ブログ更新846回目。
みなさんこんにちは。
1.人生の二択とは
真理を追求するものは、真理を得る。
富を追求するものは、富を得る。
通常の人間は、二者択一である。
両方とも得るというのは、至難の業である。
富を得ている人に、「わざわざ貧乏になれ」と言うのではない。
聖ソロモンは、富を得て、真理の追究も怠らなかったから、ソロモン王たり得た。
今、貧しくとも、真理の追究は可能なのである。
今、貧しくとも、日々の生活が出来ている人が、それ以上の富を求めると、真理の追究が疎かになる。
人生のゴールは、真理への到達である。ならば、一番に求めるのは、真理である。
今、置かれている土壌(生活状態)に、真理のタネは、播かれる。
2.聖者方の言葉
富ついて、聖者方が語った、貴重な一言がある。
『富もまた、その世俗的欲望と惑わしのゆえに、真理の言葉を窒息させかねない。 富は成長を止めるアザミである。 私のこの言葉について、真剣に思いを致すがよい。』
現在のあなたが、今、置かれている状態の上に、「形のない真理の館を建設すること」が、真理の追究である。
だからといって、今日の食事の心配をするほど、日々の生活に困っている人が、真理の追究が出来るとは思えない。
大金持ちでなくて良い。ある程度の生活が出来ているなら、真理の追究・探究は出来るのである。
その真理の追究・探究の過程で、富を求める愚を冒してはならないということである。
富も真理も両方欲しいというのは、両方とも失うことになる。
聖者方の言葉は、両刃(もろば)の剣であるから、その意味を良く考え、理解の仕方に気を付けることである。
3.善悪の木の実
真理と富の対比も、肉眼を眩ませる。
同様に、善悪の木の実を食することも、肉眼を眩ませる。
真理は、「絶対善」である。それが見えないのは、悪を見るからである。
あなた方が、善なるものに集中するなら、真理もまた、見えてくる。
人間は、善悪という相対的なものの見方をするので、神のものである「絶対善」を観ることが出来ないのである。
善もあってね、悪もあるんですよね?と聞かれることがある。
聞かれても、答えようがないのである。
なぜなら、私には、神のものである「絶対善」しか観えていないから、答えられないのである。
4.まとめ
真理の言葉、神の御言葉は、「絶対善」である。
善なる言葉は、良き実を結ぶ。
神の御言葉が、人生に良き結果をもたらすことを知るが良い。
真理を理解したものは、神以外に実在するものがいないことを知るからである。
多くの人が、神の御言葉を知った、と祈る!