ブログ更新245回目。

皆さんこんにちは。

 

 明想を指導するときの必要かつ十分な条件は、「指導者自身が、自分は神である」という意識に満たされていることです。

 

 なぜか?神でないものが、光を観る「明想」を指導できるはずがないからです。

 

 私の講演会でも、明想の体験を最後のほうに設定しているのは、参加されている皆様の意識が十分に上がっている(神を意識できる)ことを確かめるためです。

 

 あなたは何者ですか?という質問を、一般的な瞑想(明想)指導者にしてみてください。

  ほとんどの指導者は、「自分は人間だ」ということでしょう。

 

 口先だけで神だという人もいるでしょうが、話の内容を聞けば、すぐに人間意識であることがわかります。

 

 私の講演会では、お聞きになっている方々が、「この人(小西)の話は神そのものだ」と、気づきます。

 SNSなどでも、そういう書き込みを幾度となくいただいております。

 

 明想とは、「神の発する光を内観すること」です。

または、「神と一体であることを、実感すること」です。

 

 神意識で無い限り、内観が必要な明想の指導は出来ません。

これだけは、ハッキリ申し上げておきます。

 

 折しも、街のあちらこちらに「クリスマスツリー」が飾られ、木々にはイルミネーションが点灯しはじめました。

 

 外なる光を観て、キレイキレイと騒ぐことも否定しません。

しかし、クリスマスツリーの本当の意味は「裡なる光」を観たものが、木々にも生命の光が宿ると見抜いて、木々が光に包まれた状態をイメージして伝えられたのです。

 

 それを、木々に明かりを点灯させて、飾り付けているのは、神から見れば残念なことに映ります。

 

 神の意識に到達できないから、外なるクリスマスツリーに電球を飾らざるを得ないのです!

 

 クリスマスツリーを見たら、『自分は、十分内観をして、裡なる光を観ているか?』よくよく自問自答して欲しいと思います。

 

外なるクリスマスツリーを見るか!

裡なるクリスマスツリーを観るか!

 

「裡なるクリスマスツリーを観る」これが、神の唯一の「希望」です。

 

 多くの人々が、自分の裡なるクリスマスツリーを観るようになった、と祈る!

 

ブログ更新244回目。

皆さんこんにちは。

 

 前回の更新から5日ほど空いてしまいましたね。

 

 その間、11/10(土)には、自分自身の講演会があり、高波動のまま経過しておりました。

 

 創造主=神のお話をしたときは、翌日・翌々日まで、波動が高いままでいる場合があります。

 

 日常生活と違う波動ですが、無理に人間意識に戻そうとしないことにしております。せっかく上げた波動を引きずり下す必要は無いからです。

 

 初めてお読みになる方には、奇異に思われるかもしれませんが、私(小西)は「自分は神だ!」という意識で生活していることがあります。

 

 姿かたちは、人間の形をしております。

 

 ただ、姿かたちは人間のまま、「自分は神だ!」と思い続けている自分に気づいているだけです。

 

 皆様は、ご自分を無意識に「人間だ!」と思い込んでいるでしょう。

私は、自分を無意識に「神だ!」と思っているだけです。

 

 あとのことは、全て皆さんと同じです。

「神と思う」か「人間と思う」か、たったこれだけの違いです。

 

 まさに、「紙一重=神一重」の差です。

皆さんは、生まれてこの方「人間として育てられ」ましたね。

 

 それが、当たり前のこととして、人間集団を形成しているのです。人類全体を覆っている意識=人間意識なのです。

 

 でも、人間はいずれ「死を迎える」定めにあります。

人間に宿る生命とは、死の断絶は無く、永遠に生きている生命エネルギーです。

 

 エネルギーが失われると、肉体は崩壊過程へ向かいます。

つまり、「肉体は常には存在できない」ため、「非常在」であります。

またの名を「無常」と呼びます。

 

 肉体が自分だと思い込んでいる意識は「非常在意識」=「非常識」となります。

 

 生命エネルギーは、肉体が無くなっても「常に在ります」ので、「常在」です。

 生命は「常在意識」となります。

 

 生命は神ですから「常在意識」であり、神は「常識」となります。

 では、自分は神だ・生命だと思っている意識は「常在意識」=「常識」となりますね!

 

 皆さんが、いつもお使いになっている「常識」という言葉の意味を、よ~く考え直してみてください。

 

 私(小西)は多くの方々に神のお話を申し上げますが、「私自身は神である!」と、一度も威張ったり、自己誇張をしたりしたことはありません。

 

 創造主=神が全てを創り、全てに神が宿っていますので、全ては神です。

 

 神無くして、存在できるものは、ありません。

 

 神は全ての存在するものの裡にいて、黙々と自分の存在させているものを生かしています。

 

 その創造主=神が、全てに宿っていますので、お互いが威張るわけはありません。

 

 これがタイトルにある「もっとも偉大なるものは、全てのものの下僕である」という意味なのです。

 

 神意識に近づいている方々には、威張り散らしたり、見下したりする人はいません。

 僕であることを自覚しているからです。

 

 非常に穏やかで、常に寡黙であり、微笑みが絶えません。

そういう方々は、心が安定していて、多くの人々を引き寄せます。

 

地上の天国が、完成に近づきつつあります!

 

 多くの人々が、「すべてのものの下僕(しもべ)であるという意識」を得た、と祈る!

ブログ更新243回目。

皆さんこんにちは。

 

今回は創造主からの伝言です。

 

<以下本文>

 互いに親切に、情け深くあれ、そうして明朗な態度で慈愛を示すがよい。慈愛は偉大さの一種の報いであるからである。

<本文終>

 

 どういうことかというと、現実生活の中で、「慈しみ、かつ愛する」ということは、裡なる神(創造主)の意識を表現するということです。

 

 愛ある行い(身)、愛ある言葉(口)、愛ある思い(意思)を持って生活している人は創造主の伝言を守っている人です。

 

伝言を守っている人を、身・口・意の整った人と申します。

 

 例えば商売をするにしても、「怠り・欺き」があれば、長続きしません。

 しかし、商道徳に則り、道義心をもって奉仕するなら、相手も神我を持っていますので、創造主に奉仕することになります。

 

 自分自身が神我であり、商売の相手も神我であるという強い意識なら、お互いが仲良くなれます。

 

 対立と分断をあおるだけのムーブメントは、神我の道に外れています。創造主の道に外れています。

 

 今は時代の転換点なので、敢えて悪役を演じる人間も必要です。

 でも、そういう人を見て、真似をしてはなりません。

 

 「対立と分断」から「調和と統合」へのムーブメントを示さなければなりません。

 

 そのムーブメントに真剣に参画してくれる人材を探しています。

そのムーブメントは、「日本から起こる」と言われております。

 

 「何事をなすにも、真剣になすがよい」とね。

 

 多くの人が、調和と統合のムーブメントを真剣になすようになった、と祈る!