カウンセリングサービス様の記事。「気がつけば、いつもパートナーは問題の多い人」
みずがきさん。いつも私の考えていることに答えをくれます。
って、勝手に私がブログ読んで、勝手に納得してるだけだけどw
「無価値感」
私には生きている価値、存在している価値なんてなくて、
自分はダメダメ人間で…。
だからこそ、人の役に立ちたくて。”役に立つ”ことで、自分の価値を認められる。
ダメダメな人の面倒をみるばかりで、相手は何もしてくれない。
けれど、その人は私のおかげで立てているのだから、がんばる。
そしてそれを周りの人が見て、「すごくいい人だね!」とか、
「すごくがんばってるよね!」とか言われて、なんだか認められてる。
だからその”がんばってる偽りの自分”を演じるのに、またがんばる。
…ほんとはちょっと…疲れて休みたいけど…ううん、そんな休むなんてできない!
がんばんなきゃ!”私が”がんばんなきゃっ!!!
って、思ってました。無意識で。今はそういうのがなくなったので、か~なり楽。
だって、常にがんばってなきゃいけないから。常に力入れた状態だったから。
休まる時がなかったというか。それも無意識。な~んか、疲れるって。
多分、「無価値感」は私の人生のテーマだと思います。
癒せた、と思っているけど、たまに言われようのない不安に襲われたりするのは、
「無価値感」がフラッシュバックしてるから。だと思う…。
今ももちろん、みんなの笑顔はみたい。役に立ちたいとも思ってる。
けれど、その裏にある「私に何かしらの形で返ってくるだろう」という、
自分の勝手な都合の期待や見返りを求める気持ちはない。
役に立つことで自分の存在、価値を証明する必要はなくなったから。
「無価値感」を埋めるためのものを外に求めなくなったから。
自分の中のないもの埋めるんじゃなくて、土台がある上に組み立てていく。
その過程で、みんなが笑顔になれればいいよね!役に立てればいいよね!
そしたら私にとってもいい組み立て方になるし、
みんなにとってもプラスになれば、なおさらステキじゃない!?
プラスにしようと思うのも人それぞれだし、
「別にめんどくせ~や~何もしな~い」って思うのもその人次第だし、
1から10を知りたい!もっと追求したい!っていうのもその人の考え。
私はその場を提供したり、きっかけは作るかもしれないけど、
それを生かすか殺すかは私じゃない。その人自身がやること。
って考えられるようになった。
「自分で勝手にやったら?」と言うんじゃなくて、見守る。
相手が「助けて!」っていったら、自分にできる範囲で助ける!
そして、その中に少なからず、「気づき」を得てほしい。
無価値感が癒えると、自信がでてくる。
自信が出ると、自分は価値がないことに対して何にも怯えないし、
一人でしっかりと立っていられるから「見捨てられそうで怖い」こともなくなって、
見捨てようとする人にしがみつくことも、執着することもない。
自分には価値があるし、自信もあるから、他人の目を通して見る自分も必要ない。
自分自身を厳しく批判することもない。罰することもない。叱責することもない。
自信がつくと、自分が好きになる。
「無価値感」なんて、わかんないです、本人。
心理学をかじって、そのもやもやと分からないものが「無価値感」
と呼ばれるものなんだ~っと思ったくらいで。
無意識の世界だし、「自分に価値がない」って、やっぱり認めたくないし。
友達とか会社の人たちの話聞いたりしているときに、
「ああ、きっとこれ「無価値感」からきてるんだろうな~」
と思うときがたくさんある。というか、そういう人たちに囲まれてた。
「類は友を呼ぶ」って、その通りだった!
今まで好きになる人も、付き合う人も、好かれる人も、「問題の多い人」が多くて。
じつはそれを支えていたのは自分だった、って分かったときは愕然とした。
自分がその理由を作ってたなんて!!!
で、いろいろ掘り起こして、自分と向き合ったら………
うん、「問題の多い人」を無意識に作り出してたわwww