わたしにとって、タロットと石は底抜けに「好き」なことなので、仕事というより、「呼ばれてするもの=コーリング」の要素が強いのですが、だからこそ、いわゆる今の社会の時間や枠組みにはなかなか合わせられないこともあるんですよね。
特に、石に関しては時期がくるまで本当になにもできなくて、
石の前に座ることすらできなくなるんですよね・・・
ただ、「その時」がくると、本当になにかに動かされるように、石のところに連れていかれます(汗)
ここ1ヵ月くらい、なかなか石から呼ばれなかったのでご依頼いただいた方々には大変お待たせしてしまったのですが、ようやく石たちから呼ばれるようになりまして、一氣に組み上げています。
今回は、不思議なことがありました。
予定が一日びっしりで、遅めに帰宅した日、どうしても、「今組みなさい」という感覚が強くなって
引寄せられるように、石と向き合っていました。
ご依頼いただいてた石の組替えだったのですが、
もう、全く違うものをとにかくこれとこれ、あ、これ、という感じであっという間に組み上がったブレスレット。
エネルギー的に確認しても、その方に必要とでたので、あっという間に組み上がったものを写真に撮り、お伝えしました。
翡翠、水晶、ハウライト、オパールの組み合わせ。
その写真をみたご依頼者様は、「ああ・・・こういうメッセージだ・・そしてこれはきっと、あのためだ・・・」といろいろと瞬時に理解なさったようで、
今、必要なメッセージだ・・・
とたくさんのことを思われたようです。
そして、これはそのメッセージを伝えるためだけに組んだようで、
実際の組み直しのブレスレットではなかったのですよね。
本当に、石って不思議だと思います。
石もそうですが、タロットもそういう「言葉でいわないほうが伝わる」ツールのひとつですよね。
あらためて、物質がもつ素晴らしい力を垣間見せていただきました。
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引用元:メッセージを伝えるためだけの石組み。
昨日、春分で満月の祝日に、次男は4年半の幼稚園生活に別れを告げてきました。
最後の登園日、いつも通り手をつないであるいて、「じゃ、いってきまーす」とタタっとかけていった彼の後ろ姿。
いつもと同じ穴あきのズボン、毛玉ができたトレーナー、そしてすっかり小さくなったリュックサック。
なんてことはない日常の積み重ねで、こんなに大きくなったんだな・・・と胸があつくなり、迎えた卒園式。
彼は、慣れないスーツ姿にちょっと緊張しつつ、いつも通りの彼でした。
お友だちと笑いあい、ふざけあい、壇上ではちょっとソワソワ。歌も歌うよりも周りをみてる。
そんな一つ一つが成長の通過点で、母としてはとても貴重な部分を見せてもらった時間でした。
保護者も一緒に歌った「ありがとうのうた」は、やっぱり途中で泣いちゃって、ボロボロ涙がこぼれてきて、
でもちゃんと歌いたくてぬぐうのももったいなくて、泣きながら歌いました。
園児達、ガン見してたなー(笑)
でも、本当に良きご縁でした。
園児達もとっても優しくて楽しくて、可愛い子ども達ばかりだったし、
ママさんたちも、とってもさっぱりして、愛情深くて、素敵な方ばかりでした。
この4年半で幼稚園を通じていただいたご縁は、わたしにとっては移住のタイミングと同じで、
不安だったわたしへの贈り物のように、わたしの生活に彩りを与えてくれました。
いただいたご縁のおかげで、たくさんの道が開けたし、
わたしの心もたくさん解放されました。
個性が強い幼稚園ではありますが、手作りがたくさんで、子ども達をよくみてくれる、
とても素敵な幼稚園です。こんな近くに素晴らしい環境があったこと、心から感謝です。
卒業記念にいただいたあんパン。
卒園式のテーマが、「困った人にアンパンマンのように手を差し伸べられる人に」ということで、アンパンマンだったのですね。それにちなんで、あんパンでした。卒園生の方が山口県でやっていらっしゃるパン屋さんから、わざわざ送っていただいたものだそう。
次男には、特別にどうぶつ性を使わないあんパンを作っていただいていました。本当に感謝です。
この素晴らしいご縁をありがたく、つないでいって、
また新たな道を楽しんでいこうと思います。
こんにちは。久しぶりにモヤモヤと向き合い中のMiyoです。
最近、めっきりモヤモヤっとすることがなくなったので、久しぶりにモヤモヤっとすることがくると結構ダイレクトにきますね。
わたしがやったこと、発したこと、アウトプット全般において氣をつけていることは
とにかく後悔しないこと
なのです。
時に、自分が発したことやしたことで何か問題が起こることもありますが、
自分がそこで精一杯やっているという自覚があれば、受け手の状況が関係することもあるので、
引きずらず、罪悪感も抱かずに問題解決に焦点をあてられ、次に進めるからです。
今まで、イベントを一緒にやったり、仕事を一緒にやったり、そういうコミュニケーションにおいてわたしの未熟さが原因でトラブルになったこともあります。
相手を傷つけてしまったり、怒らせてしまったり。
そしてそのようなことが起こった後、ずっと引きずったり、罪悪感や怒りがでてくる時のわたしの行動は
「自分のエゴ」
によるものだったときがほとんどでした。
自分は悪くない、○○のせいだ、のように氣持ちがとらわれていくのも、そういうときですね。
そういう経験を経て、今のスタンスがようやくとれるようになってきたわけですが、
最近のモヤモヤ・・は、わたしのしてきたことが軽んじられた、踏みにじられた、無視された、と感じたようなことからですね。
精一杯やってきたのに、相手にとっては別にたいしたことに思われていなかった、なかったようにされた・・そういう感じです。
でも、こういうのってどういうときに起こりやすいかというと
ボランティア的に活動しているときなんですよね。
こちらは厚意でやっているつもりでも、だんだん当たり前になっていく。感謝されない。
そして、ぽっとでてきたよくわからない肩書きが立派な人に同じ仕事をお金や何かを払ってやってもらおうとする。
そういう時に、「わたしってなんだったんだろうな」と思うのです。
何度もこういうことがあって、何度も反省したのに、また源は同じようなものでした。
あああ、またやってしまった。
そして、そういうことをやってくれる相手からは、わたしも氣をつけないといけないな、と学ばせてもらうのです。
まさに、鏡ですよね。本当に、いろんなことを映し出してくれます。
一通り学ばせてもらい、新たな繋がりに活かすため、このモヤモヤとはそろそろおさらばしようと思います。