ブログ更新907回目。

みなさんこんにちは。

 

1.生命

 

 「生命」は、直接見ることも、触れることも出来ません。

 

 でも、生命は、実在です。

 

 実在するのに、どうして見ることも触れることも出来ないのでしょうか。

 

 生命が、「エネルギーそのもの」だからです。

 

 例えば、熱い鍋を見ても、触れなければ、熱さはわかりません。

 

 太陽の光を浴びると、暖かく感じます。太陽光線の赤外線波長が私たちの身体に振動を起こして、温感を励起させます。

 

 暑い鍋も赤外線を発しているし、太陽光線も赤外線を含んでいますが、赤外線は、見ることが出来ません

 

 生命が、人間の身体に宿る時、「36・5℃」前後の平熱を発します。

 

2.生命の宿る動植物

 

 生命が、鳩に宿ると42℃で、空を自由に飛び回ることが出来ます。

 

 変温動物の魚類は、水温の変化に応じて活動を変化させます。

 

 高速回遊魚の体温は、水温より5~15℃高いことが知られています。

 

 池の鯉は、冬、水底の凍らない水の中で、じっとして、冬眠生活を乗り切ります。その時の水温は、4℃です。

 

 一般的に、体温の高い動物は、活動が活発です。

 

 植物も、生きている樹木は、体温を維持しています

寒冷地帯の針葉樹も、真冬に青々とした葉をつけています。

 

 幹や枝を通る導管の中の水が凍らないからです。しかし、生命が抜けると、樹木は一気に破壊されます。

 

 樹木の中の水分が凍り付いて、膨張して、太い幹を割ってしまいます。

 真冬、森の中に響き渡る「バーン」という音は、針葉樹の断末魔の声なのです。

 

 生命が宿れば、必ずそこには、温度があるのです。

 

3.宇宙の温度

 

 現在、宇宙の温度は、「マイナス270℃」であることが、分かっています(3K<ケルビン>)

 

 物質を構成する、原子と電子の動きが完全に止まる、絶対零度「マイナス273℃」(0K<ケルビン>)ではないのです。

 

 簡単に言えば、真空に見える宇宙空間にも、生命が宿っていて、原子と電子は存在するのです。

 

 このことが、何を示しているのかと言えば、創造主=神は、「完全な無」というものを作らなかったのです。

 

 「色即是空・空即是色」の空には、「空無」は無いのです。

 

 「空無」とは、全く何もないという意味ですが、宇宙には、見えないものが、満ち満ちているということです。

 

 見えるもの・見えないものは、人間の感覚だけです。全ては、見えない質料とエネルギーに満ちているのです。

 

 悟りに至ることを、別名「宇宙意識に達するという意味は、ここにあるのです。

 

4.まとめ

 

 人間は、五感の世界にドブ付けされています。

 

 五感の感覚の世界から抜け出ると、そこには、身も心も軽やかになる自由な世界が広がっています

 

 その自由な世界を、皆さんに把握していただきたくて、このブログを書いています

 

 意識の焦点を生命意識(神意識)に合わせましょう

 

ブログ更新906回目。

みなさんこんにちは。

 

1.人生は仮相

 

 皆さんは、人生がどのようなものか、ほとんど把握していない。

 

 そもそも、「人生は仮相」である。

このことからして、受け容れ難いはずである。

 

 なぜなら、人生そのものが、乗り越えるべきものだと、教えられ・育てられてきたからである。

 

 しかし、人生は、終わってみれば、「なんだ~、夢だったのか!」と気付くのである。

 

2.人生の本質

 

 大学教授や名僧侶・大神父と言われる人々も、全て職業である。

企業の社長や会長と同じ職業人である。

 

 それらの人々に、「あなたは何者ですか」と尋ねると、「人間です」という返事が返ってくる。

 

 人間として生きていることは、「人生」である。人生には、浮き沈みがある

 

 人生の浮き沈みの中に生きているということは、人生の行く末を知らないから、浮き沈みを繰り返すのである。

 

 まさに、「人間は、感情の動物だ」と言われている通り、感情に揺さぶられて生きている浮き沈みにもまれるのは、止むを得ない

 

 だが、「自分が何処から来て、何処へ行くのかを知っている人」は、『自分は人間ではないことを知っている人である。

 

 人間という形には生きているが、自分の本質が、生命であることに気付いている人である。これが、人生の本質である。

 

3.自分は生命である

 

 「自分は、生命である」という本質を突いた言葉は、知識だけでは力を持たない

 

 自分は生命であるという実感を得て初めて、「自分は、生命である」という言葉に、力が伴うのである。

 

 「自分は生命であるという実感を得る」には、どのようにすれば、良いのか?

 

 それは、「自分は生命だ」という言葉を、何度も・何度もの繰り返しによって、自分の潜在意識にまで、行き渡らせることである。

 

 軽く目を閉じて、『自分は、人間か?・生命か?を、自問自答することである。

 

 その結果、何をしていようと、『自分は生命だ!』と、確信できたときが、『生命の実感を得たときなのである。

 

 これは、世界人類共通のことである。人類普遍の原理だからである。

 

4.まとめ

 

 その前提には、「五感の感覚が鎮まっていること」・「自我が沈黙している状態のとき」が、必要である。

 

 それを満たすのは、「明想」である。

 

多くの人が、明想に取り組んだ、と祈る!

 

ブログ更新905回目。

みなさんこんにちは。

 

1.創造主=神の伝言

 

 私は、唯一の創造主にして、第一原因者と言われる、根源神である(単数)

 

 宗教の言う、「神」とは、一切関係ない「創造の原理そのものである。

 

 原理とは、法則である法則に人格は無い

 

 創造主=神は、人格化した神ではない

 

 人格化した神々は、世界中の民族の中に伝わる「神話の中」に、登場する。これらの神々は、諸天善神(複数)である。

 

 私自身は、創造主=神であると同時に、愛であり・生命であり・全知全能そのものである。

 

 神は愛なり、愛は神なり

 

 神は生命なり、生命は神なり

 

 神は智慧であり、智慧は神である

 

2.神の顕れ(あらわれ)

 

 私は、創造主=神の御霊の力を、生命力として地上に顕している

 

 それは、あらゆる形態の中に宿っている。鉱物・植物・動物・人間の、それぞれの形態の中に、必ず宿っている

 

 人間は、その形態にのみ目を奪われて、形態の中の生命力には、気付いていない。

 

 世界中の人間は見えている形態については、争う

 

 しかし、見えない「生命力」については、争わない。争うことも出来ない。

 

 戦争は、人間を狂気に陥れる。敵味方という区別をして、相手の人間を見れば、殺す行為を強要される。

 

 戦争とは、見えてはいない神を、殺す行為である。

 

3.神は死なない

 

 人殺しは、神を殺す行為と言ったが、実は、神は死なない

 

 生命に、死は無い

肉体は死ぬが、生命は肉体から抜けるだけである。

 

ここで、聖句をお伝えする。

 

肉に生きるは、死である。肉に死んでこそ、真に生きるものとなる。』

 

 聖句の意味は、こうである。

 

 「自分が、人間だと思っている人、肉体が滅びると思うので、死があると思い込んでいる意識状態である。」

 

自分は、肉体ではない(肉に死ぬ)と思っている人は、生命を把握して生きているので、肉体が滅びても、永遠に生き続ける(真に生きるもの)、という意識状態である。」

 

 イエス・キリストが、かつて、「この世には、死人がゴロゴロしているのである。」との御言葉を遺したのも、肉体が自分だと思っている人間が多すぎることを、嘆いたものである

 

4.まとめ

 

 自分が人間であると思い込んでいる状態から抜け出ることが、真に生きるものの状態への道である。

 

 この道を歩むには、「明想」のみが、唯一の方法である

 

多くの人が、明想に励んだ、と祈る