◎ 2014年10月11日(土) 奉拝
大雄山 最乗寺 (HP→★ )
少し間が空いてしまいましたが、
最乗寺の続きです。
見所&写真が多すぎて3回に分けてご紹介せねば。
ということで、前回 は入口から御本堂まで綴ったので、
本日は御本堂の先から奥の院入口までお届けします。
大雄山最乗寺全景 (詳細はこちら→★ )
いざ、御本堂の先へ。
鐘鼓楼 (道了鐘)
楼上に鐘鼓等の鳴らし物を掛け、日常修行僧の身体を指揮する。
庭園や草花が好きなので、見つけるとすぐ撮ってしまう。
↓上から撮影
金剛水堂
当山開創の時、道了様が自ら井戸を掘り土中から鉄印を得た。
これが当山重宝の御金印(おかのいん)である。
その跡から霊泉(金剛水)が湧出、以来600年、
この霊泉を飲むものの諸病を癒していると、伝えられている。
天上に千社札が沢山貼られてて、あんな高い所にどうやって貼るのか疑問。
開山堂
昭和36年再建。開祖了庵慧明禅師尊像等、歴代住持霊牌を祀る。
本堂と共に昭和の総檜造りの名建築である。
一擲石 (いってきいし)
妙覚道了の伝承の一つで、寺を建設中、開祖了庵慧明が「道了道了」と呼ぶと、
持っていた大石巨岩を立ちどころに捨て、走って禅師の下に至り用務を済ませた。
その時に捨てた岩だといわれている。
↓またまた上から撮影
お寺参拝もさることながら、まだ早かったけど「紅葉狩り」も目的の一つだったので、
色づいたらキレイだろうなぁ~と想像させる風景写真を沢山撮ってみました。
絵になる場所が沢山ありすぎて掲載写真を絞りきれず、
けっこうな枚数になってしまい、さぞ重かろうと思いますがご容赦を。
鐘楼
1本1本に昇り竜が施されてたりして、なんとも縁起がよく
鐘楼の柱がここまで凝ってるのは初めて見ました。
手水舎
多宝塔 (たほうとう) <南足柄市指定重要文化財>
文久3年(1863年)建立。多宝如来を奉安、方形層上円形木造二重の塔。
結界門・御供橋
結界門より道了大薩の浄域とされる。
その手前に御供橋・圓通橋があり、中央に御供橋、両脇に圓通橋が並行している。
御供橋は白装束を身にまとった修行僧が道了様へのお供えをする時に使用する為の橋で、
普段は通行する事ができないようになっている。
この橋は、「かながわ橋 100選」の一つに数えられている。
御供橋の先は帰りに見学するので、先に右側へ行ってみる。
↓滝に釣られて横道へ入ってしまい、すっかりお庭を満喫してしまったが、
実は正式な参拝ルートからズレてることに気づいてないヤツ。(笑)
洗心の滝
海・湖・沼・川・滝など水場が好きで、庭園や苔も好きな私的に、
もう↑こんなステキなお庭があるお寺は上等すぎて大興奮!!
これで紅葉してればきっと天国みたく最高だったに違いない。
水神
↓振り返って御供橋と結界門をパチリ。
やぁ、ステキな景色が多すぎて
カメラ好きさんだったらたぶん1日中ウロウロ楽しめそうな山だ。
↓滝の横から山登り
↓今来た道を上からパチリ
↓さらに上へ登りまーす。
手水舎 寺務所
御真殿 (妙覚宝殿 / みょうがくほうでん) ※大雄山最乗寺最大のパワースポット
結界門をくぐり右手の77段の石段を登ると、御真殿(妙覚宝殿)に着く。
当山守護妙覚道了大薩をご本尊に大天狗・小天狗が両脇侍として祀られている。
朝晩の祈祷から日中の特別祈祷が、修行される道場。
御真殿の横には↓天狗の扇や下駄が沢山あって圧巻。
■最乗寺の天狗伝説 (参照→★ )
了庵慧明禅師(りょうあんえみょうぜんじ)の弟子だった道了尊者は、師匠の了庵慧明禅師が最乗寺を建立することを聞いて、近江国の三井寺から天狗の姿になって飛んで来て、神通力を使って谷を埋めたり、岩を持ち上げて砕いたりして寺の建設を手伝いました。
そして了庵慧明禅師が75歳でこの世を去ると、寺を永久に守るため天狗の姿に化身して舞い上がり、山中深くに飛び去ったといわれ、以来、寺の守護神として祀られています。
最乗寺の境内には様々な天狗像や天狗の下駄にちなみ、世界一というわれる下駄をはじめ、大小さまざまな下駄が奉納されています。
和合下駄 (世界最大の高下駄<3t>)
身長175cmの旦那はんとほぼ同じ高さ。
※下駄の下をくぐると御利益があるとか。
十一面観音菩薩
烏天狗
烏天狗は修験者の守護神でもあるそうだ。
天狗のイメージが自分の想像とちょっと違ってたけど、
具体化した像を見るとなんとも神秘的!
しかもキツネに乗ってる天狗って何かすごーーいっ
しかし、ココで驚いてたらいけないのです。(笑)
この先、奥の院への参道にもいろんなお姿の天狗がちょいちょい現れ、
けっこうな迫力で見応えバッチリ!
とりあえず↓来た道をパチリ
↓この先が奥の院の参道だ。
運動不足の私としては腰が引けそうな石段の数だったけど、
「奥の院」見たさに頑張りました。
・・・というお話はまた後日。
つづく