今月に入って、もう一つのお仕事の方で、
担当が変わったのでいろいろと覚えることが多かったり、
スタンスが変わったりして、いろいろと大変でした…。
身体も心も癒すために、温泉行ってきました^^
はぁ~やっぱり、温泉、いい!!!
身も癒されて、心にも癒しがきました♪
前回は湯布院、今回は草津。
次は、三大温泉の、有馬温泉か下呂温泉にいってみようかな♪
さてさて。
ここ最近の私の中のキーワードになっている、
「信じる」とか、「自信」
についてふと浮かんだので、まとめていこうと思います。
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よく「カウンセラーやってます」とか聞いた人とか、
カウンセリングの現場でも、
「人の辛い話聞くの、辛くないですか?」
とか聞かれることが多いんです。
けれど、いつも私が思って答えているのは、
「辛いだなんて、思ったことはないんですよ^^」って。
むしろ興味深いです!
そりゃ、何時間も座って人の話を聞くのは、
集中力だったりとか、体調が悪くてとかで、
疲れる、という意味では辛かったりするときもあります。
けれど、人の悩みとか、問題そのものを辛いと思ったことはないです。
ん~、厳密にいうと、「きっとその状態、辛いんだろうな…」
って思うときはあります。
けれど、相談者さんが帰った後、
その悩みや問題に囚われて、自分が辛くなることはなくなりました。
なぜなら…
この目の前にいる人は、今が辛い状況にあるだけで、
今すぐに辛い状況から抜け出せなくても、どんなに遠回りしても、
くじけそうになっても、きっかけが私でなくても、
次回のカウンセリングでこなかったとしても、
絶対にその辛い状況から抜け出せるって信じているから。
その人だったら大丈夫って、信じている私のことも信じているから。
だから、
「この人…本当に大丈夫なんだろうか…」
って心配する必要もないし、疑う余地もないし、
私がどうにもできない、救えないって思う必要もないんですね。
信じるのが怖い時って、
「裏切られたらこわい…」とか、
「自分が傷ついたらいやだ…」とか、
そういう部分があると思うんです。
そして、そんな人を信じた自分が、
もう、なんてバカで、まぬけで、
ほんとダメ人間、人を見る目ナシ、っていう自己嫌悪
を味わうことになるんですよね。
以前は、私自身も、人を信じられませんでした。
同じくらい、自分自身も信じられず、大嫌いでした。
だからこそ、自分がこれ以上傷つかないように、
裏切られないように、
信じる前に疑って、試して、それでも大丈夫…
と思ってるのに、信じられなくて。
これって、結構つらいもんです。
人を信じられない自分に、自分自身を嫌ったりして。
だから、そんな嫌いな自分のことが信じられなくて…
っていうパターンですね。私も陥ってました…。
そこから抜け出すには…とても勇気がいることだと思いますが…
「裏切られてもいいや」
「傷ついてもいいや」
「失敗だったとしてもいいや」
って、一歩を踏み出したんですね。
もー!もー!!!
本当に怖かったですよー。
私としては清水の舞台を飛び下りるって、こういうことを言うのか!
って思いましたものw
同時に思ったのは、
その疑っていたものの、5~6割は疑う必要のなかったものでした。
「あ?あれ?素直に信じててよかったんだw」
って思いました。
あとの4割くらいは、私自身が「そうであってほしい」
っていう私自身の『勝手な期待』でした。
『勝手な期待』なので、自分本意のところにあって、
相手のところには全くないもの、だったりするんですよね。
それを、「(期待を)裏切られた―」なんて言われたら、
私だったら、「いやーあんたの期待通りに生きてないんで~」
ってなりますね…。
もし、「信じることが怖い」と感じているならば、
「実は、疑うなんて必要はなかったのかも?」
「勝手に期待して、勝手に裏切られた感じがしてないかな?」
ということを、こころに聞いてみましょうね。