昨日お伝えした、ホリ協スピエネット10月1日の第1回の発表が近づき、慌てて準備を再開です。
この時期、そんなに時間が取れないことを計算に入れて、先月から余裕のあるときに、ミッチェルの紹介をしてきましたが、「秘教モード」とかなり違うので、切り替えるのに少し時間がかかります。
「量子医学」の方の理解がもっと進めば、「切り替える」という感覚なしに、両者が完全につながるのだと思います。
デーパップ・チョプラほか、そういう感じを掴んでいるであろう方も数人把握しているので、この際、時間がとれれば、そういった作品にも手を伸ばしたいと思っています。
秘教の解読の方も、時間があればあるだけ進めたいので、いつもそこで、せめぎ合いが続きますが。
研究者に限らず、真面目に前向きに努力されている人たちは皆、そんな選択に迫られ、どちらかを捨てることによって、自分の道を選んで行っているのだと思います。
さて、今日も時間がなくなってしまったので、とりあえず、意識を切り替えるために、『フィールド』より「非局在性」に関わる文章を、紹介させていただくことにします。
**************************
「科学者たちは宇宙全体にまたがる普遍的な結びつきを認めようとはせず、それを量子の世界、つまり生命のない世界だけに限っていた。
量子物理学は、原子内の世界に「非局在性」と呼ばれる奇妙な性質を発見していた。
この言葉は、電子のような量子的実体が、どれだけ離れた別の量子に対しても、力やエネルギーの交換なしに影響を与える能力をもつことを意味している。
いったん接触した量子どうしは、その後どれだけ離れていても、いつまでも互いに影響を与えるというのだ。
・・・
非局在性という概念は、物理学の核心となる土台を粉々にした。
物質はもはや分離した独立の存在ではありえなかった。物理作用には、観測可能な空間における観測可能な原因が必要なくなったのだ。・・・
原子内の粒子は分離した実体としては無意味であり、粒子どうしの関係においてのみ理解されるものだった。
世界はその根源において、相互に関連しあい、永遠に分離不可能な複雑な網の目として存在していた。
このたがいに結びついた宇宙において、なによりも重要な構成要素は、その宇宙を観測している生命の意識だった。」
***************************
ということで、ニュートン物理学を適用して考える範囲においては、考慮する必要のなかった「意識」という問題が、量子論をベースにして考える宇宙観では考慮しなければならない要因として出てきます。
逆に言えば、意識の問題を科学的に捉えようとする際に、量子論をベースにして考えれば、意識をも取り込んだ議論が可能になるとも言えます。
人類は、この3世紀の間に、ニュートン物理学を適用して行える科学研究はほぼやり尽くし、それを元に考える宇宙の姿には十分に馴染んで、自分のものとして消化してきたといえます。
そして、ある意味それは、もはやありふれた、特に刺激を生まないものになってしまいました。
一方で、量子論をベースにした宇宙観にはまだ馴染みが薄く、とらえにくいものの、ある意味とても新鮮で、刺激的で、それに魅力を感じる人が増えてきた、とも言えます。
ホリ協の11月のシンポジウムの方、申込者がかなり予想を上回っているようですが、大きな時代の変化の波が、本格的にこれから押し寄せようとしている予感がします。