【『イニシエーション』執筆の経緯⑤~大師とアリスとの本格的な共同作業の展開】 | 神尾学と学ぶ!スピリチュアルの王道

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 現代社会を生きる私たちが秘教を学ぶ重要な意味の一つに、

私たちの日常生活での意識をはるかに凌駕する

高い意識領域で起きる現象を、正しいバランス感覚をもって

見る目を養う、ということがあります。

 

 例えば素晴らしいと思えるチャネリング情報と

秘教文献の情報の関係はどうなのか?

 

 チベットの素晴らしい高僧と、

「チベット人」=ジュワル・クール大師の関係はどうなのか?

 

 インドの聖者方と、

「チベット人」=ジュワル・クール大師の関係はどうなのか?

 

 はたまた、最近よく噂される宇宙人たちと、

大師~ハイラーキーのマスター方との関係はどうなのか?

 

 といったような問題です。

 

 世界情勢の推移を真剣に追っている人たちには、

これは単なる知的興味を超えた、現代人、現代社会にとって、

切実な問題であることがご理解いただけると思います。

 

 

 10月から取り上げる『イニシエーション』という作品は、

その理解のベースをつくるための最善の導入書である

といえます。

 

 また、この数日間ご紹介しているアリス・ベイリー自身の

『未完の自叙伝』は、大師方との交流の実際の状況を

伝えることによって、

読者に、さらに正しいバランス感覚を掴んでもらうことを

意図して執筆した、と記されています。

 

 昨日は、アリス・ベイリーが自身の師である

クート・フーミ大師との接見によって、

ジュワル・クール大師からの依頼を受け入れたところまで、

お伝えしました。

 

 それによって本格的な共同作業がスタートし、

以降30年間で18冊(といっても、

日本語翻訳では40冊以上で、

その半分は500ページ近い作品)の口述筆記による作品が

生み出されました。

 

 大局的にはアクエリアス時代を開幕する時期を迎えた

人類への大きな福音となる業績が成し遂げられたわけですが、

そのプロセスは当然のことながら順風満帆、

というわけではありませんでした。

 

 以下の記述の中に、

最初の作品『イニシエーション』の口述が始まった際、

神智学協会の機関誌に掲載されたものの、

協会の重鎮たちの反発によって、

以降の掲載が中止になったことが記載されています。

 

 これは、当時の神智学協会が(2代目のリーダーだった)

リードビーターのグラマーによって

歪んだ権威主義に陥ってしまったためだと言えると思います。

 

 それによって、アリス・ベイリーは神智学協会を離れ、

アーケン・スクールという独自の秘教学校を創設し、

そちらをベースにして活動を展開するようになった、

という経緯がありました。

 

 

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 一九二〇年の春、私は私自身の

大師のアシュラムの古参の弟子として働きながら、

チベット人と共同作業をするという

とても幸せな時期に入りました。

 

 それ以来私は、

チベット人のためにたくさんの本を書きました。

 『イニシエーション』の最初の数章を書き終えてまもなく、

原稿をワディア氏に見せました。

 

 彼はとても興奮して、

「そのような源から来た」ものなら何でも出版すると言って、

インドのアディヤールで発行されていた

『ザ・セオソフィスト(神智学徒)』に

最初の数章を掲載しました。

 

 ところが、いつもながらの

神智学徒的な嫉妬と反発的な態度が現われ、

それ以上掲載されることはありませんでした。

 

 チベット人の文章は年を重ねるごとに良くなっていきました。

 

 当初彼は、どうしたら良いか分からないような

つたない英語で口述していましたが、

二人の間にはこの大いなる真理に適した文体と

提示方法が何とかでき上がりました。

 

 この真理を明らかにすることがチベット人の役目で、

私や夫の役目は人々の目を引きつけることでした。

 

 チベット人のために筆記し始めた初めの頃、

私は毎日数時間、

書き取る作業をしなければなりませんでしたが、

その口述ははっきりと聞こえる簡潔かつ明確なものでした。

 

 私がはっきりと聞き取れたと確信できるように、

一言一言伝えられました。

 最初は五感を超えた聴力を使っていたと

言えるのかもしれません。

 

 しかしすぐに、二人のマインドが同調するにつれて、

このような聴力は必要ではなく、

私が十分に集中し注目を十分に焦点化させていれば、

チベット人が自分の想念(入念に公式化され表現された想念)を

私のマインドに投げ落としたときに、

私はそれを感知し書き取ることができることに気づいたのです。

 

 そのためには、

注目を強力に焦点化させ維持することが必要です。

 

 それは、瞑想に熟達した人が自分自身の霊的な注目点を

可能な限り高い点に保持できる能力に似ています。

 

 これはおそらく、一所懸命になってしまう

初期段階においては骨の折れるものですが、

時が経てば、努力は必要ではなくなり、

その結果、思考は明晰になり、その刺激は

肉体に対して間違いなく良い影響をもたらすようになります。