ブログ更新1093回目。
みなさんこんにちは。
1.神という言葉
前回、祈るのは「誰に祈っているのか」をお尋ねした。
その答えは、次の通りであった。
『他ならぬ「自分に内在する神」に祈っているので、祈った瞬間にその祈りは成就している』ということだった。
今回は、神という言葉について、深くご案内する。
皆さんは、「神」という言葉を日々使っていると思う。
だが、その「神」という言葉は、神そのものではない。
皆さんご自身が、神そのものではないと思っているからである。
自分が、神そのものであるという実感を持っているなら、その方は神という言葉を理解し、把握していることになる。
2.愛・生命という言葉
愛も生命も、目には見えないし触れることも出来ない。
皆さんが日常的に使っている「愛・生命」も、愛や生命を外から眺めた、抽象的な概念として把握しているだけである。
あなたご自身が、「愛・生命の実感を伴っているなら」あなたは、愛そのもの・生命そのものとして存在できる。
ズバリ申し上げる。
「神・愛・生命」という言葉を、理解しているというなら、これらを裡側から理解していなければならない。
裡側から理解するという意味は、「神・愛・生命」そのものの意識になっていることである。
3.神の御言葉
数多くの聖典や経典には、神の御言葉が載っている。
それらを、暗誦したり・読んだり・書き写したりしても、人間は、外側から物事を捉える癖がある。
神の御言葉を、裡側からとらえるのでない限り、暗誦したり・読んだり・書き写したりしても、御言葉は身に付かない。
様々なことが身に付くということは、永年同じことを行ってきて、初めて身に付いたと言えるのである。
例えば、お稽古事・家事・職人仕事などは、身に付いたと言える好例である。
今まで、人間として暮らしてきた人が、ある時から「私は神だ!」と言い切れるようになり、それが永年続いたら、その人は神が身に付いたことになる。
4.まとめ
人間として生きるか、神として生きるか、あなたはどちらを選ぶのであろうか?
神は生命であり、生命は神である。ならば、あなたから神が抜けたら、あなたは生きていられるだろうか???
よ~くッ、考えいただきたい。
多くの人が、人間として生きることを止めた、と祈る!