死の淵まで行ってきました (1596)脳ができることと、体ができること | キャッチフレーズを1本。

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●コピーライターの日常と小さな創り話の入れ物です。●旧 『ごとごとひとりごと』

仮説なんですが、最近思うことは、

 

脳ができると思っていることを、体ができていないんじゃないか

 

ということです。

 

脳は、昔通り、これをしなさい、これは平気と指示を出すけど、体が全然ついて行っていないので、くったくたになっちゃうんじゃないかと考えています。

 

最近さらに痩せて、脂肪がどっとなくなったんですが、その時に驚いたのが筋肉のなさ。

 

いつの間にか、筋肉が雲散霧消していました。

 

サッカーをやっていた時に、胸筋がかなり発達し、もちろん、太腿や脚がさらに太くなりました。

 

サッカーをやめて、時間の経過とともに、筋肉が減少して行ったのでしょうが、それでも去年までは胸板は厚く、太腿や脚は太かったです。

 

脂肪もかなりついていたとは思いますが、筋肉も残っていただろうと思います。

 

しかし、死に向かう過程で、体が衰弱し、体に温存されていた、筋肉の中のエネルギーを使い果たしてしまった。

 

そして、僕の体から、多くの筋肉が消失し、普通のことができない体になってしまった。

 

でも、頭の方は、いままで何十年もできたことだから、「やんなさい」と指令を出す。

 

体は、「できません」なんだけど、やろうとしてしまうから、無理が祟る。

 

こんな構図で、悪循環が繰り返されているんじゃないかと思います。

 

脳と体のバランスが取れてくれば、少しはマシになるんじゃないだろうか?

 

脳が体に歩み寄り、体が脳に歩み寄る。

 

自分自身でできることは、少し体を動かす時間を増やすことくらい。

 

脳と体の均衡が取れてくれば、膝から崩れ落ちて、意識がなくなるように寝るということも、なくなるんじゃないかと想像しています。

 

表現は、「疲れる」という一言なんだけど、相当困っています。

 

「本当の普通生活に戻れるんだろうか?」

 

これが、糖尿病の二年目のテーマになるのかな?

 

死の淵は、次第に遠ざかっているように思えるけど、普通生活までの道のりは果てしなく長そうに思える。

 

いまは、そんな立ち位置なんじゃないでしょうか。

 

『疲労からの脱出』

 

かなえたい、大きなテーマです。