在宅勤務の行く末(自虐的視点?) | 大学という斜陽産業

在宅勤務の行く末(自虐的視点?)

ここのところ、文系の特権(?)を活かして、大学にはほとんど行っていない。例年、卒業式も終わると、1週間ほどは特に校務がないので、ちょっとゆったりした時間を過ごすことができる。しかし、家にいると、世間は休みと思うようである。だから、この時期家にいるからといって、仕事も何もしないで遊びまくっている訳ではない、と敢えて書いておきたい。

この時期何をやっているかというと、まずは新年度の講義の準備。そして研究。書かなければならない論文を抱えているのに、遅々として進まないで焦っている。

このように大学に行かないと、教員なのに学生と全然接しなくていいの?と聞かれることがある。確かに直接顔をあわすかと聞かれれば、答はNOである。しかし最近は、ネットと携帯(これもネットか?)によって、以前よりも学生とコミュニケーションをとれているような気がしている。もちろん、この時期に連絡を取るのはゼミの学生だけなので、新年度に向けての課題をだしたり、合宿の連絡をしたり、等々。

やや景気も持ち直してきていると言われているが、やはり不景気の影響はまだ大部残っており、以前だったら下宿するようなかなりの遠方からでも、自宅から通ってくる。だから、彼らも大学に呼び出されるよりは良いみたいである(それに乗じているんだろう、と言われると反論しにくいが)。ますます大学に行かなくても用が足せるものが増えてきているような気がする。

そしていずれ、講義も大学に行かなくて良い時代が来るに違いない。そう、ネット講義だ。双方向のやりとりも可能な時代だから、生の講義と変わりはないはずである。そして自分のクビが危うくなる。ネットで講義ができるならば、こんな三流学者を雇っておく必要はないのだから。

となると、やはり大学に行かなければヤバイってことですかね。