私がパリ国立高等音楽院時代にジャズを見よう見まねで始めようとした時、私の周りにいた人たちが「鼓膜の祭典」(ル・サークル・ド・タンパン)であった。今では彼らはフランスを代表するビッグバンドとしての地位を築いている。


始まりはフランス・フリージャズの重鎮サックス奏者、若き頃のクリストフ・モニオだったと思う。その派手な格好は音楽院でかなり目立った存在であった。その彼を目印に、科を超えて(時にはトランペットのメデリック・コリニョンといった音楽院外のミュージシャンまで)集まっていた仲間たちが「サークル」だったと思われる。


今パリ国立音楽院がどうなっているのかは分からないが、当時、クラシックとジャズの生徒がどちらも在籍したインド音楽科のある地下を中心に、よく私たちは情報を交わしては、サークルを始めとする話題の現代ジャズのコンサートを聴きに、夜のパリに繰り出したものだ。そうしてサークル創設者で素晴らしいベーシスト、作編曲家であるフレッド・パレムにもコメディー・フランセーズなんかのコンサートに数回連れて行ってもらった思い出がある。__彼はその頃から老成していて、かなり歳上のお兄さん、といった雰囲気だったのだが、実は同い年だ__そうやって、音楽院外で最新の音楽を学ぶ機会に恵まれたのである。


さて、それから20年以上が経った。私の教えているパリ市立19区音楽院の即興アトリエの生徒の一人、ホルンのMくん__彼は全く目立たないおとなしい生徒__が、ある音楽をワッツアップで送ってくる。「この音楽が好きなので、アトリエで演奏できませんか?」それが何と、サークルの最近のCDに入っている一曲であった。「ちょっと待ってね。。。この曲を編曲した人私知ってるから。連絡して楽譜を貰えるか聞いてみるわ。」


そうして20年ぶりにフレッド・パレムに連絡する。驚くことに彼は私のことをよく覚えていてくれていた。そこで、私のアトリエと共演プロジェクトをすることを提案してくれたのである。


果たして、3ヶ月の練習を経たプロジェクト最終日、サークルとの共演コンサートは結果的に大成功したのだが、生徒たちや私たち先生チームのジレンマ、涙、怒り、それを通り越した時の喜びに溢れた、大揺れのプロジェクトとなった。


サークルという、フランスを代表するプロミュージシャンたちを納得させる演奏をするために、普段のやり方では到底通用しなかったからである。先生チーム(私とドラマーのエッジとパーカッションのクリストフ、ブラスバンドの日本人教授いずみちゃん)も、途中で編曲や曲目の根本的な転換を余儀なくされたり、態度の悪い生徒や練習の足りない生徒の親に電話したり、個人的にディスカッションしたりと、家族まで巻き込んで音楽に対する態度を考え直す、これとない機会となったと思う。


快適に足を組んで座したまま、義務的に1週間に一度のレッスンに無感動に来て、喋りながら適当に楽譜をなぞっている、そんなので音楽が出来るわけない。今日、フランス社会は明らかに生徒たちに多くを与えすぎなのだ。飽食の時代。何をやっても許される時代。授業中に喋っても、遅刻しても、練習しなくても許される。フロイトのいうように、親が過保護だったり与えすぎた場合、子供が失敗したり試行錯誤する機会が奪われる。結果自主性や自信が育ちにくくなり、他者に依存するという。音楽でも同じで、極限まで追い込まれて、揺れに揺れて考え直してやっと音楽が出て来ると私は思っているから、そういう風に教えたいと思っている。


即興の面では、フランス国立ジャズオーケストラでも活躍する、サークル所属のサックス奏者レミ・シウトが教鞭をリードしてくれたお陰で、ジャズやブルースのタイムや構成に対する意識、理解が深まったと思う。私にとっても、レミと久しぶりに会えて、彼ならではの哲学が創り出すますます深みを増したインプロヴィゼーションに触れられたこと、とても嬉しかった。そう、「インプロヴィゼーション」とはその人の人生が作るのだ。


そして何より一番嬉しかったこと、それは前述のホルンのMくんが、このプロジェクトの発端となった提案曲を、自ら打ち直し、かつアトリエの為に全アレンジし直してくれたことである。


プロジェクト核心となったこの曲は、フレッド・パレムがPDFスコアは所持していたものの、ソフト上のスコアとパート譜が全部紛失していたため、演奏したくともアトリエ用に再編曲出来ない状態だったのである。


私は自分が編曲をするから、これだけの量の音符を打ち直し編曲し直すのにどれだけの労力が要るかよく知っている。それを一からやるというのは、余程の情熱があるということだ。遅ればせながら出来てきたその編曲は、アトリエのメンバーが一番気に入って練習し、コンサートでは大熱演となった。授業では普段はおとなしいMくんがこのパートが聴こえない、ここはこのニュアンスで、という風に先導する役割を果たした。これには、怠惰な生徒たちに厳しかったフレッドも舌を巻いたようだ。



本当に好きなもの。その情熱を形にすることこそ「クリエーション」の原点であり、その情熱をみんなで共有する。こんな素晴らしいことが私たちのアトリエで起こったということが、私にとって一番嬉しいことだった。それこそが30年続いて来た「サークル」の原点でもある。


単にうるさく自己主張する人間が「自主的」だとされ、そういった表面的な「クリエイティヴィティー」をお上が強要するおかしなご時世にあって、Mくんは、それを横目に黙って学び、ひとりで作譜ソフトの勉強してスキルを身につけていたのだ。あっぱれである。どんな時代であろうと、私たちのアトリエだけは音楽のサンクチュアリであって欲しい。それが私の願いである。


コンサートが終わって、フレッドとお別れの言葉を交わす。


「大変だったでしょう、この今の音楽院の状況。知ってる?パリ市立の音楽院はね、今入学がくじ引き制なのよ。。。「音楽の民主化」だとか何とか言って、やる気のない生徒にものべつくまなしに権利を与える。でもね、音楽はそんなんじゃない。より良い音楽への希求、それだけだよ」


「全くそうだ。君に賛成だよ。いつでも何かあったら僕に連絡するんだ」と言ったフレッドの深い眼差しは真摯で、私たちの変わらない友情を映し出していた。


そうして私たちはまた別々の世界に戻っていく。


冬晴れの日曜日。パリの中華街で中国の新年を祝う人たち