「論ぜよ」ということ | 大学という斜陽産業

「論ぜよ」ということ

「○○について論ぜよ」という問題について、毎年必ずいるのが、パワーポイントのスライドの配布資料にあるような箇条書きをそのまま書き写す答案。本当に印刷されたものをそのまま書き写されると、ちょっとどうかなあ、と思う。自分が口頭で説明したことが付け加えられていることはほとんど無い。


論ぜよ、というからには論じて欲しいんですけどね。仮に文章になっていても、説明はしていても論じているものは少ない。「○○の是非について論ぜよ」としたって、是非に言及している者は少ないしなあ。