前回から約3ヶ月、すっかり調子がよい。
あのときは構造的な男女バイアスへの興味が強い、と書いた。
調子が良い最近は、さらに、深化している。
バイアスに落ち込む・怒ることへの興味は薄れ、それよりもどうあれば、どうすればそれが、みんな楽になる?という視点が増している。
Twitterでよんでいいねと思うのも、怒るだけ、評論するだけの人ではなくなってきて、受容し、伝わるような言い方を選ぶ人、怒りのその先の未来を見て発言しているような人になってきた。
そう思うと、わたしはいつも「人生の真実」「誰にも当てはまる正解」を探しながら生きているように思う。
昔から、議論の場で、最適解が透けて見えて、これしか答えなくない?!と思うときがあった。
子供の頃〜20代は、周りも経験値が少ない中なので
私の方が口が立つし(私は頭の回転だけは早い、言葉数が多い早口らし。飛躍もある自覚はある。よって気をつけてキャッチボールを意識して話さないと他人に何も伝わらない…)
私も相手の気持ちへの配慮などなく最適解をぶっ放して、落とし込むというより押し込んでいく感じだったかもしれない。
大人になり、飲み屋や職場や道場のような場で色々な価値観の人を見る機会があり、人は感情で生きるものだと知った。もちろん自分もそうだと気づいた。
例えばロジックにうるさい人がいたとしても、その奥には「論理的でないことがイヤ!」という感情があることも気づいた。
したがって、最適解が自分に見えたとしても押し込んでも意味がない、という真実を得た。
そういう、人生の真実みたいなものをひとつずつ明確にしていくのが、面白い。
体験して、感じて、腹落ちするのを楽しんでいるように思う。
(ここに、能動的な学びを組み込めたらさらに面白いのだろうか?
普段から興味深いことは自然とインプットしているが、ノートとペンで体系的に学ぶようなことを久しくしていないので。)