江原スピリチュアリズムの実践日記6
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愛を広げよう③

喜びをもたらすもの、苦しみをもたらすもの



「大我の愛」は、自分から他者へ、そして国を超えて地球上のすべての人類、果ては神へと際限なく広がっていく愛です。打算のない、無償の愛のことを指します。


反対に、「小我の愛」は、自分という肉体の存在のみが満たされることを望むわけですから、限界があるものです。


いわゆる自分の家族や仲間だけ、自国だけ、という狭い視野でみた、自己愛であり、限定された愛です。



私たちが日常、口にするような「愛」は、悩みや苦しみをもたらすことが殆どではないでしょうか。


「これだけしてあげたのに」という見返りを期待することや、「なんでわかってくれないの」という自分本位な気持ち。これは物質主義的価値観による、「小我の愛」だからこそです。



「大我の愛」であれば、苦しむ必要はありません。与える、奉仕することは、喜びそのものだからです。


このように、大我の愛、小我の愛は、はっきりと分けることができます。



しかし、すべての思いや言葉、行動を、「これは大我の愛100パーセント」「あれは小我の愛100パーセント」というようにシンプルには分けられません。


両者は、常に混在しています。



「大我の愛」を実践しているつもりでも、ちょっとした心の隙に、「小我の愛」は表出することもありますし、「小我の愛」が色濃くみえたとしても、その中に、「大我の愛」が芽生えることもあります。


これは、どのたましいにも、「大我の愛」が宿っているからといえます。



このことは、私たち誰もが、大我の愛を広げていくことができるということではないでしょうか。

そして、どんな経験や感動であっても、大我の愛へと繋いでいけるものだと思います。




喜びをもたらすもの(大我)、苦しみをもたらすもの(小我)。


このふたつのどちらにあてはまるか、日常の出来事に照らし合わせてみると、さまざまなことに気づきを得られます。


江原さんの仰る「内観」の実践です。


これこそが、大我の愛に近づける、大切な一歩なのだと思います。


一歩一歩、ていねいに大我の愛を広げていきましょう。

愛を広げよう②

「小我の愛」がもたらすこととは、どのようなことでしょう。

私たちがみずからを、「小我=肉体だけの存在」にすぎないという物質主義的価値観をもって生きるとすれば、次のような3つの不幸が生じます。

それは、「死への恐怖」と「失うことの恐れ」、そして「悲観的人生観」という不幸です。

「死への恐怖」は、自分が肉体のみの存在だと思うことから生じます。

死するときすべては消えてなくなると思えば、怖くなるのは当然のことでしょう。死ということが、どういうことか分からず、眠れなくなった経験のある方は少なくないと思います。私たちのたましいを磨き成長をさせていくための病気でさえも、突然の災難だとしか思えないでしょう。

「失うことの恐れ」もまた、物質主義的価値観がもとになっています。

この世は物質界です。この物質界がすべてだと思い込むと、人にものを分け与えることを惜しむようになり、ものを手放したくないという執着や、ものを奪われることを恐れるようになります。

自分の快楽や欲望のままに生きたいと思い、人のことよりも自分を大事にして、相手をだましてでも手に入れようとするでしょう。


「悲観的人生観」もまた、死とともにすべてが無になるという思いから生じます。

いずれは消えてなくなるのであれば、この世で経験することはすべてが無意味、人生は意味ないもの、不幸なものだと思うのです。ただ刹那に生きるだけと思うとむなしくなるものでしょう。


このようにみていくと、物質主義的価値観がもたらすものは、不幸の根源だといえるのではないでしょうか。小我の愛は、決して満たされることはなく、本当の幸せは得られないものなのです。

愛を広げよう①

私たちは、愛を学ぶため、愛を広げるために生まれてきました。

その「愛」について考えていこうと思います。

愛にはふたつの愛がいえます。

ひとつは、霊的視点による愛です。これを「大我の愛」といいます。大我の愛は、相手を惜しみなく思い、ただひたすらに与えることを、自分の喜びとします。

霊的な視点からすれば、すべてのたましいは類魂の一部であり、自分と他者という区別はありません。「私」は「あなた」であり、「あなた」は「私」であるといえます。

つまり、霊的視点によると、すべての人類は「私」という存在なのです。

また、人間だけではなく動物も植物も鉱物もすべて、「私」自身です。そして、究極的には「神」とも一体化しており、「私」は「神」ともいえます。

私たちは霊的な存在であり、すべての人は大我の愛をもっています。しかし、肉体を有していると、物質主義的価値観に縛られて、大我の愛を見失いがちになります。

この物質主義的価値観に縛られた愛を、「小我の愛」といいます。

小我の愛は、自分を他者から切り離された存在だと思うことから生じる、霊的な真実からみれば誤った「愛」のかたちです。