難病ですが、何か?-多発性硬化症/MS- -6ページ目

難病ですが、何か?-多発性硬化症/MS-

2016年4月21日、指定難病の多発性硬化症(MS)を発症しました。

今日コパキソン打ってて気付いた。

 

コ パ の レ ポ し て な い ! ! !(笑)

 

これからコパキソン導入する方に向けて有意義な何かを伝えたい…

でも私にはむり…

 

参考にならない、とてもぐでぐでしたレポをお送りしますキョロキョロ

 

んとね、とりあえず思ったより怖くないのね。

でも打つ場所によっては、左手だったり右手だったりでファイアリングボタンを押すのね。

右腕握力6.2kg、ピンチ力も弱い私では片手ファイアー結構きついなぁ。

力いっぱい押してるつもりでも押せてない…仕切りなおし…ってのも結構ある。

 

んでんで、打った瞬間は痛くない。ぜんっぜん。

針めちゃくちゃ細いし。それよりファイアリングボタンの音に毎回びっくりする。

でも打って10秒数えてたら「じわー…じわー…」って地味な痛みがくる。

 

痛痒い?痒い?いややっぱ痛いわ!

ってレベルの地味さ。これきらい。

 

注射部位反応は虫さされみたいに皮膚が膨れて熱を持つくらい。

皮下注射だからしょうがないね!

他の動悸とか発熱とかの副作用は今のところ全くありません!

血圧も体温もばっちりキラキラ

 

手技と地味な痛みに慣れれば毎日でも苦ではないかなぁ?

保管に場所とるのと持ち運びが面倒なのはご愛嬌ってことでラブラブ

病気と向き合わなきゃいけない。

 

現実を見て最初はすっごく落ち込んだけど、

1日2日泣けば「病気くらい皆するしな、しょうがないかぁ」

って思ってる自分がいた。

 

楽天的な性格はそんな簡単に変わらないらしいw

 

それより大きな壁になったのは「障害」。

 

ここからはとても失礼な事を書くことになるってことは自覚してる。

それでも私が自分の障害と向き合うことになるきっかけだから敢えて書きます。

 

今までの人生、私は障害がある方に対して「可哀想」だと思ってた。

24時間テレビを見て頑張ってる人たちを見て、

「この人たちはハンデがあって可哀想なのにこんな頑張ってる、凄いなぁ」

って感動したり。

車椅子の人を見たら

「何か手伝ったほうがいいかな、絶対大変だよね。可哀想」

って、勝手に不便だと思い込んで。

 

想像もできないくらい遠い世界の人たちのお話だった。

むしろ、全く別の世界の人たちのお話だった。

 

そんな私に、真面目な顔で切り出した先生の

「障害者手帳、申請した方がいいね」

って言葉は想像してたよりずっとずっと重くて、リアルで。

 

私の人生でそんな言葉、聞くとは思ってなかった。

 

受け入れられるはずがなかった。

手帳がまだないだけで、既に私は障害者なんだ。

 

別の世界の話だった事が、私の人生で起こってるんだ。

 

それからの退院まで、本当に辛かった。

神内の先生も、OTさんPTさんもみんな、回復に向かう事を目標にしてる。

元の生活に戻れるように頑張ってくれてる。

それは理解してるつもりなんだけど・・・

 

「今日は調子良さそうですね!」

「あれ、昨日よりよくなった?」

「このまま良くなるといいね!」

 

今までの私なら素直に喜べた言葉が苦痛でしかなくなった。

 

調子が良くない私は可哀想なの?

昨日よりよくなってない私はダメなの?

このまま良くならなかった私は認められないの?

 

って、マイナスな方向にしか考えられなくて。

 

私は早く諦めたかった。

良くなる可能性もなくはない障害者って扱いが中途半端で。

どうせなら諦めさせて欲しかった。

じゃないと次に進めない。

 

ならもう私は一足お先に諦めよう。

期待してくれる周りのみんなには申し訳ないけど。

 

装具つけたときでも履けるオシャレな靴を探そう。

ロフストのカフに入る厚さの可愛いコートないかな。

車椅子だって思いっきりオシャレなのにしよう。

そんで車椅子でお出かけできるところを探そう。

 

私のことは私が一番好きでいたい。

「障害者になった私」を誰よりも早く、私が認めてあげよう。

 

そう決めた瞬間、

ずっと背負ってたプレッシャーとかもどかしさがスッと消えた。

 

やっぱり楽観的ではあるけれど。

私の性格ってこうなんだ。

 

前回、今回と長文でダラダラと申し訳ないですorz

今回の入院は本当に色々ありすぎて、

起こったことや考えたことを残しておきたかったのです。

 

次回からはまた気まぐれぶろぐになりますw

今日、無事に退院してまいりました照れ

8月のはじめから約2ヶ月間、今回の入院はいろんなことがありました。

正直、凄く辛くて苦しい入院生活でした。

 

いろんなものと向き合って、自分なりの答えを見つけて帰ってきたつもりです。

 

今回の入院まで、私は病気のことで泣かなかった。

 

心のどこかで

「ごめん、MSって間違い!本当は何でもなかった!」とか

「病変でても平気!リハビリ頑張れば治るから!」とか

言ってくれるんじゃないかって思ってた。

 

入院してパルスしても右足の脱力は酷くなる一方で、

右手の握力は10kgを切ってしまった。

 

藁にも縋る気持ちで試した血漿交換なのに、待ってたのは敗血症。

何日も続く42度を超える高熱、肉体的にも精神的にもおかしくなった。

 

歯が折れるんじゃないかって位の、寒気からくる震え。

急に聞こえなくなる耳、色がなくなった景色。

いるはずのない家族の声がした。

怖かった。

ひたすら怖くて、どうにかなりそうだった。

看護士さんに「もう終わりにしよ?ね、終わりにしようよ。」

って泣きながらお願いした。

 

熱が下がっても足は治らなかった。

むしろ酷くなってた。

あんなに辛い思いをしても、治らない。

杖をつけば歩けてたのに、今は歩けない。

右腕も上がらない。

 

「もしかしたら、私本当に病気なのかもしれない」

って気付いて、急に不安になった。

 

2週間の抗生剤の点滴が終わって外泊したとき。

 

病院の中はどこかが悪い人たちが集まってる。

だから哀れみの目で見られることはない。

あっても「若いのに可哀想…」位のもの。

それだって何回も言われれば慣れる。

 

病院だから坂道なんてなくて、エレベーターは広い。

一人で不便なく移動できる。

 

病院を一歩出ると、「(私から見ると)普通の人」でいっぱいだった。

突き刺さるような「可哀想な人」を見る視線。

駐車場までの道のり、車椅子はちょっとした段差で後ろに転倒しそうになる。

坂道やガタガタの道が怖くて、腕が動かなくなるくらい疲れた。

 

家の周りは坂しかなくて、道は狭くて。

自走の車椅子じゃどうにも通れない。

膝折れが激しい今じゃ装具をつけても歩けない。

 

私、どこにも行けなくなっちゃった。

 

このとき初めて泣いた。

 

自分が難病で、治らない病気で、

顔の麻痺が治ったのはただのラッキーで、

今回の足は後遺症になっちゃう可能性が高いんだ。

 

見ないように見ないようにって顔を背けてたのに

無理やり「見なさい!」って、事実に顔を向けられてしまった。

 

つづく。

コパキソン3日目。

やっちゃいましたウインクてへ

いつも通り準備してパチン!
あれ、インジケータ動いてない…?
不思議に思いつつオートジェクトを見たら赤いキャップがしっかりついてましたw

恐る恐るキャップを外したら…
びゅーびゅーと勢い良く飛び出す薬剤、
それを呆然と見つめる私w

練習の時から
「キャップ外すの忘れそ…」
とは思ってたんだよなぁ_(⌒(_'ω' )_

思いっきり薬剤が降り注いだ携帯、
防水でホントによかった照れ

これコパキソンあるあるにならないかな…w