検閲が入っている可能性もあってどのように伝わって(電磁波技術によって外部から送信され、あたかも本人が考えたように見せかける内容で)誤解を招いたかはわかりません。

ユング心理学の立場もあり政治的なことについては可能な限り避けていく予定でありましたが、記事の内容に誤解を招くような内容があったかもしれません。

 

明らかに誘導的なことがありました。

 

限られた文章でも下記が前提にあります。

四元性、二律背反、逆説的、一元的、二元的、多元的、対立の結合、第三のもの、タオ、エナンチオドロミア、クロノス、カイロス、アイオーン、自然農法では作物に付く虫や病気は作物の栄養状態(免疫の低下)のしるしとして肯定的に見ます。全体性が前提ですが、その説明は省いています。

(一般的な一面的な二元論的な見方はしません。)

 

 

 

 

心的水準の低下 [しんてきすいじゅんのていか]
abaissement du niveau mental
こころの抑制力を解き放ち弛緩すること, 集中や注意が欠けていることを特徴とする意識の弱化, 思いがけない内容が無意識から出現しかねない状態, のことである。 ユングがパリ留学時に聴講したピエール・ジャネ教授 (PierreJanet) が, ヒステリーをはじめとする心因性神経症の症状 (神経症) を説明するため, はじめて使った言葉である。ユングはブルクヘルツリ時代の言語連想検査研究において, 個人的コンプレックスと結びついた内容が自ずと介入してくるとき, 同じ現象を認めた。この後, ある無意識内容の意識化が今にも起ころうとしている境界状況を言い表すため、この言葉をユングは用い, これを自然発生的なこころの現象が起こる前駆的兆候を示す重要な状態とみなした。したがって (精神の病いと同様) 通常は, 個人的な意図と無関係に発生する状態だが, 能動的想像の準備として, 意識的に発生を促すこともありうる。

このような状態において, 普通なら抑制的な自我が押えつけている対立するものの作用が解き放たれる。そのため、心的水準の低下には, つねに価値の相対的な逆転が伴う。 このような意識閥の低下は,ある種の薬物の効果の特徴でもある。ユングは, この状態が 「本来的な神話形成がなされた原初的意識状態にかなり正確に」 (CW 9ii, para.264) 対応している, と考えた(神話, 未開人)。 心的水準が低下するときに生じかねない否定的要素として, 潜在的な精神病的傾向の顕在化がある。このため、もし自我が無意識との出会いに十分耐えることのできる力と, 沸き上がる元型的な象徴群を統合するに必要なだけの力をともにもっていない場合、必ずしも健康によい状態とも, 奨励されるべき状態ともいえない (元型, 象徴, 肥大, 憑依)。

この状況で生み出されたイメージ群の様相は, 一貫性がなく, 断片的で, アナロジーによる構造化が行なわれる。また、表面的な言葉の上での連想や, 音韻連想, 視覚上の連想などを伴い, ときには, 圧縮, 非合理な表現, 混乱が生じかねない。夢同様, このようなファンタジーは, 必ずしも連続性をもったものではなく, はじめのうちは, 目的志向的な象徴内容が現れているとも思えない。 通常抑圧されているこころの内容が知覚できるようになると, 統覚に組み込まれるべき内容は豊富になる。しかし, それが意識の一般的な方向づけの一部になる保証はない。 意識的な方向づけをするには, 内省,分析を必要とする。 このような状態の人は解離してしまい、自ら意識的に方向づけをしなおせなくなることがある。ユングが述べるところでは,意識緊張の弛緩は、本人にとって無関心, 不機嫌, 抑うつと感じられるが, このような感じは, 自我の目的のためにエネ ルギーを自由に使いこなせなくなったからである。この状態が未開人の「たましいの喪失」と呼ぶ状態に対応している, とユングは考えた。 心的水準の低下は、ある特定のこころの状態を記述する言葉であって,この状態を生み出す原因に触れるものではない。

ユング心理学辞典p83~84:アンドリュー・サミュエルズ著(邦訳) 

 

...(個性化, 自我一自己軸)。
自己は恵み深いものだとしか考えないのは誤りである。そうならないよう, 良心をもたない決定的な力として自己は悪霊にもたとえられる、とユングは強調した。すなわち、倫理的決断は人間に残される(道徳性)。したがって、たとえば、夢を通じてやってくる自己の介入に関連して、自分の決断や行動にできるかぎり意識的でなければならないとユングは警告した。その場合, 積極的に自己の介入に応じても、それは単に元型に従属したことにはならず、また, 自分の気紛れに従ったことにもならない。あるいは、自己の介入を退けても、そのことで自分自身の積極的関与を無効にした事実を意識でき, さらに、非常に価値のある機会を逃した可能性も意識できる。このような識別を実行する力が、意識の機能である。

 

ユング心理学辞典 自我一自己軸p64:アンドリュー・サミュエルズ著(邦訳)

 

人は自分が自分の魂の主人であると信じたがります。 しかし、彼が自分の気分や感情をコントロールできない限り、あるいは無意識の要因が彼の手配や決定に忍び込む無数の秘密の方法に気づくことができない限り、彼は確かに自分自身の主人ではありません。
~ C.G.ユング、人間とその象徴
A man likes to believe that he is the master of his soul. But as long as he is unable to control his moods and emotions, or to be conscious of the myriad secret ways in which unconscious factors insinuate themselves into his arrangements and decisions, he is certainly not his own master.
~ C.G.Jung, Man and His Symbols

 

[…]一方、権力の本能は、すでに世界の半分を共産主義の国家刑務所に変えている社会主義的な理想に向かって駆り立てられています。 これは、全体性を求める努力が望んでいること、つまり、他の 2 つの本能の強制から個人を解放することとは正反対です。 彼の目の前にある課題は、すべてのエネルギーが使われずに戻ってきて、人間の高度な発展の邪魔をしてきた本能そのものを、ほとんど病的なレベルまで強化します。 いずれにせよ、それは私たちの時代に特徴的な神経症的な効果を持っており、個人と世界一般の分裂の責任の大部分を負わなければなりません。 私たちは影を認めないだけなので、右手は左手が何をしているのか知りません。] ~Jung、CW 10、Para 652

[…] while the power instinct is driven towards some Socialistic ideal that has already turned half the world into the State prison of Communism. This is the exact opposite of what the striving for wholeness wants, namely, to free the individual from the compulsion of the other two instincts. The task before him comes back with all its energies unused, and reinforces, to an almost pathological degree, the very instincts that have always stood in the way of man’s higher development. At all events it has a neuroticizing effect characteristic of our time and must bear most of the blame for the splitting of the individual and of the world in general. We just will not admit the shadow, and so the right hand does not know what the left is doing.] ~Jung, CW 10, Para 652

 

 

 

画像:ウィリアム・ブレイク: 「ノミの幽霊」段落 253

Image: William Blake: “The Ghost of a Flea”Paragraph 253

 

カール・ユング: 「複合体(コンプレックス)は独立した存在のように振る舞う」

https://jungcurrents.com/carl-jung-complexes-behave-like-independent-beings

「まず最初に、精神が分裂する傾向があるという問題に目を向けましょう。この特異性は精神病理学で最も明確に観察できるが、基本的には正常な現象であり、原始的な精神によって作られた投影において最も容易に認識できる。分裂傾向とは、精神の一部が意識から切り離され、異物として見えるだけでなく、独自の自律的な生活を送ることを意味します。それは、ヒステリックな多重人格や統合失調症による人格の変化の問題である必要はなく、完全に正常の範囲内にあるいわゆる「コンプレックス」の問題にすぎません。コンプレックスとは、トラウマの影響や特定の相容れない傾向によって分裂した精神的な断片です。連想実験が証明しているように、コンプレックスは意志の意図を妨げ、意識的な遂行を妨げます。それらは記憶の混乱と連想の流れの遮断を引き起こします。コンプレックスは独自の法則に従って現れたり消えたりします。一時的に意識を支配したり、無意識の方法で発言や行動に影響を与えたりすることがあります。一言で言えば、コンプレックスは独立した存在のように振る舞い心神喪失者が聞く声の中で、彼らは自動書記や同様の技術を通じて姿を現す霊のような個人的な自我の性格さえ帯びます。コンプレックスの強化は病的状態につながり、それ自体が不屈の生命を与えられた広範な多重解離です。 

“Let us turn first to the question of the psyche’s tendency to split. Although this peculiarity is most clearly observable in psychopathology, fundamentally it is a normal phenomenon, which can be recognized with the greatest ease in the projections made by the primitive psyche. The tendency to split means that parts of the psyche detach themselves from consciousness to such an extent that they not only appear foreign but lead an autonomous life of their own. It need not be a question of hysterical multiple personality, or schizophrenic alterations of personality, but merely of so-called “complexes” that come entirely within the scope of the normal. Complexes are psychic fragments which have split off owing to traumatic influences or certain incompatible tendencies. As the association experiments prove, complexes interfere with the intentions of the will and disturb the conscious performance; they produce disturbances of memory and blockages in the flow of associations; they appear and disappear according to their own laws; they can temporarily obsess consciousness, or influence speech and action in an unconscious way. In the voices heard by the insane they even take on a personal ego-character like that of the spirits who manifest themselves through automatic writing and similar techniques. An intensification of complexes leads to morbid states, which are extensive multiple dissociations endowed with an indomitable life of their own.

 

 

 

 

 

 
2/2,ウェティコ:わがままなウイルス
 

https://ameblo.jp/spirit-15/entry-12696075505.html