ブログ更新1081回目。
みなさんこんにちは。
1.人間の解剖
人間を解剖しても、生命は見つからない。そもそも、解剖する人体は、生命が抜けている状態だから解剖できる。
死者を解剖しても、生命は見えない。
人間が解剖できるのは、脳波が止まり、心臓の拍動が止まり、呼吸が停止した状態で解剖する。
司法解剖すれば、死因はわかるが、どうして人間が生きているのかは、解剖しても理解できない。
人間を生かしている「生命力」は、肉眼では見ることのできない「力」だからである。
その力は、神の力であり、愛の力である。
2.生命の兆候
人間が生きている証は、言葉を話す・文字を書く・言葉で意思表示が出来る、自立歩行が出来るなどが挙げられる。
人間が話すその言葉は、本来、神の御言葉であった。
初めに言葉ありき、その言葉とは「神」という言葉であったと、聖書に書いてある。
神は生きている証として、人に息と言葉を与えた。
息継ぎをして、言葉を話すことが出来る。
その息は、あなたがこの世を去るときに、「神が息を、引き取る」ので、人間は息が出来なくなるのである。
『息を引き取る』という本来の言葉の意味が、分かっただろうか。
3.ヨハネの言葉
ヨハネ存命中に、当時の言語によって書かれた言葉を、ある方法で再現した(下記:青文字部分)。謹んでご理解いただきたい。
「もの皆、全て神の御手によって成れり。
創造されたものにして、神によらず成れるもの、一つだに無し。
生命、彼の中に在りき、生命は人の光なり。この光ヤミの中に輝き、ヤミは光に勝たず。
彼(イエス・キリスト)は、世に出でし人、全てを照らす真の光なりき。
彼は世にありき。世は彼の手の下にありしも、世は彼を知らざりき。
彼は、おのが身うちの許に来たれども、彼等は彼を受けつけざりき。
されど、彼の名を信ぜしものは、神の子らとなりぬ。
これらの者は、おのれが血に属さず(*)・肉の意思にも・人の意思にもよらず、父なる神によりて生まれたるを知る者なり。
この言葉が、神となりて吾らの中に留まりぬ。」
(*)血に属さず:幽界に留まるものでは無い。悟ったものという意味
静かな環境の中で、この御言葉を、心して読み、心に刻むものは、神に近づくきっかけを得ることでありましょう。
言葉がどなたによって与えられているか、今一度、沈思黙考すれば、神の深淵に触れることが出来るのです。
4.まとめ
ヨハネの御言葉を謹んで、声に出して読み・沈思黙考すれば、『神がものを創るということは、神、おんみずからが、そのものになることである』ことが理解されよう。
多くの人が、「ヤミは光には勝てなかったと、確信した」、と祈る!