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気持ちだけは桃色でいたいちゅーらいと

X(旧Twitter)にあげにくい長文での今の想いをまとめるためのブログです。

 昨日の投稿でブロックをリニューアルすると言ったのですが、その意図を今日はまとめようかと思っています。

 

 今年に入って色々精神的に病んでいました。

 数ヶ月前、それの原因の一つとして、自分がHSPであり、それが少なからず関係しているとわかりました。

 少し原因が分かって良かったと思えた反面、その後も職場のことや、趣味のお知り合いとの気持ちのズレなんかがあり、息苦しさは一層ましていました。

 

 そんな私は、最近よくこう考えていました。

「わたし、生きられない」と。

 わたしは、痛いのも苦しいのも怖くて嫌な人間ですから、自分で命を断とうとは思えません。これからも、気持ちが変わらない限りそこには至らないと思うのです。

 しかし、漠然と、よく今生きていられるなと。

 こんなに毎日息苦しいのに。

 なんの価値もないのに。ダラダラ生き長らえているだけなのに。

 家族にも頼れない。友だちもいない。相談できる同僚もいない。

 頑張って職場のグループホームでお世話したおじいちゃんおばあちゃんは、認知のせいもあり、一瞬で自分の頑張りを砕いてしまうことがある。悪気はないのだけど。毎日頑張って頑張ってお世話しても、近い未来には…。

 

 誰もわたしを受け入れてなどくれない。

 夢もなく。何一つ未来がみえない。

 それなのによくもまあ…。

 

 

 そんな折、趣味の関係用に主に使っていたアカウントで、わたしの投稿に対して反応が薄くなってきたと感じてしまって、ものすごく病んでしまったんです。

 わたしが、HSPを匂わすリツイートをしたせいかもしれません。

 愚痴を言ったり、精神的なことを言いすぎて、嫌がられてしまったのかもしれません。

 なんにせよ、それで、そちらのアカウントでは弱音は呟けない。自分のことを分かろうとしてくれる人はいないと、そう思ったのです。

 

 そこでサブ垢を作りました。

 HSPであることや職場での苦労を隠さずに言える、独り言でもいいから、と。

 すると、近い境遇の方から反応がいただけて、すごく楽になれたのです。

 

 

 しかし、いきなり始めたばかりのツイッターで連投しすぎるのも迷惑だし、文字数も大変だし。

 そもそもわたしは何を言いたいのか?

 

 

「わたし、生きていられない」

 そう、今のままでは生きていけないと、つくづく感じる自分。

 そんな状態が悲しくて悔しくてたまらなくて。

 なんの価値も今の自分だけれど、それでも頑張って今までやってきた。辛いことにも耐えてきた。

 このまま本当に命が終わったとしたら、今まで苦労した思いも、誰にも知られないまま?

 それは、悔しい。

 だから、今まで経験したこと綴ろうと。

 ある意味、遺言に近いものだと思います。

 

 そうして、もしわたしが居なくなっても、そんな不器用な人がいたんだなと誰かに少しでも労ってもらえたらいいな、と。

 

 

 そんな、勝手な理由でこれからブログ、続けていこうかと思う次第です。

 良ければ、お付き合いいただけたら、幸いです。

ツイッターの方で心境の変化があり、合わせてブログを心機一転させることにしました。

最近とても息苦しくて、それが、HSPという気質によるものが関係しているとわかり始めたからです。

 

以前までの記事と書き方を変えると思われます。

しかし、以前書いたものはそれはそれで、その時の心境とかが垣間見えて勿体無いので残したままにいたします。

 

どこまで続けられるかわかりませんが、新しい書き方で思うまま綴り続けて、息苦しさから逃れるヒントを見つけられたらいいなとおもいます。

なんだか、自分が嫌われ過ぎてるきがして辛くて、何も信じられなくて、全て諦めてしまいたいという思いに駆られています。

きっかけは、ここ数日、古い友達とやり取りしたことや、Twitterでのフォロワーさんの反応に感じたことで元気を無くしてしまったこと。また、Twitterの質問箱で受けてしまったことなどです。


古い友達とのやり取りは、彼女がご主人との子どもが欲しい…友達はみんないるのにと、焦った内容をツイートしていて、それにたいして、私の子どもに対する思いと、若いのだから焦らなくてもと伝えたのです。
私はパートナーがずっといないせいか、自分の子どもは別にいなくてもいいという発想なのです。でも、子どもが嫌いな訳では無いです。子どもはみんなの希望ですから、子ども達が夢に向かえるように何かしたいという思いがあったのです。自分の遺伝子を持ってなくてもいいじゃないと。
しかし、その子にその思いは上手く伝わりませんでした。
「自分の好きな男性の子どもだからほしい。保育士になりたい訳じゃない」と。
その後さらにその子から「彼氏作らんの?」と言われました。
いや、作りたくてすぐ作れるもの??
なんか、考えすぎかも知れませんが、パートナーがいない事や、私の考えを全否定されてる気がして悲しくなってしまったのです。


そうゆう辛さを払拭したくて、頑張ってコスプレの道具を作ってTwitterに投稿してたのですが、自分勝手ながら、反応がなくて(泣)
やんわり、その作品のコスプレするなって言われてる気がしたのです。


Twitterの質問箱は、私交際ステータスの設定を「募集中」にしていたはずが、バグからか?「既婚」と他者からみえるようになっていたみたいで、その事を執拗に指摘する内容が来てしまったのです。とくに、一回目は「見栄のため既婚にしているんですか?」と。
なぜ?何故そんな所でわざわざ見栄をはらなくちゃいけないんですか?なぜ、バグなどを疑わず、私が意図的にしてると、馬鹿にされた言い方をされなくちゃいけないんですか?


わたしも、きっと何度も誰かを傷つける言葉を言って来たと思います。
しかし、なぜ、私の気持ちを尊重してくれないし?
なぜ、そんなに他人を傷つけるかもしれない事をさらっと言えてしまう?
私が、必要な存在でないから、そうゆう対応をされるのだと思わざるをえなくて、誰も信じられなくて、つらいです。

つらいのを自分自身で乗り切ろうと、自分にエールを送るような曲を聞いたり、物を作ったり、食べたり、寝たり、色々して、一瞬乗り越えられたって思ったのに、途端にまたどん底に叩き落される事が起きてしまった、もう、ひとりぼっちで足掻いてもどうにもできなくて。


占いで「想像力が強いせいで、悪い方向に想像力を働かせ過ぎている」とでたとおり、私の考えすぎかもしりません。
しかし、頑張っても頑張っても今はいい方に考えられません。
平成最後の年のはじめてのブログなんですが、良くないことが立て続けに起こってしまって、正直楽しい事があまり報告出来ません(泣)

14日は誕生日だったのですが、その数日前にレイヤーのお友達に縁を切られました。
理由は約束を破棄された事に私が怒ってしまい、彼女の知らないとこで愚痴を言ってしまい、傷付けてしまった為です。
反論したいことが本当はありますが、言葉の暴力で傷付けたのは事実で、本当に申し訳ないと思っています。
彼女にはその後、私の至らぬ部分を沢山指摘して下さって、真摯に受け止めなくてはいけないと思う反面、その内容に辛い内容が多く、今までの仲良くしてもらっていたのに何故こんなことにとショックで、もう誰も信じられないと思って辛くなりました。
身から出た錆とはいえ、立ち直るには時間がかかりそうです。

つい昨日ですが、人事異動が発表され、信頼していた上司が異動になり、苦手な元部下が私の上に立つことになりました。大変な状態での仕事も、あの上司の下ならと頑張って来れたのに、もう無理して働く意味を感じられなくなりました。
苦手な元部下が上に立つということは、上に安心して相談が出来なくなるということになると思います。
これは考えすぎかもしれませんが、私に辞めろと言われているような気さえします。
職場の利用者さんは、時に手がかかるお客様でもありますが、私にとって実のおじいちゃんおばあちゃんにも感じられる存在です。辞めたら会えなくなってしまうのが本当に辛いです。しかし、無理して会社に残ったら、精神的にボロボロになってしまうような気がするのです。
辞めなくてはという思いが80%ですが、難しい判断に、まだ決定が下せないでいます。


というふうに、本当に辛い事が多くて、今は少し楽しい事があっても、直ぐにため息や涙が出てくる状態です。
どうにか、いい方向に行けば良いのですが。

昨日は急きょ決めた上、家を出るのが遅くなってしまったのであんまり回れませんでしたが、お遍路いに徳島へ行ってきました。

 

いつもお遍路行くときは一眼下げて、各お寺、一ヶ所に必ず一枚以上写真を撮るのですが、今回は最後に行ったところのみで撮りました(泣)

手洗い場って本当に情緒があります。多くのお遍路さんが使ってきたんだろうなって感慨深いです。

 

今回は9月ごろから暇を見つけて回ってます。

前回88ヶ所参ったのは数年前、逆回りの年で、慌てて回ったのを覚えてますが、今回はゆっくりでいいかなという思いで回ってます。

 

前回回り出したのは、偶然銭湯に行っててお話をした初老のおばさまから逆回りのことを聞かされたのと、

職場で看取りの方がいて、神頼みではありますが少しでも残りの時間を安楽に過ごせるようお願いして回りたいという想いでした。あと同僚に頑張ってもらいたいという想いもありました。

しかし、今回はどちらかというと自分のことをお願いして回っています。自分勝手な都合でしょうが。

 

職場で命を預かり見送っていくこともそうですが、最近、他人の命について考えてさせられ、のしかかってる事が多くて、「なぜ私一人、こんな想いにかられなければならないのだろう」「周りの同じ年代の女性たちは結婚や出産で、キラキラしているのに」と。

自分一人で何度も考えても、その答えが出なくて、一人で泣くばかりで解決できないので、それこそ神頼みで申し訳ないのですが、神様や仏様が少しでも教えてくれないか、許してくれないか、という想いで参り出したのです。

 

重くなってしまいましたが、どのみち、そう簡単に答えが見つけられることではないと思っています。88ヶ所回ったら解決するものではないと思うので。

しかし、お参りすることで、現地の方の優しさに触れたり、綺麗な景色や動植物に出会えたり、道に迷ったりで勉強になったり、そうしていくことで心の安定になるとは思うのです。それだけでもとても素晴らしいことだろうと思います。

 

 

話が二転三転しますが、お遍路に行く前にこの間会社の近所の花屋で見切り品で売られていた彼岸花みたいな花の写真も撮りました。多分彼岸花と同じ科のお花と思いますが、ちょっとピンクっぽい赤色で、形もちょっと違う印象です。

大体私はRAW現像で暗めの鮮やか目にするのが好みです。

最近RAW現像するのがマイブームです。雰囲気がガラッと変えられるのが楽しいです!

 

しかし、こうして一輪で頑張っている花を見るとやはり命とはなんだろうという想いに揺られるのです。

わたしの前から去って行く人たちに、私はどう向かっていけばいいだろう、いつまで覚えていられるだろう、私の命だっていつ消えるかわからないのに。

けっきょく、私はこうして自問自答していくのが宿命なのかなとは思います。私が自問自答することになんの意味があるか、わかりませんが。

いつかわかればいいですね。