江原スピリチュアリズムの実践日記6 -2ページ目

平和への道


雨の日。

小学生の男の子たちをみた。
傘を逆さまにして、雨の滴を集めている。
「すごいっ!大きくなってる!」と目を輝かせた。
微笑みを誘う光景だった。


新聞やテレビでは悲しいニュース。

ブラックスバーグの銃乱射事件や長崎の銃撃事件。

殺人、自死。決してあってはならないことだ。

殺害された人たちや遺族の悲しみ、苦しみは想像を絶する。
その痛みが癒えること、そして被害者のたましいが浄化できるように心から祈る。


このような事件が起こると、平和な世界を誰もが強く望むと思う。


目に映ることだけならば、被害者の視点で加害者を差別し、憎んだり恨んだりしてしまうだろう。

しかし、その思いは平和につながらないのではないだろうか。


繰り返すが、加害者の行為は決してあってはならない。

しかし、霊的視点でみると、加害者も同じたましいの存在だ。この世に自らのカリキュラムをもって生まれてきたはずだ。


最初から残虐な心をもっている人はいないはずだ。


ではなぜこのような行為に至ったのだろう。


愛の電池不足、そしてトラウマがあったのかもしれない。
物質主義的価値観に陥り、そこから抜け出せず、闇に身を投じたのではないだろうか。


何度も繰り返すが、加害者のしたことは、決してあってはならないことだ。
しかし、広義の類魂の視点でみれば、人の心の闇は私たちの一部だといえる。


この事件を目にした私たちも、その心の闇を少なからず持っているのではないだろうか。


出会う人や物事。
それらを裁く気持ちはないだろうか。
理解してほしいと依存してはいないだろうか。
物質主義的価値観に陥ってはいないだろうか。


内観が必要に思う。


平和への道。


まずは、自分の心の闇をなくしていこう。


そして、すべての人に愛念をもって生きよう。


一人ひとりの愛念こそが、平和への大きな力になると思う。





選挙の日

江原啓之さんの提唱する八つの法則の中に「カルマの法則」があります。
「みずから蒔いた種は、必ずみずからが刈り取らねばならない」という法則です。

この「カルマの法則」は、人間一人ひとりに働いているだけではなく、家や会社、国や地球にも作用しています。
日本に生きる私たちは日本という国のカルマを背負っています。

ところで、今日は日本各地(一部)で選挙が行われました。
日本の投票率は、他の国々と比べてもかなり低いようです。これは、日本人の政治に対する関心の低さをあらわしています。
       みなさんは投票に行きましたか?

談合の横行、税金の無駄遣い、低所得層など社会的に弱い立場の方々に厳しくなっている介護や医療の制度。

政治に無関心、選挙に行かないというカルマが、民意の反映されない、愛のない行政を作り上げてしまったように思います。

一人ひとりがみずからの責任で、どのような国にしたいのか、その為にどの政治家に託したらよいのかを真摯に考え、投票に行くことで今よりもずっと良い国になるのではないでしょうか。

学び

私の知り合いに、末期の癌で闘病中の方がいます。全身に癌が広がっており、背骨が折れて入院して以来、現在自宅で寝たきりになっています。徐々に進行しており、常に痛みがあるようです。


先日、話のなかで「この世に神様がいるのなら、何で背骨が折れたときに死なせてくれなかったんだろう。」と言っていました。
普段は、癌を受け入れているような明るい方なのですが、終わりの無い苦痛に、この時ばかりは心の弱い部分が出たようです。


こんな時にこそ、江原啓之さんのスピリチュアリズムをもとに、「この世には経験と感動をして、より魂を輝かせるために生まれてきたんですよ。痛み・苦痛を感じる事も、介護を受けてもどかしく感じる事も、魂を磨くために必要なことなんです。人は死んでも魂の旅は永遠に続くんですよ。」などと気持を込めて、たくさんの話が出来れば良かったのですが…


その方の心に寄り添いたいと思っているのに、私の口から出た言葉は「そうですね」のたった一言だけでした。その方のご自宅を出てから、考え込んでしまいました。


「何でいつも勉強しているのにこんな大事なときに言葉が出なかったのだろう。」


自分なりに内観してみたのですが、やはり勉強不足と経験不足だったのだと思います。

いつも前向きなその方は、スピリチュアリズムの事は知らないのに、たくさんの経験をしており、考え方や行動は、真・善・美そのもの。


そんな方に、いくらスピリチュアリズムの話をしても私の安易な言葉ではうまく伝えられないような気がしたのです。


その方は余命三ヶ月と告げられてからすでに半年が過ぎています。現世の旅がどのくらい残っているのかは分かりませんが、少しでも寄り添いたいと思います。そしてまた、求められることがあれば、その時はしっかりと言葉に出して話をしたいと思います。