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「人生、いつだって発展途上」 SPIRAL TONE

SPIRAL TONEが音楽制作や、日常の色々を徒然なるままに書き綴ります。

こんにちは晴れ

外はもう日が落ちかけているけど。

お久しぶりです。みなさまお元気ですか?

 

こんな時間にブログ書くなんて、完全にノリというか勢いです。

今日は休みをもらって、午前中は明日の予定どうするかをばかみたいに悩み

やっと昼食を作って、片づけて、花に水をやり、

先日片づけた部屋から出てきた電化製品をリサイクルに出そうとしているところ。

 

オレンジメタリックなi-pod nano。

社会人一年目、自分にとってはとても高額な買い物。

一万円もしなかったけど、一年目にとっては高額な買い物。

 

母と一緒に外出した時、電気屋さんに行って、

おそらくAppleの担当としてお店にいた黒人男性の店員さんを見て

ソフトバンクのお兄ちゃんみたいね(全然似てない)とか

母に話しかけられつつ、手に入れた、i-pod nano。

 

見た目も、音楽が沢山入るところもとても気に入っていた。

とにかく薄くて、元気の出るメタリックなのになんて言うのか

すりガラスっぽい加工のオレンジ。めっちゃいい。

 

操作方法もなんかかっこよくて。

 

でも、PCに繋いで同期してというのが億劫

PCを変える度に消えてしまう音楽

 

自分がアナログなのもあって、ポータブルCDに戻ったりしつつ

世間から遅れること数年、スマホデビューを果たし

ついに使われることのなくなったi-pod nano。

 

何度か捨てようとして、未だ手元にあったけど

いい加減捨てようとして、これ初期化とか必要なのか?と思って

PCに繋いだ。

 

電源コードもくたくたになってたからもう断線してるかも。

でも意外とちゃんと繋がった。

スマホのコードは結構すぐ断線しちゃうのに(扱いの問題?!)

意外と生きていた。

 

音が確かあまりよくなかったはずだ・・・

そう思って操作したら、たまたま流れてきたのはCUNE

 

音全然大丈夫。

え、捨てるのやめようかな。

 

で、今このブログを書いている。

 

最近、音楽からは遠ざかりがち、書くことも、撮ることも。

何も創造できてない。

 

面白いことも、面白みを持たせて書くことも出来てない。

 

でも、そこで諦めたら何にも出来ないまま。

 

とりあえずで書いている。

 

CUNEは、全盛期に知っていたわけではない。

たまたま、社会人も3年目、音楽がやりたいけどくすぶっていた時に

mixi(懐かしすぎ)でコピーバンドのメンバー募集の記事をみて

入ったバンドのメンバーが好きだったのだ。

そのころには、CUNEは解散していた。

 

複雑な音楽が好きな方だと思っていた自分だけど

ストレートででもメロディーも歌詞もいい。

構成だってよくある構成だし分かりやすいけど

オリジナリティがちゃんとある。

哀愁があるけど、悲壮感はない。爽やかだけど、切なさもある。

となって、よく聞いていた。

 

ひねりもなくてストレートすぎて、オリジナリティのないことしか

言ってないな自分・・・

 

というわけで、今、PCを変えてしまって

スマホを同期しようにも出来なくなって(スマホ内の録音と音楽全部消えるから)

ウォークマンでも買うか・・・となっていた自分に

光が差したのであった。

 

 

そうだ、捨てずに置いておこう。

 

 

こうしてまた、長年果たされない断捨離が更新されたのだった。

 

 

まあね、他のガラクタはすてます。

ちょっとずつ身軽にならないと、前に進むものも進まないからね。

 

とか、CUNEと共に青春引きずりまくりながら書いてる。

 

さて、そろそろ現実に戻るか。

こんばんはお月様

 
本を沢山読む人間になりたいと思いつつ
文学部のわりに本を読まずに生きてきて
今も大して読んでないスパです。
 
 
そんな今日は
「ずっとやりたかったことを、やりなさい」
という本の最初に出てくるワークの中の
あなたの創造性を認めてくれた三人のチャンピオンを列挙するというテーマについて、考えてみた時に、思い浮かんだ人について書こうと思う。
 
 
実際には後押ししてくれたという感じだろうか。
 
 
私は、学生時代ニュージーランドに異文化交流や語学の学習に行ったことがある。
 
その時に、英語を教えてくれたケリーという先生がいた。
 
彼は白髪の少し長めの少しウェービーな髪で
少しふくよかで、いつもニコニコしていて
ウクレレを弾くのが好きな、音楽好きな先生だった。
 
私のホストマザーによると、彼の住んでいる地域は、あまり裕福でない人が住む地域のようだった。でも、いつも笑顔で明るくて、誰よりも優しかった。
 
私が英語を頑張れたのも彼のおかげだった。
積極的に話しかける私の会話を、いつもにこにこ受け止めてくれた。
 
ステイ先から、モーテルまでの足がなくて困っていた私を、休みの日にも関わらず、車を出して送ってくれたのも彼だった。
 
(ステイ先のファミリーは
今日は家族でピクニックなの。だから送れないけど、帰ったらメール頂戴ね。じゃあね!
と言って、パッパー✋とクラクションを響かせて去って行った爆笑)
 
そんなケリーは、休みの日に私達を歴史公園という場所にも連れて行ってくれた。
はっきりとは覚えてないけど、馬車が通ったり、消防車が展示されたり、昔の街並みを再現したような場所だった。
 
そこでケリーは子供たちに、人形劇を見せる活動をしていたのだ。海賊の格好をして。
彼には12歳の息子さんがいて、一緒に人形劇をしていた。
音楽を流し、色んな声色を使い分けてセリフを話し、汗だくになりながら子供たちのためにやっていたように記憶している。
 
学校では、ウクレレを触らせてくれた。
初めてウクレレのチューニングを知った。ギターとはまるで違って不思議だった。
優しい音だった。
 
またある時は、現地の高校に連れて行ってくれて、最後に世界に一つだけの花を一緒に歌ってくれた。これはケリーが用意してくれていた。
 
とにかく音楽が好きな先生で
家とは別の建物に、ドラムやキーボードをおいて
ライブができるようになっていた場所にも
私達を招いてくれた。
 
そこで息子さん達が組んだバンドの演奏も聞かせてくれた。自分達で曲も作っていた。
当時はまだそこまで自作CDとかはなく、そんな時代に自分で自分の曲をCD-Rに焼いていた。
 
因みに息子さんは金髪に近い茶髪のウェービーなセミロングで、かっこよくて、背が高くて、小学生に見えなかった。作る曲のセンスも演奏する姿もなんか洋楽ミュージシャンだった。
 
当時の私にとって全てが衝撃だった。
オリジナルを作ることを諦めていた私からすると、目の前の小学生はずっと先を走っていた。
その頃の私は、初めてまともに作った曲を
友人に「青いな」と言われ
オリジナルなんてダサい。と思っていた。
サークルでオリジナルを小馬鹿にする風潮もあった。だから諦めていた。
 
そんな時、ケリーに
曲を作ったらいいのに
と何気なく言われた。
 
でも私は、素人のオリジナルなんて
作っても意味ないと思っていたので
否定した。
 
 
 
色んな体験をした、プチプチ留学も最終日となり
私は、最後まで面倒を見てくれたケリーと別れを惜しみながら、モーテルでさよならをした。
彼は友人と私にハグをして、笑顔で去っていった。
誰よりも優しくて、心が豊かな人だった。
綺麗な心を持った人だった。
 
 
それから帰国した私は、オリジナルバンドを遊びで組みはしたものの
何故かドラムを叩いていた。
 
何故か、ではない。
タブ譜がないと
ギターが弾けなかったのだ。
 
そして、青いなと言われた曲しか持っていなかった私は、自分の曲を持ってくることはなかった。
 
 
 
少し経って、私は社会人になった。
 
早速、社会人としての自信をなくしながら
休みの日、桜を見たくなって
公園に行った。
そこでアマチュアバンドが演奏していた。
 
それを聞いて、ふと
自分はもっと良い曲が作れる(超失礼)
という根拠のない自信が湧いた。
(ほんと、めちゃくちゃ失礼だ・・・)
 
それから、通勤電車の中で歌詞を書き
メロディを脳内で歌う日々。
 
そんな中
 
ああ、私、ケリーの言ってたこと
もっと早くに素直に受け入れればよかった。
 
ともの凄く思った。
 
 
ケリーは
ただ純粋に好きでやりたければ
やってみたらいいのに
と不思議そうにしていた。
 
私は出来ないと決めつけていた。
 
 
そこから、私は曲を作り始める事になった。

こんばんはお月様


最近は音楽から遠ざかりがちなスパです。

でもいつだって側にあります。ただ、アイデアが枯渇してるだけ。。


今回はそんな状態に陥った心境についてですが、長いですびっくりそれはとてつもなく。



自分の音楽は、どちらかというと否定や拒否されがちな内面を見つめて、無理に消そうだとか良くないとか思わなくて良い。という気持ちが入ってて。

悲しいとか辛いって、良くない。暗い。マイナスイメージだと攻撃というか、批判の的。

世の中、明るく前向きなものが良いとされるからさ。いつ何時でも。


涙は見せるな、笑顔なあの人だって、裏では苦労してる。それを見せないのは素晴らしい。という美徳って昔からあると思う。


泣くな、男だろ?というセリフ良く聞くと思うけど、これも。


でもそれが常識とされると、子供は正しいと思っちゃうから、幼稚園児や小学生だった頃は、いわゆる泣き虫な男の子が嫌いだった。

今なら何でそんな冷たいんや、、って思う。

色々あって、人の痛みが分かるようになった。


昔から大勢多数に上手く馴染めない部分もあり、悲しい思いをする事も多かった。

そんな中、自分の感情まで否定されたら、やりきれないじゃない。同じように思ってる人もいたりするかも知れない、と思った。


正直、良くないものとされがちな感情を曲にして歌にするのは、なかなかに勇気がいる。だって、自分も人間なので嫌われるよりは好かれたい。

変なやつだなって興味は持たれるのはまだしも、距離をおかれるのも、本当によく分からない人にだけ興味を持たれるのも怖い。


本当はいたって普通の人間。ちょっと見え方や感じ方が違うだけ。


そんなこんな悩みつつ、まあいいかと思ったり、思い直したりしながら作り続けていた。


しかし、今、昔と同じように作れなくなっている自分がいる。やっぱり聞いてくれる人の事を意識するようになったからだ。


聞いて楽しくなる曲を求めている人の方が多い。それは当たり前で、前から分かっていたこと。だけど、やっぱりそれを直に感じる事で、歌う事がいいのかどうか分からなくなった。


バンドで演奏する分には、楽曲として届く面が大きい。だから、それぞれの演奏や曲の面白さが伝わるような気がする。


でも、弾き語りは歌がダイレクトに届く。歌詞をきちんと聞くタイプの人には、どんどん沈み込む感覚を与えてしまうかもしれないし、聞くことすらやめてしまうかもしれない。


自分にもそれが作用する事がよくあった。

曲の表現の一部と割り切れる時はいいけど、持っていかれる事もままある。


あー、なんかやだな。気乗りしないな。と思ったり、でもやっぱり面白いわ、自分にしか出来ない色が出せてるわと思う事もある。


自分の色を出すとそうなる

だから、それがなくなると面白さがなくなる

と思い込んでいるところもある。


考えると大体上手くいかない。

感覚で作ってきた人間だから。


自分も聞く人も、沈み込むような音楽をしても意味がないんじゃないか。


まあ、そんな事は前から思ってたけど、より強くなった。

前はその迷いがあっても、1人でも誰かしら何かしら興味を持ってくれる人が不思議といたりして、それで作り続けられた。


今は興味を持ってくれる人がいても、なんでだろう、他の大勢には響かない事を目の当たりにしてびびってるのかもしれない。

歌ってるうちに自分が沈み込む事にも、びびってるのかもしれない。

最後に出たライブでそれを感じて、そのままこのご時世に突入したせいで、印象が強かったのかも知れない。


つまらん曲を作ってるつもりはないし、カッコいい曲作るやんとすら思ってる今も。


でもなんだかギターを持つ事から、気持ちが遠ざかってる。


環境が戻ったら気持ちがわかるのかも知れない。あの薄暗くて、なんとも言えない、緊張感とあったかい空気の入り混じる独特な空間に身を置く日が戻ってきたら、またその時の気持ちに従うだけなんだろうな。


とりあえず皆に会って、音楽をしたい。