ブログ更新1107回目。

みなさんこんにちは。

 

1.癒したくなる原因

 

 人間は、日々の生活に疲れると、「癒しを求める」気持ちになる。

 

 もとより、「なぜ、生活に疲れるのか?」考えたことがあるだろうか。

 

 人間は、親が無智なるがゆえに、幼少期から五感の感覚で生活するように育てられてきた

 

 それゆえに、肉体は使えば疲れると、思い込まされてきた。

 

 運動選手のように身体を極限までに酷使すると、栄養豊富な食事を提供されて、翌日はまたトレーニングに励む。

 

 トレーニングの成果が出なければ、メンタルも相当プレッシャーを掛けられる。

 

 ましてやオリンピアンのような特殊な環境に置かれると、個人が受ける重圧は、はかり知れないものがある。

 

2.癒しの種類

 

 癒しの種類は2つある。

 

 肉体の癒しと、心の癒しである。

 

 肉体の癒しは、飲食で満たされる。

 

 心の癒しは、休養である。俗にいう「ぼーっとする」時間、趣味に打ち込む時間に浸ることである。

 

 しかし、これだけでは何か満足できない、「癒し残し」が感じられる。

 

 なぜか、肉体の癒しと、心の癒しは、五感の感覚の癒しだからである

 

 心理学による癒しも、五感の感覚の延長上にあるので、なかなか効果が測定できない。

 

3.本源からの癒し

 

 「人間の生命エネルギーを活発化する癒し」の方法がある。

 

 人間が、自分を生かしている本源に遡って、その本源のエネルギーに気付き、そのエネルギーを自らに充填する方法である

 

 座禅でもない、メディテーション(瞑想)でもない、マインドフルネスでもない、のである。

 

 「明想」である。「私は私である」と思い続けることである。

 

 自分に内在する生命力は、「創造主=神からの直接の賜物だ」「神のエネルギーだ」という意識に集中することである。

 

 五感の感覚を超越した、『本源からの癒し』なのである。

 

4.まとめ

 

 本源からの癒しに気付いたものは、死後は、神のお傍に使える仕事が待っている

 

 本源からの癒しに気付かないものは、再び人間世界で、やり直しの憂き目に遭う。

 

 多くの人が、本源からの癒しを求めた、と祈る!