ブログ更新1083回目。
みなさんこんにちは。
1.天地自然の理
天と地は、人類は創れなかった。人類は、天地の間に、降ろされ・生かされている存在である。
天地の理は、抒情的に表現すれば、次の通り。
<春は花咲き、夏繁り、秋に実の成る、天地(あめつち)のわざ、年々歳々繰り返す>
<悠然と過ぎゆく雲に、歩み止め、止まらぬ雲の行く末を、眺むる我は、風とはなりぬ!>
天地自然の理、とはよく言われる言葉です。
人間が誤解するのは、「天と地は別々にある」という思い込みである。
天地は、創造主=神により、一体のものとして創造されたのである。
よって、『天地一体』なのである。
2.天地一体の真理
もともと、天地一体とは、人間に内在する「裡なる天」と「地に属する肉体」は不可分という意味であった。
ところが、ある高名なコンサルタントが、「天地自然の理に従って生きると、すべてが、上手く行き、お金が儲かると教えた。
天地一体とは、本来は「自らが天地一体の境地=自分は神である」という境地であることを指している。
それは、現世利益の法則ではないのである。
3.天地一体の勘違い
勘違いは「天地の法則通りに生きていれば、お金が儲かる・出世する・よい伴侶に恵まれる。」などという。
本来の意味に従って『天地一体』の境地で生きるならば、この世のことは、「マッチイーブン」=引き分けです。
天地の法則は、「マッチイーブン」=引き分けを理念とする。
であるならば、天地一体の境地では、「儲かることもなく、損することもない状態」となる。神は公平だからである。
どんなに自我を知っても、自我以上には進歩しない。
神を知ることは、無限を知ることであり、無限の進歩へと招かれる。
無限の勉強をすると、連続的進歩の流れに組み込まれる。
4.まとめ
無限を知ると、この世のことは丸見えになる。それほど無限能力は凄い能力である。
その代り、「丸見えになったことを全て喋ってはいけない掟」、がある。
この掟破りの結果、地上に戻された方々が結構いる。この方々を愚者と言う。
「賢者は愚者からも学ぶが、愚者は賢者からも学ばない!」
聖者方の厳しい教えである。