ブログ更新932回目。

みなさんこんにちは。

 

前回の続きです。

 

1.悟りの本質

 

 前回は、「悟りの入り口付近」を概観していただいた。

 

 要約すると、五感の感覚を断ち切り、自我の源泉となっている大脳の思考回路を休止させる。 すると、心は静かになる。

 

 その心が静かになると自我の下層に潜在していた神我が、活発になる。

 

 神我は、大脳に宿っていない。どこにあるのか!

 

 あなたのハート(胸)ある。

 

 このハートこそが、「神の叡智への門口・玄関」である。

 

 頭で、神の叡智をいくら考えたところで、神の叡智を得ることは出来ない。それは、神の叡智がハートにあるからだ。

 

2.神の叡智と心の関係

 

 自我に属する心・心理学で扱う心は、人を論理的な思考に導く。

 

 論理的思考は、間違っているものを知り、正しいことを知り、かつ、理解する方向に導く。

 

 その心の論理性こそは、ハートへの道なのである。

 

 ここで述べる「悟り」論理的思考に先行する

 

 ハート(胸)が、神の愛で満たされていなければ神我の力=「神の叡智」はあなた達には無いのである。

 

 心が、論理的に神を理解できていることは、当然である。

 

 その前にあなたのハート(胸)が、神の愛で満たされるための作業が必要になる。

 

3.悟りのプロセス

 

 論理的な思考にこだわりすぎると、唯一の真理を見落としてしまう。

 

 それは、神について何度も何度も、繰り返し同じ話を聞いて自我の心が、外界に反応しなくなるまで、消すことである。

 

 自らがしゃべることではない。神の声を聴き・神の言葉を読み自我を徹底的に消すことである。

 

 その結果、あなたちのハート(胸)の中で悟り始めて、ハートは清純となる

 

 ハート(胸)が清らかになれば、神我がそこに宿るようになる

 

これが、悟りのプロセスである。

 

もう一度注意する‼

 

ただ喋るだけのことや、観念は心の領域である。

 

 お喋りは、真理ではない。

 観念は、真理ではない。

 信仰は、真理ではない。 

 

 真理はこれらすべての彼方にあるのだ。

 

4.まとめ

 

 論理的な思考以上のものは、どのようにすれば、得られるのか?

 

 それは、神の「直接智」お喋りや観念以上の、「直接智のみである。

 

 創造主=神を直接知ること以外に、論理的思考以上のものを得ることはできない

 

 不可欠なのは、「明想」である。

 

多くの人が、明想に回帰した、と祈る