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「自己嫌悪」が恋愛において強く出てきてしまうとどうなるか?
今回は回避依存傾向の場合を書いてみようと思います。
本とか、自分の経験、周りの経験ふまえて。
といいつつも、自分自身回避依存傾向どっぷりではないので、
本と、周りの人を見て、今までの知識総動員で書きます。
あくまで、個人的な考えを書いてます。
なんか違うよ~とか思ったら、ぜひぜひコメントなり、メッセなりください!
心理学者さんとか見たら、「全然違うってw」とか言われそうだ…。
だから早くちゃんとした勉強したいです。
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『回避依存傾向の場合』
私の私見ですけど、
原因としては自己嫌悪よりも、子どものころ、親の愛情を受け取れなかった
ほうが強いように思えます。
親に対しての罪悪感があるというか…しかも、無意識下で。
罪の意識ですね。悪いな、申し訳ないな、と思ってしまう意識。
罪悪感を感じることが子どもの頃に起きたら。
例えば虐待を受けた子ども。
暴力を振るわれて、「お前なんか生まれてこなければ良かったのよ!」
なんていわれて、親の機嫌が良いときだけかわいがられる。
虐げられたり、親が親として機能していないので、
本来親から子へ注がれる愛情が受け取れない状態です。
子どもは、「いやいや、お前(親)が悪いでしょ」なんて考えもつきません。
自分が悪いから、怒られる。機嫌が悪くなる。と。
自分が悪い=それは罪だ と、親に対して申し訳ない、罪悪感にかられる。
そうして育ってきてので、人の愛し方、愛され方が分からないので、
相手に対してどうしていいか分からなくなっちゃう。
(例え虐待でもそれは親からの”愛の表現”であって、
子どもはその方法しか知りませんし、それが当たり前で育ちます。
大人になって相手や子どもに暴力を”愛の表現”として繰り返す場合があります。
それは違う話なので、またいつかの機会に)
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回避依存傾向の人の「見捨てられ不安」や「親密になるのが怖い」
という思いは、
本当の自分(=罪な自分)を知られてしまったら、
みんな自分から離れていってしまうんじゃないか?
っていう恐れや、
その裏切られた感覚が怖いから、だったら最初から関わらなければいい、
っていうものがあるようです。本当は相手を大事にしたいのに。
その裏切り、怖さ、恐れは、子どものときにすりこまれたこと。
親に見捨てられないか。親に裏切られないか。
っていうのが根底にあるようです。けれど、もちろん無意識。
脱走者は、見捨てられる前に、裏切られる前に、
自分が傷つく前に逃げてしまえ。っていう感じ。
無意識にあるので本人は気づいていないけど、
そんなことがまた目の前で起きたらトラウマ級に心の傷なんです。
トラウマなんて絶対見たくないから、逃げ出しますよね…。
恋人の元を去るというのもあるし、
人と関わらないようにというのもある。
自分の罪を償うように、罰を与えるかのようにワーカホリックになって、
仕事に逃げる場合もある。それも、責任感とかじゃなく、強迫的に。
搾取者は、金品を要求したり、自分のために利用することで、
相手の愛が自分に向いてるんだ、というのを実感したいんでしょうね。
どれだけの要求をしても、相手は断らない。自分のためにしてくれる。
ここまで言っても相手は裏切らない。自分を見捨てない。
=自分は愛されている。
愛の飢餓感ですね。他の人から愛をもらったとしても、
「もっと、もっと」と飢えてるので、終わりはない。
しかも、本当に欲しい「親からの愛」ではないので、満足できない。
けれど、”自分が愛されている実感”がほしいので、止めることもできない。
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罪悪感があると、内に向かって自分を攻撃するタイプと、
外に向かって攻撃するタイプがいるんです。
前者は共依存傾向になりやすくて、後者は回避依存傾向になりやすいなぁと。
”内に向かって”は、自分攻撃ですね。まさしく自己嫌悪。
”外に向かって”は、相手・周りの人を攻撃してしまう。
心理学で「投影」といいます。
自己の悪い面を認めたくないとき、
他の人間にその悪い面を押し付けてしまうような心の働きを言う。
一般的には悪い面を強調することが多いが、良い投影も存在する。
Wikiさんより。
具体的にいじめとかいやがらせにあったとかじゃなく、
なんとなく「この人嫌いだ…」って人、いませんでしたか?
それって、自分の悪い部分、否定的な部分を相手に投影しているんだそうです。
自分の嫌な部分って、あんまり認めたくないですよね…?
それを相手がやっているとしたら、
相手を通して自分の嫌な部分をみせられていることになるので、
なにもされてないのに、なんとなく「この人嫌い…」になるんだそうです。
私の場合は、仕事をやっていて要領悪い人にはイラっとしてました。
ダメな自分を隠すために完璧に”できる人”に見られたくて、
ちんたらやって要領悪い人には見られたくなかったし、それは絶対ダメなこと、
っていう思いが強くあったのです。
なので、「絶対ダメな例」を目の前でみせられると、
「なんでもっと上手くできないの?」=実はダメな自分に言い聞かせてる
ってなってしまって、イラっとしたようです。
自分に対して罪の意識がある。けれど、自分が悪いとは認めたくない。
だから周りを攻撃する。
「逆切れ状態」を思い出すと分かりやすいのかな?と。
独裁者はこれに陥りやすいかなと。
痛い部分を指摘されたり、自分の弱い部分をつつかれると、逆切れする。
「浮気したでしょ!」と問い詰められると、
浮気した本人が悪いときでも、「いや、お前が原因なんだ!!!」
と、怒って怒鳴ったり、暴力や威圧的な態度で相手を説き伏せたり。
相手に恐怖を生みつけることでコントロールしないと、
今度は自分がやられてしまう。
本当の自分は弱いんだということを思い知らされてしまう。
それは絶対にいやだ!という防御の一種。
ナルシシスト (narcissist)も、そういう点では同じなのかな。
ただ独裁者のように怒りを表すのではなくて、
自分のコントロールどおりにならないなら、相手は切り離す。
相手のことはお構いなし。
自分を気分悪くする存在、いらな~い。
自分の理想や考えと違う人がいたら、切るか論破する。
どれだけ自分の考えが正しいのか、徹底的に相手に分からせる。
それが行き過ぎて、攻撃してしまう。
(直接的な暴力じゃなくて、言葉の暴力とか。人格否定とか、無言の圧力とか)
だから、自分を賞賛してくれる人、いいことを言ってくれる人には、
とてもいい顔をする。
だけど、それから逸れると、
裏切られた、見捨てられた、自分は弱い、自分は悪いことをみたくないので、
巧みに自分の理想を押し付けて、相手を支配しようとする。
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全部無意識です。
なので、こういうことをしている人たちに「本当は愛が欲しいんでしょう?」
といったとしても、認めません。
認めるどころか、「愛が欲しい」こと自体が自分の弱い部分なので、
怒るか切捨てるでしょうね。
人は図星をつかれるとそうなるものですから。
前の自分なら、
「なんてかわいそうな人たちなんだろう!私の愛を与えたい!!」
って思ってたんですが…同じように思った人はいらっしゃいますか???
だとしたら、あなたは共依存傾向なのかもしれませんよ。
愛を与えたいけれど、真意は愛が欲しい共依存症者。
愛が欲しいけど、真意は愛したい回避依存症者。
無意識で求め合ってるので、強烈に惹かれあうわけです。