
と思います。私自身も1月半ば~急にシャットダウンした状態が
続いておりました。なので今、やる気モードがオフの方
もう少しで動けるようになると思います!!
今回は私自身が体験した「体と心の痛み」を綴ります。
この時の経験で、体と心は繋がっているのだなということ
そして、それが治ったことで自分の事を信じることができたこと
何かのヒントになればと思います。
私は20歳の頃務めていた会社がありました。
アパレルのリフォーム会社で、面接で社長に
「洋裁できなさそうなのにね~。ギャップあって面白い!!」
とその場で即採用され?!※ご想像におまかせします(笑)
研修を受けて3~4か月後には社員になったのでした。
そして、そこから過酷な日々が待っていました。
その頃事業拡大を始めていた会社は次々と新しい店舗を増やして
いきました。そしてそれに伴って私は出張やヘルプへ行くことが
ありました。神奈川県内、山梨、静岡、群馬、広島・・・と泊まりで、
1回行くとだいたい1週間~2週間。一度戻って自店で働き、
また出張へ行くという生活でした。
出張は慣れてくると一人で行くこともありました。
当時、携帯の電波が限られていて(ちなみにツーカーでした)
ある地域から全く繋がらなかったり、知らない土地で
駅員さんに、家出少女だと思われたり(笑)
一人でホテルに泊まり(心細くて眠れなかったり)、
出張費を盗まれ、自腹で補填しなければいけなかったり、
新規オープンの店の人を面接したり、仕事を教えたり
朝から晩まで休みなく働いていました。
それも教える人はかなり人生経験豊かな人ばかりで、
若い私から仕事を教わることに明らかに嫌悪感を示す方も
いました。
でもいろいろな地方の方との交流やその土地の料理、お祭り
知らないことばかりの世界は刺激的でした。
そして、どこの店舗でも掲げていたとても大きな看板が
ありました。
「私語厳禁」
当たり前かもしれませんがそれは皆が守っていました。
そして、その中でも年の近い仲の良い先輩が2人いました。
いろいろな相談に乗ってくれたり、
ご飯に連れて行ってくれたりと、
すごく頼りがいのある二人でした。
でもそれぞれの事情で次々に辞めてしまったのです。
そして、私に任命されたのが、「副責任者」という役割。
責任者の方は50代の方で副が20歳そこそこの自分。
本当にできるのか?疑問でしたがNoと言えない状況で
引き受けることに・・・。
幸い、そこのベテラン先輩方が可愛がって下さったので
「何とかやっていけるかな?」
と流れに身を任せたのでした。
しかし、そこの責任者になった方がお仕事を適当~にこなす方で
やり直しや修正が多くなっていきました。
私のやる仕事は自動的に増えて行きました。
責任者の人は選んだ仕事しかしなかったのです。
その当時は若かったので、残業合わせて12時間勤務をしたり、
休憩が取れないまま、10時間以上働いたり、
休みは週1たまに2日取れるか。
出張が入ると休みが消えて行くので、全社員の月の労働時間の
上位に入った月もありました。
売上の高い店にいたこともあって、発注がなくなることが
なかったのです。
5分刻みで発注が来る仕事をひたすらこなしていくという作業
とにかく集中力とスピード、適格な指示と作業が必要でした。
その間に来る電話、各テナントスタッフから、お客様から、本社から
テナントスタッフの対応、とにかく時間に追われる毎日。
秒単位で時間を気にするような切迫感と緊張感を持って
仕事をしていました。
そしていつからか、頭の違和感に悩まされるようになったのです。
頭の違和感を表現すると
まるできついヘルメットを頭にかぶっているような圧迫感。
それは一日中、毎日続きました。
初めての感覚と違和感、でも誰にも言えずに過ごして
いました。何かに支配されているように思うように動けない。
見えない恐怖との戦いでした。
そして、それから次々と体の異変が起こり始めたのでした。
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