咲き誇るという言葉がぴったりの、バラの季節。


若い頃パリ国立高等音楽院で、シタールのムタル先生のクラスで、インド音楽を2年間学んでいた。



その頃はまだ「タブラ伴奏者」のラモン(素晴らしいドラマーでもあった)がいて、彼の繰り出すリズム(ターラ)に乗せて、ラーガのテンポの速い部分(ドゥルット)をやるのが、私が一番得意なところであった。自由でゆっくりな前奏部(アラップ)は、けっこう苦手だったのだけれど。

そんな私のことを先生はよく「リズムマシーン野郎」と呼んで褒めてくれたものだが、一度だけ調子に乗ってテクニックに任せて速吹きして、タブラのリズムよりも先走った時、ものすごく怒られたことがあった。

「ミエ!音楽はエンターテインメントじゃないんだ!二度とそういうマネをするな!」

その言葉は今も私の中に深く刻まれ残っている。
きちんと怒られることの、いかに大切なことか。その瞬間から私は、音楽とはきちんとリズムや音程を聴き取りそれに則って、音楽のためだけに演奏するものであり、自分をアピールしたり、楽しみでやる自己本位とは次元が違うのだということを悟ったのである。

今日、20年前の即興アトリエ一期生であるDちゃんから、自分が作曲して自分が演奏しているヴィデオが送られてきた。

Dちゃんは昔から色んな才能に溢れた優秀な生徒で、国家ディプロマを得て最近パリ郊外の音楽院のフルート科教授に就任したばかりであるが、即興アトリエを出た後はパリ地方国立音楽院のフルート科というエリート校で挫折を経験したという。

「そこでは「クリエーション」と題して各自毎学年末に何か自分の個性を表現できるものを発表しないといけないんだけれどね、表面的なエンターテイメントがもてはやされ、そういうのを受け入れなかった私は、作曲なんてあんたに出来るわけないって、散々みんなに言われたの。でもこの歳になって、自分で作曲したいという気持ちが湧き出してきた。即興しているとね、そのフレーズがどんどん繋がって、自然に曲になったのよ。どうしてもミエに聴いてもらいたかった。だってあの即興アトリエがなければ、私がこういう気持ちになることがなかった。私が音楽とは何かを学んだのは、間違いなくあの即興アトリエよ。」



現在うちの音楽院でも、「格式ばった課題曲と選択曲、という形式の試験をやめ、もっと生徒の個性を重視した自由な想像力を評価するオープンな発表を試験に取り入れましょう」という今流行の、似たような試みが行われている。

そこではまさに、生徒の「個性」と題して音楽をエンターテインメントと履き違え、なるべく審査員のご機嫌を取るべく奇を衒った、とんでもなく低級で下品な発表がまかり通る。

そういうものを彼らは「クリエーション」と恥ずかしげもなく呼ぶのだ。

こういう根本的に間違ったクリエーションの解釈によりおかしなエンターテインメントを祭り上げ、それが音楽とは無関係であると分かるDちゃんのような本来のクリエーションの才能を隠し持っている子供が、あなたはクリエイティブでないと批判され、どんなに傷付けられているのだろうと思うと、いたたまれない気持ちになる。

でも心配ない。偽善を振り翳している側には音楽で表現できないというコンプレックスがあり、喜劇をやることでそれを誤魔化すしか方法がないのである。



源泉に繋がっている子は、どんなに批判されようとも、必ず芽が出るのだ。

きちんと叱ることで、音楽と偽物との線引きをしてくれたムタル先生に感謝したい。

思えばフルートの師ニコレも、音楽と音楽でないもの差を、ピシャリと教えられる人だった。
今このような先生が一体存在するのだろうか。

そして私の生徒であるDちゃんが、その理不尽さを乗り越え、ついに自分の底から湧き出る音楽を汲み上げることができたということ、そして即興アトリエがあったからクリエーションと繋がれたということ、これほど嬉しい報告があるだろうか。

晴れ晴れとした青空のような彼女のみずみずしい自作演奏は、私たちが音楽を愛している限り、どんなに偽善が多数派であろうと希望を手放してはだめだよと、20年の時間軸を超えて、逆に教えた方の私へと教えてくれる。

ニコレ、ムタル、私、そしてDちゃん。世代が変わっても、私たちは音楽を通して根っこのところで繋がっているのだ。マイルス・デイヴィスが最初の先生の教えを一生守ったように、私もこの教えを必ず守り通して行かなければならない。


ジャズはここにあり、そして去る。それは「起こる」だけなんだ。奏者はその為に存在するだけでいい。それはシンプルなんだ。

キース・ジャレット