戦前の「少年団」の時代から入団し、会社への就職(戦後、昭和27年)も、ボーイスカウト活動を支援・実践していた専務に気に入られて入社したらしい。
自分《Spinflop》も、父とは別の団であったが、高校生くらいまでは活動していた。残念ながら受験などで忙しくなって自然に止めてしまった。
その後、大学生になり、一度だけ、ジャンボリー(四年に一度の大会)の引率手伝いに行ったことがある。
父の方は、90年代初め頃までは、団に所属したり、県連のコミッショナーとして活発に動いていたようであるが、90年代半ば頃、「キャンプに行っても子供がスマホ(当時はケータイ)ばかり見てる」 と、嫌気がさして、スカウト活動を止めてしまったようだ。
その後は「老人のためのパソコン講習会」のNPOを立ち上げたりしていた。このNPO活動についてもいずれ記す。
▽応接間の飾りになっていた。指導者章付きのスカウトハット
▽ホイッスル、ループタイ、伝令カバン、ネッカチーフ等
▽シルバーコンパス。これと地図でずんずん歩いて行って、ハイクやオリエンテーリングを行うのだ。地図には何本も磁北線を引いて置くと、コンパスの縁を合わせるだけで良い。
▽革細工が好き、と言うか、スカウト活動指導のために、練習して覚えたらしい。集会で子供たちに作らせるらしい(シニア隊かも知れない。あるいは指導者講習会だったのかも知れない)。
▽地図上の距離を測る道具(ペリメータ、と聞いていたが、キルビメータとか、マップメジャーと言うらしい)
▽昭和三十年代だろうか。どこかの野営地にて。指導者たちの写真。父も写っている。
▽10月の掃除(仏壇閉眼供養で行ったとき)に発見した父親のナイフ(右)。真ん中の細いのは自分用。
▽次はここ。