ブログ更新1068回目。

みなさんこんにちは。

 

1.美しいもの

 

 タイトルの答えは、次の通りである。

 

この世で一番美しいものは、「沈黙」である

 

 あなたがこの世で美しいものだと思っても、他の人はそのように思わないかもしれない。

 

 絵でも、彫刻でも、現代アートでも、古美術でも、何であれ形あるものを評価するのは人間である

 

 人間は善悪の心を持っている。そのため争いが生じる。

 

Aさんの美意識では、Bが美しいという。

 

Cさんの尺度では、Dが美しいという。

 

結局、Aさん、Cさんの論争は決着がつかない。

 

 ひどい場合には、お互いがののしり合うような場面に行きつき、争いが繰り広げられる。

 

2.仲裁は不可能

 

 争いを収めようと、仲裁に入る。

 

 うまく収まれば良いが、どちらかの味方になってしまうと、争いの火に油を注ぐようなことになる。

 

 人間が、いくら言説を並べ立てたところで、所詮、「相対の世界の中のことである。

 

 人間が、「善悪の木の実」を食べているからである。

善悪という相対性は、神の絶対性には及ばない

 

 人間は善悪で人を裁くが、神は裁かない

 

絶対性とは、別言すれば「唯一性」だからである。

 

 たった一つのものが、自他を区別して、あなた・わたしに分かれるだろうか。

 

 一柱の神が、幾つもの形に分裂したのではない元は一つである表現は多数である

 

一、即、多・多、即、一」と、仏教で教えられている通りである。

 

3.この世で美しいものは

 

 「善悪の木の実」を食べている間は、議論が止むことは無い。

 

 仲裁するにしても、「ただ、沈黙を守れば良い」のである。

 

 議論に加わっていては、仲裁は不可能である。

 

 双方の言い分を十分に聴いていて、双方に結論を促すのである。

 そして、最後に一言「いいんじゃない」と言い添えるだけである。

 

 双方が納得して出した結論だからである。

 

 その間、あなたは「沈黙を守るだけである。

 

 人間意識で沈黙していても無駄である。

 

 神意識の状態での沈黙は、荒れ狂う波に油を注ぎ、波を鎮める力がある。

 

4.まとめ

 

 人間意識では、「善悪の木の実」を食べている状態、すなわち、相対の世界である。

 

 神意識・神我意識では、「絶対性の中に在る状態」、すなわち、絶対善の世界である。

 

 絶対なる善しかないのであるから争いが起きるはずは無い

 

絶対善の把握は、「明想」を通してのみ得られる。

 

多くの人が、「明想」を始めた、と祈る