昨年の8月26日に母が家の前で交通事故に遭いました。二十歳の青年が派遣先の工場から帰る際、スクーターでよそ見運転をした結果でした。家の近くには横断歩道がなく、渡らなければ歩行者用の舗装道がないのです。無理をして家側の道を歩くと道路の白線と溝の間は50センチあるかないかという狭さで、しかも背丈のある草が道路に向かって茂っているので、家側の道路を歩くことは余計に危険なのです。母は道路を先ず渡ってから、そして目的地の前にある横断歩道を渡ることを長年繰り返していました。近所の人も皆そのようにしています。
母は若い頃から何十年も近くにある警察署に生け花を活けていました。その警察署が家側の道沿いに100メートルほど行ったところにあるのです。夜一人で駐在する警察官に少しでも役に立てれば、というおもいからでした。その日も母は自分が活けた花の水をかえようと夜の7時半頃に家を出たのでした。しかし、道路を半分ほど渡ったところで、よそ見をしていたスクーターが道路を斜めに走ってきて約50キロのスピードで激突、その大きな音で近所から人が出てくる程でした。母は5メートル程空中を飛ばされて、頭から道路に叩きつけられ、頭蓋骨骨折、鎖骨骨折、頬骨骨折、スクーターとの接触による脚の骨折やじん帯剥離などがあり事故後は暫くの間、ピクリとも動かず、加害者の青年は母が死んでしまったと思ったそうです。病院へ救急搬送されましたが、その日の診断では脳内出血が複数箇所でみられるため、クリティカルな状態と言われ、頭を開いて外科手術をする準備をしていました。結果的には脳内出血は止まり頭の手術は回避できました。
あれからもう10ヶ月以上の月日が流れました。色々なことがありました。母は一度も家に戻ることはできず、CT画像では複数の損傷した脳の部位は黒くなっています。その部分の脳がなくなってしまったのです。今は若い頃の記憶が断片的に蘇るようですが、物事を整理し理解する力はありません。自分のこともよく分からず、父のことや僕のことも認識できません。嚥下能力も極端に低下した為に誤嚥性肺炎に罹ったりもしました。夜も二時間おきに痰の吸引をしなければならず、まるで生き地獄のような日々でした。父はやせ細った母が、まるで他人を見るような目で父を見ることが辛いようで、めっきり老け込んでしまいました。
僕が最後に母と会話をしたのは昨年の8月26日の夕方でした。友人とご飯にでかけるため、夕食はいらないから、と言って家を出たのが元気な母を見た最後でした。爾来、母は病院を転々とし、今は老健に入所しています。
皆さんの周りにも大切な人がいるかと思います。泣いたり笑ったり、そして怒ったり文句を言ったりと色々なことがあるのが人生であり、人とのつながりだろうと思います。ただ、当たり前の毎日がずっと続くとは限りません。僕は事件の当日に、何かひどいことを言って家を出なかったことに感謝をしています。パンデミックの間は実家に戻ったため、母と会話をすることも学生時代以来で増えました。辛かったことや感謝を述べるチャンスも多くはありませんでしたがありました。それがせめてもの救いです。
偉そうなことは言えませんが、皆さんも今を大切に過ごしてください。特に大切な人には「ありがとう」と伝えあうことをお勧めします。ただ存在しているだけで、ただ足音を聞いているだけでも幸せになれると僕は思います。たとえば子供が反抗したり憎まれ口をたたいたとしても、それはとても愛おしいと感じられるかも知れません。そんなささやかな幸せを母の事故以来思い返したのです。
暑いですが、身体をいたわって乗り越えていきましょう!