◎ 2019年1月19日(月) 奉拝
くまのざん いしてじ
熊野山 石手寺 (HP→★)
※四国八十八ヶ所霊場 第51番札所 (四国八十八箇所霊場会HP→★)
愛媛(松山・今治)の神社仏閣巡り、第4弾は道後温泉の近くにある有名なお寺です。
愛媛県にある49の国重要文化財(建造物)の内7つも石手寺が保有してるとか、ミシュラングリーンガイドジャパンで1つ星に選ばれたり、四国遍路の元祖といわれる衛門三郎伝説ゆかりの寺とか、弘法大師ファンに人気とか、愛媛県の初詣参拝者数No.1などなど、なかなか楽しみなお寺であります。
ということで、道後温泉から移動。
↓県道187号線 (信号の先から国道317号線)、信号過ぎてすぐ右に専用駐車場(無料)。
駐車場の向かいに、↓何やら仰々しい仏像群があり絶賛建造中!?
皆一緒大仏
後日、たまたまネットニュースで目にしたのが、参拝した翌日、↓開眼法要が行われたそうで、あと1日ズレてたら完成形を拝めたのに惜しいぃ~みたいな!
さて、そんなこととは露知らず、わくわく参拝。
↓道向こうが参道、何やらとってもゴチャゴチャした雰囲気。
所狭しといろんな石像やら銅像やら句碑やらテンコ盛りすぎて、どこから見ていいのか迷うほど。
とりあえず片っ端から撮影しまくったものの、途中からもうイッカ的に、いざ前進!
弘法大師お道開きの橋 (↓お地蔵さんが並んだ橋)
弘法大師が渡ったと伝えられており、以降誰も渡ってはいけないと言われてるらしい。
手水場
衛門三郎像 (↓正面の座像 / 四国遍路 第1号と伝わる人)
■衛門三郎伝説について
1200年前、荏原(えばら)村に衛門三郎という強欲な大地主がおりました。ある日、屋敷の門前に生き倒れそうな薄汚れた僧侶(若き日の弘法大師)がいて、乱暴に追い払おうとした際、僧侶が持っていた鉢が8つに割れてしまったのです。その後、何の因果か相次いで8人の息子が亡くなってしまい、自分これまでしてきた非道な行いを悔い改め、弘法大師にも謝罪しようと四国八十八ヶ所の寺を廻る旅に出たのですが、八十八ヶ所を20回廻っても弘法大師には会えなかったのです。
そこで今度は八十八番札所を逆に廻ってみたのですが、第十二番の焼山寺(しょうざんじ)付近で病に倒れてしまいました。すると傍らに弘法大師が現れ、瀕死の衛門三郎はやっと謝ることが出来たのですが涙で言葉が続かず、その姿を見た弘法大師は近くの石を拾って「衛門三郎再生」と書き、衛門三郎の左手に握らせたのです。衛門三郎はそのまま静かに亡くなりました。
それから時は移り変わり、伊予の豪族 河野息利に長男が誕生するも、左手を固く握って開かないため安養寺で祈願しました。すると手が開かれ、しかも手のひらに「衛門三郎再生」の石が握られてたのです。その石は安養寺に納められ、寺号を「石手寺」と改め、「玉の石」として現在も宝物館に安置されているそうです。
また衛門三郎が「逆打ち」で廻って弘法大師に会えた年が閏年だったことから、閏年に「逆打ち」すると弘法大師に会えるという伝説が言い伝えられています。
いやはや、とにかく見るもの多すぎて、あっち行ったりこっち来たり。
↓石手寺名物 やきもち (食べてないし)
↓石畳の参道と出店 (回廊)
平日の午前(11時頃)だからなのか、思ったよりもまばらな参拝者数で、お初の我ら的にはジックリゆっくり見学できて有難やぁ。
↓回廊の先、仁王門の手前にお寺がありました。
横谷山 地蔵院 (伊予十三仏 第五番札所)
こちらは帰りに寄ってみようと思います。
仁王門 <国宝>
■仁王門<国宝>について
今から670年前(文保2年/1318)に建立。
雄功豪抜な鎌倉期の特徴を発揮しており、楼門の蛙股は湛慶の作と云われ、その繊巧秀美なることは当代の傑作といい、また左右の仁王像は雲慶の作といわれ県指定文化財ています。 高さ7m、間口は三間、横4m、二層入母屋造り本瓦葺き。約3mの大草履は4年毎に架け替えられる。
↓仁王像 <県指定文化財>
↓大わらじ
足の悪いところに願掛けすると良いらしいので(ひざは悪いが足の裏は平気w)、とりあえず1円をねじこんできました。
老後も足腰元気で、旅しまくれますように。
↓仁王門の裏側
せっかくの国宝なのに政治的な文言が気になるものの、縁起物も多くてなかなか賑やかであります。
境内
これまた境内も所狭しとイロイロあり、どこから見学すればいいのやらぁ~みたく、いつものお寺参拝時は心穏やかになれるのですが、今回はなかなか慌ただしいです。
長くなりそうなので、続きはまた今度ということで。
石手寺
愛媛県松山市石手2-9-21
TEL 089-977-0870