ブログ更新796回目。
みなさんこんにちは。
1.あなたと私の「もの」
聖句に曰く。
『私のものは、あなたのもの、あなたのものは、私のもの』であると、言い伝えられている。
ここに「もの」という代名詞が出てくるが、これが何を意味するのか、改めて確認しておきたい。
ズバリ、代名詞「もの」とは、『生命(生命力・エネルギー)』である。
「もの」という意味が、物体としての「もの」と勘違いされている。
その結果、多くの誤解が生まれたのである。
では、「もの」を「生命」と言い換えて、冒頭の聖句を読み直してみる。
『私の生命は、あなたの生命、あなたの生命は、私の生命』となる。
これなら、このブログを長く読まれた方々には、スッキリした感覚を得たことと思う。
生命に、自他の区切りはないからである。
2.生命の一体性
「生命に、自他の区切りがない」という意味は、唯一の生命があるのみだからである。
生命の根源は、創造主=神の大愛である。
神は、愛であり、愛は、神である。
神は生命であり、生命は神である。
神に区切りは無く、神は、無限大の宇宙から無限小の細微に至るまで、隈なく遍満している。
であれば、生命にも区切りは無く、無限大の宇宙から無限小の細微に至るまで、隈なく生命は遍満している。
人間という器は、その生命の入れ物に過ぎない。
動物・植物・鉱物も、生命の器に過ぎない。
3.創造主=神は、一柱の神
創造主=神は、唯一である。一柱の神である。
その一柱の神のご性質である『大愛』も唯一、一つであり、生命も唯一、一つである。
であれば、冒頭の聖句の意味は、容易に理解されるであろう。
『私の生命は、あなたの生命、あなたの生命は、私の生命』である。
人間も、鉱物・植物・動物も唯一の生命が、その器(形)の性質によって顕れ方が異なっているだけである。
生命とは、エネルギーである。
生命というと、「動くもの・成長するもの」というイメージがあるが、鉱物の結晶も、電気化学的エネルギーによって成長する。
有機体のように目に見えて動きはしないが、鉱物も、神の愛の結晶として、圧力と温度で変性する。
備長炭もダイアモンドも、同じ炭素の結合で出来ている。
ただし、炭素同士の結合の角度が微妙に異なっているだけである。
4.まとめ
人間同士が争うのは、あなたと私という形において争っている。
生命は同じなので、生命の自覚があるものは、生命においては争わない。
地上で・世界で、生命の自覚が無いものが、争うのである。
多くの人が、生命を自覚し、争うのを止めた、と祈る!