水瓶座の時代 ~ ヨガのこれからの展開 | 神尾学と学ぶ!スピリチュアルの王道

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「ラージャ・ヨガの科学、つまり『魂に関する王者の科学』は、その主な解説者であるパタンジャリが記しているように、いずれは西洋で開花の頂点に達するであろう。

 それは、――周期性の法則のもと――第五根本人種が(その第五亜人種において)必然的にその科学の最高点を達成しなければならないという事実によるものである。

 様々な人種の営みにおけるその最高点は、グループ目標の達成と物質界でのグループ意識の発達のためにマインドを正しく活用し、魂がマインドを用いることとして実証されるだろう。」



今月の講座「メンタル体」で紹介するということで、少し前にもご紹介した文章です。

昨日書いた文章との絡みで、再度、取り上げたいと思いました。


インドで発祥したヨガが、本当に「西洋で開花の頂点に達する」というようなことが、あるのでしょうか?

有りうるとすれば、それはどのようなプロセスを辿るのでしょうか?

そして、今現在は、そのプロセスの中のどこに位置するのでしょうか?



まず、理解のポイントは、

ラージャ・ヨガを、「魂に関する王者の科学」と定義していることです。


インド文化の中で、ヨガは(どのようなものであれ)ブラフマンとの合一、つまり輪廻を卒業して解脱を達成し、人間を卒業することを目的とするものでした。

これは、確かに人間としては究極の目標ではありますが、今世で達成するにはあまりにレベルが高すぎて、現実的には不可能と言えるものでした。


それゆえ、ヒンドゥー思想~ヨーガ哲学に深く傾倒する人は、現実的な感覚をもちにくくなってしまうという傾向が、率直に言って、あると思っています。

しかしそれは、いまだ霊的進化という観点からは幼児期にある人類に、大まかな進むべき方向性を与え、導くにはそうするしかなかった、ということなのだと思います。


現実をすべてマーヤ(幻影)であるとして忘れ去り、ひたすら神やその象徴となる聖者に帰依することを通して、道から逸れないよう心がけることが、一番良い学びのプロセスであったわけです。

魂の一生、という観点から考えると、インドの四住期という人生区分で言うと、一番最初の学生期(ブラフマチャーリア)に当たる時期の過ごし方です。


運命はすべて神様におまかせし、それによって一切の不安を捨てて歩むことが許される時期です。

しかし、その時期を過ぎると、今度は起こることはすべて自分で責任を取らなければいけない時期に入ります。


ラージャ・ヨガにおいては、神や聖者に帰依しすべてをお任せするのではなく、自己の魂を唯一の拠り所とするわけです。

バクティ・ヨガにおける神や聖者への帰依は、まだマインドが育っておらず、魂との接触が難しい段階の人が、情緒・感情の世界であるアストラル界においてその代替物を求める行為である、と一般的に言うことができると思います。


(もっと高いレベルでのバクティ・ヨガ的なものを行っている方もいますが、実際にその方の意識の中で起こっているのは、通常語られているバクティ・ヨガとはかなり違うのではないか、と推測しています。

具体的には、「神」を秘教で言う「光線」として科学的に体感・吸収する、ということです。


しかし、結局それはその段階の意識を体現した人にしか理解できない世界なので、一般の人に分かるように表現するためには、一般の人の意識段階、つまりアストラル的なものに還元・象徴して語らざるをえない、ということでしょう。)


そして、マインドがある程度発達した人にとって、ラージャ・ヨガによって魂と接触することは、かなり現実的な目標となりうるものになってきます。

その人たちにとっても、解脱が非現実的な目標であることは変わりませんが、瞑想~サマーディにいたることは、可能な努力目標なのです。


そして、それを達成したあかつきには、人類を進化に導く真の啓示や、真のエソテリック・ヒーリングが可能になるわけです。

(それ以前のバクティ的な段階では、通常のチャネリングやスピリチュアル・ヒーリングになります。)

それを達成するためにはマインド、まずは低位メンタル体、分析的、左脳的なトレーニングを十分に積む必要があります。


昨日書いたように、ヨガが要素的、分離的になるのは、新しい段階に移行するための最初のプロセスとして、必要なことであり、その流れは必然的にそのような思考様式をもつ西洋から起きてくることになります。


以上が、最初の一文、

「ラージャ・ヨガの科学、つまり『魂に関する王者の科学』は、その主な解説者であるパタンジャリが記しているように、いずれは西洋で開花の頂点に達するであろう。」

に秘められた意味だと思います。


それによって、魂を開花させ、真の啓示やエソテリック・ヒーリングを達成する人が多数出てくるような社会を想像してみてください。

それは、今の基準からいくと、本当に夢のような世界であり、それを神からの恩寵として与えられるのではなく、人間・人類、自らの魂と結びつく努力によって獲得できる時代が、これから到来してくるのです。


そして、そのための最も強力なトレーニング手段が、ラージャ・ヨガなのです。

それがこの時期のヨガに託された役割であり、それを確実に科学的に達成していくための『ヨーガ・スートラ』のエネルギー科学的な解説が、『魂の光』を通して与えられた、ということだと、私は解釈しています。


これまで、このブログで何回となく語ってきましたが、「すべてはエネルギー」という捉え方をすることによって、科学と宗教・ヨーガを統合・融合することが、可能になってきます。


上記のように考えれば、昨日書いたように、ヨガが要素的、分離的になるのは、新しい段階に移行するための最初のプロセスとして、必要なことであり、その流れは必然的にそのような思考様式をもつ西洋から起きてくることになります。