ブログ更新774回目。
みなさんこんにちは。
1.旧約聖書:創世記
人間が、対立と闘争を繰り返し、風紀は乱れ、人心は荒廃していたソドムとゴモラの街。
神は、その街を滅ぼそうとしていた。
敬虔な信者であったロト(義人)とその家族は、神によって導かれて、街を脱出する準備をしていた。
神は、ロトとその家族に、次のように言い含めた。
『街を出てからは、絶対に後ろを振り返ってはならない』と。
家族は、神の言いつけを確認して、振り返らず懸命に走ろうと、誓い合った。
2.ソドムとゴモラ脱出
はたして、その時はやってきた。
燃える硫黄の雨が降りはじめ、ロトとその家族は、街の門を出ると懸命に走った。
そのとき、ロトの妻は、住み慣れた町はどうなったのか、ふと、気になった。
神の言いつけも、家族との約束も忘れて、、、ロトの妻は、逃げてきた街の方を振り返った。
その瞬間、ロトの妻は、塩の柱になって固まってしまった。
二度と、命を得ることはなかった。
3.ロトの妻の教訓
対立と闘争を繰り返し、風紀は乱れ、人心は荒廃していたソドムとゴモラの街は、「物質文明の象徴」である。
創造主=神は、物質的生き方から、精神的生き方への転換を、ロトに命じていた。
教訓1:それが、ソドムとゴモラからの「脱出」に象徴される。
教訓2:ロトの妻が、街を振り返った行為は、「物質的な誘惑」を意味する。
現在も同じである。
神に祈りを捧げながら、金銀財宝を求め、グルメに明け暮れている愚を、犯してはいないだろうか?
特に、女性は、物質的な誘惑に弱い。
陰陽の力でいえば、女性性は、もともと陰に属するからである。
それで、夫のロトは逃げ切ったが、妻は陰の力に引き戻されて、振り返ってしまった。
教訓3:燃える硫黄の雨は、「火の洗礼」である。
物質的な生活に満たされていた、ソドムとゴモラの街を清めるには、水では浄化しきれなかった。
そこで、神が選択したのが、「火の洗礼」である。
現代風に言えば、原子力による事故は、エネルギープラントの事故である。
まさに、原発事故は、「火の洗礼」である。
被災された方には申し訳ないが、善良な人々は、ソドムとゴモラの街から、避難せざるを得なくなった。
4.まとめ
人間、男女を問わず、いつ・いかなる時も、ロトの妻のように「物質生活を振り返ること」があってはならない。
物質生活を断ち切り、精神生活に切り替える決心をしたならば、再び物質生活に戻るようなことがあってはならない。
ロトの妻のように、失敗してはならない‼
創造主=神との約束を守っているか否かは、あなた自身が、一番よくご存じである。
他人に嘘はつけても、自分には嘘がつけない。
自分の裡に、創造主=神が、居られるからである。
多くの人が、ロトの妻にはならないことを学んだ、と祈る!