感じてますか~?って、宗教じゃないよw
私の幸せのひとつは、これ>「私の幸せ~♪」
ちょうど、街中に幸せがあふれる時期。
そんな人たち見てるとこっちまでウキウキしちゃう♪
共依存傾向の人はアッパーリミットが低いという記事を以前書いていて。
楽しいこと、うれしいこと、肯定的なことが起これば起こるほど、
幸せだなぁ~って感じることが多いのですけど、
ある一定の限度(リミット)を超えてしまうと、
恐怖・怖い、という感情になってしまう。
その限度が他の人より低い。幸せの量に耐えられないってことです。
「今が良い時期だから、絶対このあと嫌なことが起こる!」
「友達とすごく仲良くなったけど、きっと関係が悪くなる。」
「クリスマスの時期に私に彼がいるなんて!しかもうまくいってるなんて!」
自分の幸せを信じられないというか…
今の自分が幸せでいることに疑問や疑いや、不安がでてきてしまうんですよね。
だから、これは無意識ですけど…
その幸せを壊そうとしたり、わざと幸せにならないようにしちゃうんです。
そういう人ほど、幸せを欲していて、感じたいと思っているのに…
おかしなことです…。
なんでこんなことが?
私なりに探し出した答えは、「幸せの状態に慣れてない」から。
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それって、子どもの頃にさかのぼります。
かろうじて記憶があるくらいの年齢…小学校入る前2年くらいですね。
ここから、「私はおねえちゃんらしくしなきゃ・しっかりしなきゃ」
の思考グセが始まったかと思います。そんなときからw
弟、私大好きだったし、今でもです。ブラコンとは違います。
弟としても、人間としても(こんな姉がいてもちゃんと立派に育ったw)。
だから、小さい頃から「弟が喜ぶなら、自分は我慢する」クセができて。
しかも、小さいときにはっきり親に言った記憶がある…。
そして親もそれで褒めるわけです。「いい子だ。いいおねえちゃんだ。」
わがままを言わない(というか言えなかった)ので、「よくできた子だ。」
共働きで、本当は寂しいのに、話聴いてほしいのに、
仕事で疲れて帰ってきた親を見て、言えなかった。
子どものときに確立した「相手が喜ぶなら、自分は我慢する」の無意識が
大人になってもさまざまな場面で影響していたな~と。
恋愛はもちろんのことw学校でも、仕事でも、友人関係でも。
だからなのか、他人より喜ぶこと、幸せになることって、
自分にとってはダメなことだったんですよ。
自分が一番じゃダメなんですよ。常に2番手以下にいなきゃいけないんですよ。
文章にしてみて、そういえばそうだったな~って、思います。
慣れない場所、慣れない事をするときって、なんか落ち着かない!
ってときありませんか?
30年間(私の場合は)、自分の幸せより相手の幸せを一番に思ってきて。
それが逆転するわけです。
も~う、違和感しか感じない!!!!!!
落ち着かない感じって、なんか、嫌な感じ、ですよね。
それをなんとかして落ち着こう。嫌な感じを感じないようにしよう。
と思って、何かしらの行動に移るわけです。
仕事だと、初仕事は新しいことだらけで、やり方覚えるのに必死。
長い間勤める前提なので、初仕事日に全部覚える必要も、
うまくやる必要もないです。(仕事によっては違いますけど)
どうやって仕事を覚えていこうか?とか、
前任者の引継ぎ+自分なりの仕事のやり方で効率的にこなしていくと思うんです。
徐々に慣れていって、一人前になるわけで。
大体の期間的な目安も立ちやすいし、分かってるから安心できたりします。
「慣れる」ための行動です。
けれど、人間関係は、仲良くなるのにどれ位の期間がかかるなんて分からない。
人によって、性格もさまざま。環境や状況によって行動も違う。
生き物です。
自分の気持ち、状況が落ち着かない。
うまくいかない。うまくいくはずがない。だって過去もそうだった。
きっと今度もそうなってしまうだろう。不安。怖い。落ち着かない。
幸せなのに。その感じが落ち着かないから。
以前の幸せではない状況のが落ち着くから。
「その幸せ、なかったことに!」…人間って、ほんとに不思議。
共依存的なダメ恋愛を繰り返してしまう。
相手から愛されてるのを感じているのに、喧嘩したくなってしまう。
相手からの褒め言葉、うれしいことを、裏があるのでは?と疑ってしまう。
いつも自分が悪者・嫌われるような気がして人間関係がうまくいかない。
幸せになりたいはずなのに、全く正反対のことをしている気がする。
幸せが怖い。
こんな風に思ってる方は、もしかしたらアッパーリミットを、
無意識で作り上げてるのかもしれませんね。
参考にどうぞ:カウンセリングサービス様「叶わぬ恋を選ぶ理由(1)」
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私は今となっては、幸せを感じられる上限は、限界突破しました♪
あんなに、幸せが怖いと思っていた時期がウソのようです。
じゃあ、アッパーリミットをあげていくにはどうしたらいいか?
アッパーリミットの高い、もしくはリミットのない人だと、
ちゃんとその幸せを感じられるんです。これでいいんだって。
いいんです!その幸せ、そのまま受け取って、感じて、いいんです!
行動し始めた最初は、もちろん、違和感感じまくり。
慣れないからはがゆい。気持ち悪い。落ち着かない。
すごく変な感じでした。
褒められたり、うれしいことを言われて、
「いいえ、違います!」って否定しようと思ったことか!
幸せな気持ちを何度無かったことにしようと思ったことか!
自分はそう感じない。
けれど、ああ、相手は自分のことをそう感じてくれてるんだ~。
私ってそう思われてるのか~。参考意見、またひとつゲットです!
相手の意見は、否定も肯定もしなくて、ただの「参考意見」という「物」
と思いました。あとでじっくりその「物」を見てみればいいや~って。
対人間関係はそれで徐々に慣れていきました。
もうひとつ。
「当たり前」だと思っていることは、じつは「幸せ」なんだと気づいて。
それを意識するようになると、小さな幸せも感じられるようになりました。
当たり前に寝て、おきて、歩いて、仕事して…いるけど、
健康的な身体があればこそ。
足が無ければ歩けない。目が見えなければ、何も見えない。
入院したときに、健康体の幸せはものすごく感じました。
いやいや仕事してるかもしれないけれど、職があるから給料がある。
給料があるから、住める。食べていける。たまにごほうびwもある。
職探しをして、1年くらいさまよっていたときに、今の会社が決まって、
仕事がある幸せを噛み締めました。
「幸せ」って大きいものだと思いがちなんです。
けれど、「当たり前」というものすごく近い距離の身の回りにある、
小さな幸せの積み重ねによってできていくんじゃないかな~と。
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いきなりアッパーリミットはあがりません。ほんとに、じわじわきます。
最初違和感感じまくりです。けど、その違和感に負けないで下さい。
逆に考えると、その違和感が、幸せを感じているということ。
素晴らしいじゃないですか~♪
もし、街中で、「ちぇっ…カップルなんて!!!クリスマスなんて大嫌いだ!」
って妬みの思いが出てきたら、
本当は心の中で「幸せになりたいな~」の気持ちが強くなってると思いますよ。
投影ですね。(何年か前は私もそうだったな~とw)
妬んだり、無理に探したり、他のカレを奪ったり、がんばって作り出すものでなくて、
もうありますから、自分の中に。
自分なりの幸せ。それを少しずつ感じていきましょ♪