悲しい知らせが。🥺
ドイツの皇帝 フランツ・ベッケンバウアー氏が空へ逝ってしまいました。
78歳でした。
バイエルン ミュンヘンでヨーロッパ チャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)3連覇。
ワタクシは、晩年、ハンブルガーSVや、ニューヨークコスモス時代しか見たことがないので、バイエルンのイメージは薄いですが。
W杯 1966年 準優勝、1970年 3位、1974年 優勝 、1986年 準優勝、1990年 優勝。
(当時は西ドイツ代表)
バロンドール(世界年間最優秀選手) 1972年、1976年
リベロというポジションはベッケンバウアー氏が確立、DFながら、攻撃にも参加し、後方でDFを統率、当時のライバル、ヨハン・クライフ氏が攻撃的なのに対し、常に後方で目を光らせて、背筋をピンと伸ばして、冷静沈着にプレーする様は、エレガントと表現されていた。
W杯は選手、監督として戴冠した、ブラジルのマリオ・ザガロ氏に次ぐ2人目。
DFでのバロンドール受賞は、イタリアのファビオ・カンナバーロ氏が2006年受賞するまで唯一の存在でした。
1966年 イングランドW杯、初のW杯は当時20歳。この頃は守備的MFで、決勝でイングランドのエース、ボビー・チャールトンをマンマークし、完全に封じ込んだが、ハーストの疑惑のゴールを含む4失点で競り負けて準優勝。
1970年 メキシコW杯、準決勝イタリア戦、肩を脱臼しながらテーピングして延長までプレーし、ドイツ魂を体現する気迫でチームを鼓舞したが、シーソーゲームで競り負け3位に終わる。
1974年 西ドイツW杯、キャプテンとして西ドイツ代表を率い、トータルフットボールのヨハン・クライフ氏率いるオランダと決勝で熱戦を繰り広げ、ゲルト・ミュラー氏の決勝ゴールで2-1で下し、自国開催のW杯で西ドイツ2度目の戴冠。
1978年、1982年も西ドイツ代表に招集されてましたが、1978年は所属していたニューヨークコスモス側と西ドイツ側と参加時期について揉めて不参加、1982年は怪我などのコンディションの問題で不参加となりました。
1986年 メキシコW杯、監督として、決勝で全盛期のマラドーナ率いるアルゼンチンに挑みましたが、競り負け。
ルムメンニゲの怪我が無ければ・・・・
1990年 イタリアW杯、リベンジを果たしますが、マラドーナが万全だったら返り討ちだったかもですね?
決着がPKのブレーメの1点だけだったし。
フットボール界、悲しい知らせが続きますね。
R.I.P
🥺
♪sam-1152♪