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親の介護をしていると、
黒い感情が湧き出てくるので、
いつも自分の中にある闇を、
これでもか!と
グイグイ見せつけられています。
これはつい先日、
とある一日の内に起こった出来事です。
母が、やかんでお茶を沸かしてる。
見てみると、
賞味期限が2年前の緑茶
見ると、茶葉がそのまま
やかんに入れられている。
しかも大量に。
やかん用の、
ティーバッグのほうじ茶あるよね?
何で?
やかんのお茶を捨てて作り直そうと、
ほうじ茶のティーバッグの入った
タッパーを開けると、
ティーバッグの上になぜか、
パンがしまい込んである。
何で?
冷蔵庫を開けたら、
お茶の水たまりが!
さっき台所から、
「あ〜っ!
」
って母の叫び声が聞こえたから、
「どうかした?」
と聞いたけど、
「何でもないです〜。」
って言ってたよね。
冷蔵庫の中にお茶こぼしたよね?
拭かずにそのまま?
何で?
財布に少ししかお金がないと言うので、
予備から2万円を渡し、
母の財布に入れさせる。
しばらくすると、
さっき母が財布に入れてたはずの
2万円が無い!
なんで?
また隠した?
認知症が進んでからの母は、
貴重品を隠す癖がある。
部屋を探すと、
ベットの敷き布団の下に、
2万円が隠してありました
認知症で
訳の分からないことをする母。
何かする度に失敗する母。
その度に後始末をするのは私。
父のオムツ替え、洗濯、掃除、
ゴミ捨て、食事の用意と片付け、
買い物、デイケアの用意、
お薬カレンダーに薬をセット、
そして母の失敗の後始末。
ハァ〜・・・
ムカムカイライライライラ・・・
あまりに攻撃的な負の感情が湧くので
その度に、
「認知症だから、病気だから仕方ない。」
と心の中で唱える。
認知症で体が思うように動かない母が、
自分の使った食器を洗っている。
(また洗剤つけずに洗ってる。
どうせキレイに洗えてないんだろうな。
また、洗い直さなきゃ。)
と思いつつも、
(今の自分に出来る事をして、
役に立とうとしているんだろうな。)
とも思い、
「洗ってくれたんだ。ありがとう。」
と伝え、母が別の部屋に行った後、
気付かれないように洗い直す。
それでもずっとイライラモヤモヤして、
黒い感情が湧き出てくるので、
自己対話してみました。
「どうしてそんなに怒ってるの?」
↓
「お世話ばっかり!やりたくない!」
「イヤなら、なぜやめないの?」
↓
「やめる方がイヤだから。」
「どうして?」
↓
父と母を放置して汚くひもじく、
辛い思いをさせるのはイヤだし、
姉だけを大変な目に合わせるのもイヤ。
だから私がやらなきゃ。 (←義務感)
やらなかった時のモヤモヤ(←罪悪感)
の方がきっと辛い」
この自己対話を経て、
そうか、
義務感や罪悪感もあるとはいえ、
(それだけじゃなく愛情もありますよ。)
「私が自ら選んでやっているんだな。」
と再確認しました。
そして、
私が嫌な思いをしてると出て来る
冷酷で攻撃的な自分の負の感情を、
「ダメな奴!ひどいやつ!最低!
」
と、否定していましたが、
(自己否定)
私が嫌な思いをする『何か』から
私を守ろうと攻撃する、
不器用なボディーガードのように
見えてきました。
(攻撃的な怒りが湧くのは心の防御反応)
何で怒りが湧くのか、
自己対話すると、
荒れ狂う心が落ち着いてきました。
自分で決めてやってることなのに
親のせいにして、
さらには、
自分を守ろうとして出て来る
怒りの感情を悪いものとして、
(自己否定、自己嫌悪)
誰かや何かのせいにして
我ながら随分勝手なヤツだな、
と自分で思いました。
負の感情は消そうとするものではなく、
元々最初から自分の中にある
感情の一部なので、
ずーっと一生を共にします。
今は負の感情と対話をして、
奥にある自分の本音を
見るようにしています。
玉ねぎの皮のように、
一つ剥いたらまた次が見え・・・
とうこともあります。
同じようなやり取りになることもあって
以前にも何度かブログに
似たようなこと書いてます
疲れていると
負の感情に飲まれやすいので、
意識して自分に優しくすることも、
出来るようになってきました。
少しずつですが進歩しています。
自分の取り扱い方が
上手になってきたようです。


