仏の顔は三度までらしいが、指導教授の顔は何度まで?
今年度のM2の院生の修士論文の指導が、一応終わりました。
一応、というのは、論文の完成度で満足したという訳ではなく、提出締切があるからとにかく形を整えた、という程度です。あとは口頭試問があるので、それなりの指導をしなければなりません。
ここ数年思うことですが、本当に事細かに指導し、赤字で修正箇所を指示しないと、なかなか全体が直らないとうう印象を持っています。
たとえば、ある単語の文字が一文字間違っているとします。留学生の場合、きっとそう思いこんでいるので、同じ単語が出てくる度に同じ誤字があるわけです。で、最初の1,2箇所だけ指摘して、他の箇所も直すように言っても、次回まで全部が直っていることは稀です。
結局、全部に赤で×印をつけたりしないといけない。こちらだって人間。見落としもあるかもしれないけど、同じ誤字を何回も指摘することになります。
もちろん、内容的なことなら、院生と議論して、こちらの解釈を改めることもあるかもしれませんが、こういう細かい表現などの修正を何度も読んでは指摘するのは、本当に疲れます。