ブログ更新1080回目。

みなさんこんにちは。

 

1.三位一体の解釈

 

 キリスト教神学の世界では「父と子と聖霊」が、三位一体であるとされている。

 

 そこには、「父と子と聖霊」が、なぜ一体なのかという「解釈の思考プロセスが入っている

 

 解釈は悪いことではない。しかし、解釈するという思考プロセスは、理性で判断する作業である。

 

 理性は、物事を整理して示してくれるので、理解はたやすくなる。

 

2.神は直知するもの

 

 父と子と聖霊は、解釈しただけでは、理性的な理解でとどまってしまう。

 

 父も子も聖霊も、大脳で理解しても、最終的には「ハート(胸)」で直知しなければ把握できない性質のものである。

 

 「父と子と聖霊」を直知したとき、「悟りの入り口に立つ」ことが出来る

 

 父とは、創造主=神そのものである。いわゆる父なる神。

 

 子とは、人間各自に内在する「神我意識」及び、神我意識を確立した人(神人)のことである。

 イエス・キリストも神人のお一人であるので、「子」と自称された

 

 聖霊とは、創造主=神の光・叡智・智慧・大愛・生命力などの総称である

 

3.直知するか解釈するか

 

 神ご自身を識るには、直接神と一体であるという自覚のみが必要である

 

 そこには、理論も解釈も修辞学も不要である。まして、哲学など馴染むはずは無い。

 

 神は唯一の生きておられる実在にして、唯一の創造主(つくりぬし)=神である

 

 俗な言い方を赦していただければ、「神は生もの」、目には見えない「生もの」なのである。

 

 それは人体に宿れば、神に似せて創られた通りの働きをすることが可能なのである。

 

 それを邪魔するのが、人間の理性・理論・解釈・推定などの大脳の働きである。

 

4.まとめ

 

 神を知るには、学問の有る無し、男女の性別、門地門閥などの世の中の評価は一切関係ない。

 

 神を知るには、「神を受け容れる能力と、神を理解する素直さ」だけが、必要である。

 

 神は、日常生活の中にそのお働きを示している勉強や研究の中からは、神を見いだせるものでは無い

 

多くの人が、「神は感じるもの、直知するものだと理解した」と祈る!