ブログ更新1183回目。

みなさんこんにちは。

 

1.遺産相続

 

 多死社会を迎えて、「遺産相続」が多くなっている。

 

 残念だが、「遺産争族(そうぞく)」という親同士のいも多発している。 まさしく、我欲にまみれた悲しい結果である。

 

 基本に立ち返って「遺産とは何か」???

 

 霊的に見れば、肉体の世界から、死後の世界に持ち帰れないものが、された財、すなわち「遺産」なのである。

 

 お金・貴金属・有価証券・土地・建物などは、見える世界のものであって、見えない世界の周波数には合わない

 

 周波数が合わないので、故人の遺した見える世界の持ち物は、天国という見えない世界には、持ち帰れないのである。

 

2.天国への土産もの

 

 皆さんが、死んで後、天国へ持ち帰れるものは、何か?

 ズバリ、「愛と平安・調和と善意のみである

 

 それも、単なる理念としてではなく、「愛と平安・調和と善意」が、地上で生きている間に、身に付いていなければならない

 

 地上で、人生を送る間に、あなたの身・口・意が、「愛と平安・調和と善意」に満ちていることが、天国に入る条件である。

 

 すなわち、天国への土産ものは地上の人生を送る間に、「愛と平安・調和と善意」を身・口・意を通して実践していること』である。

 

3.天国へのパスポート

 

 天国に入るには、特別な許可証は不要である。

 

 必要なのは、「あらゆる魂の間の、愛と平安・調和と善意を、人生の間に、十分に表現できていたこと」に尽きる。

 

 その表現をあなたの裡に宿る神我が、日々の行動・言葉・想いを、あなたの胸の裡から、常時監視しているのである。

 

 その確かな証拠が、物も言わずに鼓動し続ける「心臓」の働きである。

 

 心臓は、あなたの感情の動きに応じて、早くなったり遅くなったり、している。

 

 その感情の動きに応じて、心臓の鼓動をあなたの自我で制御することはできない。

 

 その鼓動を自然に制御しておられる方が、神我(創造主=神の一人子)なのである

 

4.まとめ

 

 あなたは、気付いていないが、あなたの人生の一部始終は、神や天使によって、一部始終知られている

 

 最後の審判で、嘘がつける人間は誰一人いない。

 

あなたが、人生において、「愛と平安・調和と善意」に満ちた身・口・意を実践していること」これが、天国への唯一の土産ものである。

 

そのためには、明想が必須である。

 

多くの人が、明想に勤しんだ、と祈る

ブログ更新1182回目。

みなさんこんにちは。

 

1.悟りのヒント

 

 悟りは、言葉や文字では説明できない。

 

 悟りを得るには、何度も何度もの繰り返しで、自分の心を平静に保つように、心に言い聞かせることしかない

 

 「心よ、黙れ!」と。

 

 しかし、明想をしていると、心に雑念が湧いてしまう

 

 雑念とは、外界に反応する心の動きそのものだからである。

 

 雑念が湧いている状態は、心は平静な状態ではない

 

 心が平静でなければ、自分に内在する静謐な神我の波動とは周波数が異なるので、神我に触れることができない

 

 心鎮まってこそ、神我に触れて、その瞬間にわずかに神を感じることが出来るのである。

 

2.心の正体

 

 結局、静謐な神我に触れる邪魔をするのが、心である

 

では、心とは何か?

 

 心とは、人間の五感の感覚の記憶の集積である

 

 五感の感覚は、全て人間の外側からの情報に過ぎない

 

 親の刷り込み・幼稚園の規則・学校の勉強・大学の研究などは、全て人間が外から得た五感の集積の詰め込みに他ならない

 

 医学ですら、五感の感覚を知識体系にまとめた記憶の集積である。

 

 人類は、累代に渡る五感の感覚の集積を妄信・狂信してきたので、その呪縛から逃れることが出来なくなっている

 

 つまり、心に縛られているのが、現代の人間たちである。

 

3.人間の解放

 

 人間に本質として宿っている神我は、心がどうあれ、不滅である

 

 現在の人類は、その神我が、心によって窒息死寸前の状態になっているのである。

 

 なぜなら、外側の刺激によってのみ、行動し、しゃべり・書き、考えることが常に行われているからである。

 

 それでは、神我が働く余地が無いのである。

 

 神我は、創造主=神が個別化して個人個人に宿っているが、本質は同一の神の御霊(生命力)である

 

 その神の御霊(生命力)を自由に表現できるようにすることが、人間の真の解放である

 

 人間が、心から解放された時、「悟り」である。

 

4.まとめ

 

「心から解放されることなんて、無理だ!」と、思ったあなたは、今生で神を観ることは無いであろう。

 

私は、神だ!」と確信し、神への道を歩む決心をした者は、見込みがある

 

神への道を歩むには、明想が不可欠である

 

多くの人が、明想に勤しんだ、と祈る!

ブログ更新1181回目。

みなさんこんにちは。

 

1.人間から神へ

 

 人間は、創造主=神の最高傑作である。

 

 その最高傑作たるには、一つだけ条件がある。

 

 『人間として人生を送っている間に、「私は神だ!」と気付く事』である。

 

 この世を去ってから、「私は神だ!」と気付くことは出来無い。

 

 自分は人間だと思って他界すると、人間世界に戻される

 

 自分は神だと思って他界すると、神の世界に引上げてもらえる

 

 たったこれだけの違いである。

 

 そろそろこの世のことに飽きたら、「私は神だ!」と思って、「人間から神への道」に志しては如何だろうか?

 

2.聖者方の伝言

 

 聖者方が、人間に伝言した聖句がある。

 

 それは、『人間のまま人生を終わってはならない』という、ごく短い伝言である。

 

 そこには、深い意味が隠されている。

 

 人間のままとは、「人間意識のまま」という意味である。

つまり、「自分が人間だと思ったまま、この世を去ってはならない」という意味である。

 

 では、人間意識ではない意識があるのか?

 

 それが、「私は神である!」という、「神意識」のことである。

 

 聖者方が言い残したのは、『神意識の状態で、この世を去ること!』という念押しである

 

3.人生の意味

 

 人間として生まれてはきたが、自分の本質は神だったと気付いて、創造主=神の世界へ帰還することが、人生の目的である。

 

 人生の意味を見いだせないまま、多くの哲学者・宗教家・心理学者・自然科学者が、この世を去っている。

 

 学問の世界でも、「生命とは何かという命題に答えられた学者は一人もいない

 

 なぜなら、生命とは、神そのものであるからであり、愛そのものでもあるからである

 

 人生とは、「神・愛・生命」という言葉は違っても唯一無二の実在を知り、理解を深め、悟ることに費やされるべき時間なのである

 

4.まとめ

 

 あなたは、「神の国から出てきて、神の国に還ることが、人生の使命であることを、今、知った

 

 であるならば、「神の国から出てきて、神の国に還ること」を達成するには、明想以外に道はないことを知っていただきたい

 

多くの人が、明想に勤しんだ、と祈る