前世療法のセラピーを受けることで、いろいろな気づきがありました。
それは、先生に言われることだけではなく自分自身ではっとする・・・腑に落ちると
いうことが大事でした。
肩の痛みは、少し弱くなったもののでもそれがいったい何なのか?
よくわかりませんでした。
そして自分自身でもいろいろな変化がありました。
人と話したり、(特に目をみていると)人に触れたりすると、何か瞬間的に映像
として見えるようになっていったのです。
でもそれがなんなのかよくわからないことも多く、悩まされました。
例えば、ある時英会話学校のマネージャーさんと話しこんでしまい、
立ち話で2時間ほど話しをしたときがありました。
そして、その日の夜・・・今日はつい長話しだったな~と思い出しつつつ、
さあ寝ようとベットに入っって目をつぶった瞬間でした。
誰かに背後から剣で刺されて倒れる感覚(映像?)とともに、地面に倒れる
自分がいました。痛みは感じませんでしたが・・・。
私は男性で、中世の鎧のようなものを身に着けていて、そして自分の身に着けて
いた甲冑を取られるのです。
それは敵陣が顔を確認するためでした。
その時私が死ぬ間際に見た顔(目)が、英会話学校のマネージャーだったのです。
私の顔を見て「にやっ」と笑っていたのが印象的でした。
「だからか!」
正直、彼の第一印象は・・・何か目の奥が冷たい・恐いな~だったのでした。
でも話してみると意外とフレンドリーな人だったのです。
私は亡くなる間際に見た相手。
相手は剣で刺した(倒した)私の顔を一応見ておいた。
その時に目と目が合ったのでした。
ただそれだけの関係であったのでした。
不思議なことにその彼はその後会うことはなかったのでしたが・・・。
そのようなことはふと日常生活の中で起こるようになりました。
特に多いのがお風呂に入っている時です。
シャワーを浴びる瞬間に何かの映像が見えたり、人との関係性が
ぱっと一瞬でわかる(感じる)ことがあります。
それはほんの一瞬であったりするのですが、なぜか情報も一緒に
やってきたりもします。
それはその人のことを考えていたり、元気かしら?何やっているのかしら?
何て思ったりすると見えるのです。
でもそれが何を意味するのか?わからないこともとっても多いので
悩んだりします。
ある時は数か月、一年以上をかけて途切れ途切れに見えることもあります。
それも順番違いで見えたりするので、時間をかけてそのページをつなぎ合わせて
物語になるのです。
魂の記憶は図書館のようなところに預けていて、そこに意識を向ける
(アクセス)することで、その記憶(本とします)を読むことができるのだと
思います。
ただその図書館への行き方がわからなかったり、行く必要がなかったり、
利用の仕方がわからなかったりするだけなのであろうと思います。
この世に生まれてきた人たちは、その「記憶の図書館」を利用する権利を
持っているのだと思います。
自分の住む街の図書館が無料で利用できるように・・・。
もちろん行く・行かないは自由です。
人それぞれ理由があってこの世に生まれてきたのですから・・・ね!
ところで・・・「記憶の図書館」って??
次回に続きます。