In psychology one possesses nothing unless one has experienced it in reality.
- CARL JUNG

心理学では、実際に経験しない限り、人は何も所有していない。
- カール・ユング

 

あらゆる精神的プロセスには、その価値の質、つまり感情の調子(feelingtone)が付随しています。これは、対象者がそのプロセスによってどの程度影響を受けるか、またはそれが対象者にとってどの程度意味を持つか(プロセスが意識に到達する限り)を示します。
対象者が関与し、現実の重み全体を感じるようになるのは、「情動」(affect)を通じてです。その違いは、教科書で読む重病と実際に患っている病気の違いとほぼ同じです。
心理学では、実際に経験しなければ何も得られません。したがって、純粋に知的な洞察だけでは不十分です。なぜなら、人は言葉しか知らず、内側から物事の本質を知らないからです。
無意識を恐れる人は、予想以上にたくさんいます。彼らは自分の影さえ恐れています。そして、アニマとアニムスになると、この恐怖はパニックに変わります。
なぜなら、シジギーは、精神病(特に統合失調症の妄想型で最も明確に)において意識に突入する精神的内容を表しているからです。
この恐怖を克服することは、しばしば並外れた規模の道徳的達成となるが、それは自己の真の経験に至る道において満たさなければならない唯一の条件ではない。
- カール・ユング

Every psychic process has a value quality attached to it, namely its feelingtone. This indicates the degree to which the subject is affected by the process or how much it means to him (in so far as the process reaches consciousness at all). 
It is through the “affect” that the subject becomes involved and so comes to feel the whole weight of reality. The difference amounts roughly to that between a severe
illness which one reads about in a textbook and the real illness which one has.
In psychology one possesses nothing unless one has experienced it in reality. Hence a purely intellectual insight is not enough, because one knows only the words and not the substance of the thing from inside.
There are far more people who are afraid of the unconscious than one would expect. They are even afraid of their own shadow. And when it comes to the anima and animus, this fear turns to panic. 
For the syzygy does indeed represent the psychic contents that irrupt into consciousness in a psychosis (most clearly of all in the paranoid forms of schizophrenia).
The overcoming of this fear is often a moral achievement of unusual magnitude, and yet it is not the only condition that must be fulfilled on the way to a real experience of the self.
- CARL JUNG

 

シジギー(syzygy)
結合であれ対立であれ、対が問題となるっとき、対立するものの対すべてに当てられる用語である。ユングは、アニマとアニムスの結合との関連でこの語をもっとも頻繁に用いた。この結合は心理学的に三つの要因から決定される、とユングは述べた。すなわち、「男に属する女性性と女に属する男性性、男が女との関りでもつ経験とその逆の経験(ここでは子ども時代の初期のできごとが非常に重要である)、男性性、女性性の元型的イメージ」(CW 9ii,para.41n.5)である。イマーゴの項を参照のこと。

 ユングは男女のシジギーがつがうイメージは、男女の存在と等しく普遍的であるとし、神話に繰り返し現れる男女の対のモチーフを引用し、中国哲学で陰陽と表される対の概念を指摘した。初期の錬金術の図には、男女が象徴的に結合しており、プロセスの一部として、二人は文化し、そして両性具有的対として再結合せねばならないと暗示されている(コニウンクチオ、錬金術)。しかしこれは、両性愛を暗に意図するのではなく、むしろ、それ以外の状況では対立したままの要素が相補的に機能することを意味する(アンドロノギス、セックス、ヘルマプロディートス)。
ユング心理学辞典 p68 著者:アンドリュー・サミュエルズ

 

 
対立するもの:関連

葛藤

反対のもの。

 

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第三の、論理的に予見できない和解の「第三」。