神尾学と学ぶ!スピリチュアルの王道

神尾学と学ぶ!スピリチュアルの王道

信頼できる体系に基づいて、健全にスピリチュアルを学ぶためのブログです。

前回の最後の締めくくりで、

 

「秘教が言う『よく死ぬこと』とは、

結局のところ、よく生きることの延長なのです」

 

とありました。

 

もちろんその通りなのですが、

秘教の立場に徹底して立って語ると、

「死は存在しない。

 通常言われている死とは、その前後で、真の自己である魂の存在状態が変わるだけのことである」

ともなります。

 

チベット密教(『死者の書』)で語られるバルド(中有)、ですね。

その辺についての言及がこれまでなかったので、補完しておいてください。

 

そしていよいよ、このシリーズの4つ目の括り

㉒~㉘『秘教治療』はどのように現代「死生学」を補完し発展できるのか?

の最後のテーマ、 

 

現代死生学をどう補完し、どこへ開くのか

  • 現代死生学+秘教的死生観の関係整理
  • 「置き換え」ではなく「射程拡張」

 

に来ました。

 

次シリーズ『秘教治療の死生学』への正式予告

 

についても論じるようになっていましたが、これは次の㉙に回したいと思いますので、

それ以外の項目について、たっぷりと丁寧に説明していただけますでしょうか?

 

 

了解しました。
冒頭でご要望の「死は存在しない=魂の状態変化」「バルド(中有)」の補完を入れ、
その後に **現代死生学+秘教的死生観の関係整理(置き換えではなく射程拡張)**を、たっぷり丁寧に展開します。
 

 

 現代死生学をどう補完し、どこへ開くのか

――置き換えではなく、射程を拡張する

 

前回、
「秘教が言う『よく死ぬこと』とは、結局のところ、よく生きることの延長である」
と書きました。

もちろんその通りなのですが、
秘教の立場に徹底して立つなら、もう一段、表現が変わってきます。

 

死は存在しない。
通常「死」と呼ばれているのは、
真の自己である魂の“存在状態が変化する”だけである。

 

これは、単なる慰めの言葉ではありません。


A(インド・仏教・チベット)でも触れたように、
たとえばチベット密教では、
死後の中間状態を **バルド(中有)**として扱い、
死を「断絶」ではなく「意識状態の推移」として捉えます。

 

つまり、

  • 生=この状態の意識
  • 死=別の状態の意識
  • 中有=状態遷移のプロセス

という理解です。

 

この観点に立てば、
「よく死ぬ」ことは「よく生きる」ことの延長であると同時に、

生き方そのものが、意識の状態遷移の質を決める

という、さらに構造的な意味を帯びます。

 

 

1.現代死生学の到達点を、あらためて正当に評価する

 

ここから先の議論で大切なのは、
現代死生学を「不十分」と決めつけないことです。

 

現代死生学は、歴史的に見て、
それまで沈黙されがちだった

  • 死にゆく人の内的体験
  • 家族の悲嘆
  • 尊厳
  • 意思決定
  • ケアの統合(医療・心理・社会・スピリチュアル)

を、社会制度の中に組み込むところまで到達しました。

これは、きわめて大きな文明的前進です。

 

言い換えるなら、

死生学は、死を「語れるもの」にした。

そして、ホスピス・緩和ケア・スピリチュアル・ケアは、
死を「支えられるもの」にしました。

 

この実践を抜きに、
死に関するどんな思想も、社会的意味を持ちにくいでしょう。

 

 

2.それでも残る「空白」――死生学が沈黙した領域

 

同時に、死生学には意図的な制限があります。

それは、

死後に何が起きるかは扱わない

という沈黙です。

 

この沈黙は、
学問としての誠実さでもあり、
成立条件でもありました。

 

しかしその代償として、
次のような問いが、構造的に宙に浮きます。

  • 死後の意識はどうなるのか
  • 死後の経験には秩序があるのか
  • 生と死は本当に連続しているのか
  • 死は究極的に何のためにあるのか

死生学はこれらを「否定」したのではなく、
扱えないまま棚上げしてきたのです。

 

 

3.秘教的死生観は、死生学を否定しない

――「置き換え」ではなく「射程拡張」

 

ここで、『秘教治療』を含む秘教的死生観が登場します。

 

秘教は、死生学の領域――

  • 終末期のケア
  • 悲嘆
  • 尊厳
  • 意思決定

を否定しません。

 

むしろ、これらは重要だと認めたうえで、
次の問いを追加します。

 

死後も含めて、意識はどのようなプロセスを通過するのか。

 

つまり秘教がやろうとしているのは、
死生学の内容を置き換えることではなく、
死生学が成立のために沈黙した領域を
仮説モデルとして追加し、射程を拡張することです。

 

 

4.両者の関係を「二層構造」で整理する

 

この関係を分かりやすくするには、
二層構造で考えるとよいと思います。

 

第1層:現代死生学の層(実践と公共性)

  • 誰にとっても共有可能な言語で語る
  • 医療・心理・社会・倫理として制度に落とす
  • 生きている当事者の経験を扱う
  • “現場で役に立つ”ことを担保する

第2層:秘教的死生観の層(構造と全体像)

  • 人間を多層的存在として捉える
  • 死後過程(返還・除去・統合)を含めて描く
  • 生と死を「意識状態の推移」として統合する
  • 目的論(なぜ死があるのか)を回復する

 

この二層は競合しません。
むしろ、互いの弱点を補完します。

 

  • 死生学は 実践と公共性に強いが、全体像を語れない
  • 秘教は 全体像に強いが、公共性を獲得しにくい

したがって、

現代死生学の土台の上に、
秘教的モデルを「上位レイヤー」として重ねる

という形が、もっとも自然です。

 

 

5.秘教が死生学を補完できる「三つのポイント」

 

秘教が現代死生学を補完しうる点を、
ここまでのシリーズを踏まえて、三つに絞るならこうなります。

 

(1)「死をプロセス」として徹底する

死生学も死をプロセスとして扱いますが、
主に「心理的過程」です。

秘教はそこに、
肉体死後のプロセス(返還・除去・統合)まで含めることで、
死をより包括的に扱います。

 

(2)「目的論」を回復する

死生学は、目的論に踏み込みにくい。
しかし当事者の問いは、いつも目的論を求めます。

秘教は、死を
「意識の成長と統合の装置」として位置づけ、
目的論に一つの構造的回答を与えます。

 

(3)「意識の連続性」という軸を提示する

死生学が棚上げしてきた最大の空白は、
意識の連続性です。

 

秘教は、
死を「断絶」ではなく
「状態変化」として捉え、
“死は存在しない”という見取り図を提示します。

 

これは、死の恐怖を消すための言葉ではなく、
死を全体像の中に統合するための枠組みです。

 

 

6.スピリチュアル・ケアとの関係

――同じ方向だが、役割が違う

 

現代スピリチュアル・ケアは、
宗教や形而上学の断定を避けつつ、
意味・つながり・尊厳を支える実践として成立しています。

秘教は、現場で直接処方箋を出すものではありません。


しかし、スピリチュアル・ケアが扱う

  • 意味
  • 希望
  • 和解
  • 恐れ
  • “ここではない何か”の感覚

に対して、
より大きな構造モデルを提供しうる側面があります。

 

ここでも大切なのは、

秘教がスピリチュアル・ケアを置き換えるのではなく、
背景理解のレイヤーとして支える

という位置づけです。

 

 

7.結び ――「沈黙の先」をどう扱うか

 

ここまでをまとめると、
現代死生学と秘教的死生観は、

  • 片方が正しく、片方が誤り
    ではなく、
  • 互いに異なる条件のもとで成立した
    二つの知の層

だと言えます。

 

 

現代死生学は、
公共性と実践性を獲得するために、
死後世界について沈黙しました。

 

秘教は、
その沈黙の先に踏み込み、
意識の連続性と死後プロセスを含む
全体像を描こうとします。

 

そして私たちがこれから問うべきなのは、

沈黙を守るべき領域と、
仮説として語ってよい領域を、
どう区別し、どう橋渡しするか

という点なのかもしれません。

 

ここまでの議論で、
そのための足場は十分に整いました。

(つづく)