ブレイクダンス ~フレイバー~ | 精神世界の中心でブレイクダンスを踊る

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ここ数日は精神世界の話題が多かったので、そろそろブレイクダンスの記事も書いてみたくなってきました。





先日の記事 で書いたように、大学2年生の時に初めて大きな大会でピックアップされました。


それをきっかけに、大学3年生になると、学生レベルの大会であれば大体予選は通過できるようになっていました。


しかし、予選は通過できるものの、いつも一回戦で負けてしまっていたのです。





ブレイクダンスの大会は、例外もありますが、予選はオーディション形式で行うことが多いです。


オーディション形式とは、一人ひとり順番に審査員の前で踊り、全員が踊り終わった後、審査員が出場者の中から本戦に進出する16人(8人や4人の場合もあります。)を選ぶという方式です。


そのため、予選は審査員に見せるための踊りをする必要があります。


一方、本戦は審査員ではなく対戦相手に向かって、その相手に勝つための踊りをしなければならないのです。


本戦でも審査員が勝敗を決定することには変わりないのですが、踊り手のスタンスが全く異なるのです。


武道に例えるとわかりやすいかもしれません。


武道での「型」がブレイクダンスの大会では予選にあたり、武道での「試合」がブレイクダンスの大会では本戦にあたります。


「型」がいくら上手でも、実際の試合で強いとは言い切れないと思います。


ブレイクダンスもそれと同じなのです。


いくら予選で審査員を納得させるようないい踊りが踊れたとしても、本戦で相手に勝つことができるとは限らないのです。





ブレイクダンスと武道では共通点もありますが、異なっている点もあります。


ブレイクダンスでは決して「試合」や「ゲーム」とは言いません。


「バトル」と言うのです。


これは、昔、アメリカのギャング達が、ギャング同士の抗争で死傷者が多く出ることに心を痛め、平和的な解決法は無いものかと考えたことに由来します。


つまり、ブレイクダンスで競い合って決着を付けることにしたのです。


ダンスバトルに負けても殺されることはありませんでしたが、その代わり、恋人を奪われたり、貧しい暮らしの中で苦労して手に入れたお気に入りのスニーカーやラジカセを取られてしまったそうです。


ダンスバトルに負けたにも関わらず、取り決めを守ろうとしない者は、周りのギャングから袋叩きにされたそうです。


そのため、ブレイクダンサーがダンスバトルにかける想いは、並々ならぬものがあったのです。


「たかがダンス」では決してなく、文字通り戦いだったのです。


だから、ブレイクダンスゲーム(ブレイクダンスの試合)とは呼ばず、ブレイクダンスバトルと呼ぶのです。


このような歴史的背景があるため、ブレイクダンスのバトルは他のジャンルのダンスよりもかなり攻撃的です。


殴ったり、蹴ったり、相手に触れることはありませんが、ジェスチャーで挑発したり、相手を威圧するような動きをしたりして、踊りながら戦うのです。


ブレイククダンスの大会においては、予選と本戦では全くスタンスが異なってくるというのはこのためなのです。


私は、審査員に見せる踊りは得意になっていましたが、相手と戦うという意味においては、弱い踊りしかできていなかったのです。


そのため、予選を通過しても一回戦で負けることが多かったのです。


このことに気が付いたのは、大学三年生の秋になってからでした。





以前に紹介しましたが、私が所属していたNAOKANというダンスサークルは年に2回、春と秋に「BEAT JUNGLE」というブレイクダンスの大会を主催していました。


その大会で、チームメイトのボイジャーがいきなりベスト4になったのです。


それまでは私と同じように一回戦負けばかりだったため、非常に驚きました。


勿論チームメイトが好成績を残したことは非常に嬉しかったのですが、何故自分は一回戦負けなのかという悔しさがありました。


そこで、冷静になって考えてみた結果、ボイジャーは相手に勝つための踊りをしていたのです。


それは大技をバンバン出すということではありません。


実際ボイジャーは、大技を出してくる相手に対し、技ではなく踊りで攻め、見事勝利していました。


これは意識の問題だったのです。


いかに会場の空気をもっていき、相手を食うかということだったのです。


空気をもっていくためには、何も大技である必要は無かったのです。





ブレイクダンスでは、この空気を持っていくほどの存在感のことをフレイバーと言います。


スピリチュアル風に言うならオーラです。


その人の持つ雰囲気と言ってもいいかもしれません。


このフレイバーを身に着けることが、バトルで勝つことに繋がる、と確信した私は自分のシルエットや動きの角度等をもう一度研究し直しました。


本当にカッコいいダンサーというのは、踊っていなくても、立っているだけで周囲を魅了するものです。


それはフレイバーを放っているからに他なりません。


みなさんも、別段顔が物凄くカッコいいというわけではないのに、なんとなくカッコいい、素敵だなと思う人物に会ったことはありませんか?


それは、その人のフレイバーに魅了されたのです。





このように意識を変え、練習を重ねた結果、大学四年生の学生最後の大会でベスト4の結果を残すことが出来ました。


この時は完全に優勝を狙っていたのですが、準決勝で群馬からやってきたダンサーに負けてしまいました。


しかし、この時の私はそれまでとは異なり、動きだけでなく、フレイバーという空気感に意識を向けるようになっていたため、相手との駆け引きというか、空気の奪い合いという感覚が肌で感じられるようになっており、非常にワクワクしたことを覚えています。


また、フレイバーというものに意識を向けるようになって気付いたのですが、フレイバーというのは本来誰もが持っているものだったのです。


それを、ある程度距離が離れていても感じ取れるよう、周囲に放つことが出来るのが、いわゆる「空気を持っていくのが上手いダンサー」であるというだけで、全ての人が大なり小なりフレイバーを出しているということに気付いたのです。


大会では、審査員がいて、私達の踊りに優劣をつけるわけですが、それは本当はどうでもいいことなのではないかと思うようになりました。


さらに、人それぞれ持っている個性やフレイバーを、ダンスバトルという場において、思う存分に発揮することで、周囲に刺激を与え、それぞれの人が今までよりさらに自分の個性を外に表現していくためのきっかけになるならば、勝ち負けなんてどうでもいいことだし、究極的には勝ち負けは存在しないのではないだろうかと考えたのです。





フレイバーという、目には見えないものを意識するようになったことで、このように意識が変わりました。


現在では、大会に出て勝ち負けを追及するよりも、仲間同士で楽しく踊り合うのが一番好きです。


競争することで、お互いを高め合うことができるというのも真実だと思いますが、ある程度までいったら、競う必要はないと気付くのだと思います。


そもそも一人ひとり違う存在なのだから、勝ち負けを決めることは出来ないはずです。


例えば、ゴッホとピカソ、どちらが優れた画家でしょうか?


優劣を付けることはできないし、決める必要はありませんよね。


どちらも素晴らしい画家であることには違い無いのです。



そろそろこの地球も勝ち負けではなく、一人一人が自分を生きるという時代に入ってきている気がしますね。




読んでいただき、ありがとうございます。





ps 私がベスト4になった大会の動画です。


これは二回戦の動画です。


こっちが準決勝の動画です。

相手は群馬のKOBAくんというダンサーです。


素晴らしい踊りですね。


フレイバー全開です。