2011年7月、福島ドライブの続き。
3日目の午前中。
会津武家屋敷 にお邪魔しています。
ってことで、前回の続き。
「表門」から敷地内に潜入、「片長屋」内にある
「第2資料館」を見るよ。
入口の手前にある木造の物体は
←「酒槽(さかぶね)」というそうだ。
もろみの入った酒袋をたくさん入れ、押しぶたを押すと
底の蛇口から絞ったばかりの酒が流れ出る仕組み。
第2資料館
幕末動乱における会津藩の軌跡を分かりやすく展示。
戊辰戦争中に、最も多く使用されたそうだ。
←西郷頼母一族の自刃を再現。
慶應4(1868)年8月23日、
西軍の侵攻は疾風の如くであった西郷頼母が
登城した留守宅では、妻の千恵子を筆頭に
一族郎等21人が全員自決を遂げた。
↓この様子は、弾雨を避け邸内に入った西軍藩士 中島信行が、
死にきれず息も絶え絶えの少女から介錯を求められ、涙ながらこれに応じた悲劇を再現した。
・・・というような悲しい場面でして。
↑こちらの展示場の前には小さな祭壇を設けていて、
訪れる方々が自由にご供養できるようにもなっていました。
うぅ~ん、昔の人の忠誠心とか気品とか誇りとか??って、
今じゃ考えられないほど高いものなんだなぁ~と改めて思った次第。
鹿鳴館の華、大山捨松
会津藩家老 山川尚江の末娘で、明治4年(1871)、日本初の女子留学生として渡米し、
名門女子大バッサーカレッジに学び、11年間の留学後に帰国、
鹿鳴館などで活躍し、日米親善の先駆者となったらしい。
さてぇーーー
第2資料館には、他にもたぁーーーくさんの資料や展示品があったが、
インパクト強いものだけを紹介しました。
続いては、
いよいよ家老屋敷に潜入~!
↓かなり広そぉ~
お土産屋さんがありました。
一瞬、これも展示品かと思った。
それから、屋敷内は土足禁止なので、
この辺りで靴を脱いでトボトボ見学。
←50m走とか出来そうな長い廊下。
屋敷内警備の家来達が詰めていた部屋。
どうでもいいが、
甲冑とかってなんか不気味で苦手なんだけど。
↓ところどころでお庭が見えて和む~
←外から見るとこんな玄関。
城からの使者が家老と会った部屋
↑この部屋では、大河ドラマ『新撰組!』のロケが行われたそうで、
松平容保公役は筒井道隆、広沢富次郎役は矢島健一・・・が来たのかな!?
ってか、そのドラマ見てないしぃ。
お庭好きぃ~
造ったばかりぃ~~みたいにキレイで良かった。
↑ここには天井板がないんだそうで、敵が忍び込むのを防ぐためなんだとか。
時代劇じゃないけど、
ほんとに忍者みたいなのが居たのねぇ~!?
←こんな感じになっていて、砂を敷いた箱の中に
ボトンと落ちる仕組み。
今で言うところの、ペットのおトイレみたいな!?オイオイ
んで落ちたブツを見て健康状態とかチェックしたみたい。
「検便」の歴史って古いのねぇーー。
御成の間に来客があった時、
ここでお茶をたてたんだそうで。
←表居間
家老の執務室として使われていたそうだ。
第2資料館に再現してたシーンが、
実際にここで行われたんだと思うと、
フツ~に見学してていいものだろうか
と思ってしまったが、
とりあえず仏壇に向かって合掌。
てか、ホントに広いなオイッ。
家老の寝室として使われてた場所なんだそうで、
↑この場面は、『父の寝室で遊んでる子供達を、母の千恵子が叱ってる』ところなんだって。
右が頼母の3女 田鶴子(たづこ)、左は4女 常磐子(とわこ)、
ちなみに奥様 千恵子は34歳とのこと・・・細かぁ~(笑)
思うに、どうせ何かのシーンを造るなら、もっと楽しい場面だったらいいのに・・・
と思ったのは私だけですかねぇ~
←奥様の化粧部屋
桧作りだそうだが、竈(かまど)がないので、
お湯は台所で沸かして、手桶で運んで使ったそうだ。
台所ってめっちゃ遠いのに、いったい何往復するのやら、
現代人に生まれて良かったァァーーーー!
さてぇーーー
だいたいこんな感じの見学コースができていて、
かなり見応えありました。
そして最後は
←入口の「台所」に戻ったよ。
とりあえず、
靴を履く前にお土産でも見よぉ~っと
↓いかん、こうゆう健康的なジュースを見ると絶対欲しくなる、自称「健康オタク」。
そんなこんなで、靴を履いて外に出て、
何気に概観の撮影してたら、↓おっさんが入ってたヨ。プッ
ちなみに、嫁のバックは強引に持たせてるわけじゃなく、
おっさんが自ら進んで持ってくれているので、決して「鬼嫁」じゃありまへんからぁ~
カメラ撮影しながらだと重いでしょって、
観光地では大体持ってくれる優しいダンナはんです。
いつもありがとぉ~
外からもチラっと屋敷内が見えるのねぇ~
さてさてぇ~
あともう1回分ぐらいのネタがあるので、
続きはまた明日にしよぉーーーと。グッタリ
つづく