超過勤務手当
ノルマの続きです。
ノルマとは最低限の担当コマ数であって、通常、それを超えた場合には、超過勤務手当(名称は大学によって様々ですが)が支払われる場合が多いです。大学によっては、これに上限を設けて、あまりにも多くのコマ数を持たせないようにしている場合もあります。普通に考えれば、講義の準備なども必要となるので、そんなに多く担当するのは物理的に無理なのですが、なかにはこの超過勤務手当もださず、できるだけ多く担当させようとする酷い大学もあるようですが。
しかし、この超過勤務手当も、まさに大学の戦略(というほど大げさではないか)が反映されていて、面白いです。この金額のメルクマールは、非常勤講師料でしょうか。外部の者と内部の者どちらに多く支払うか、ということで、大学の方針が見えてきます。
自分の勤務先の場合、概ね、非常勤講師料の半分です。このように非常勤講師料よりも超過勤務手当が低い場合、教員は非常勤を選好する可能性が高くなります。例えばノルマ6コマの場合、週に同じ7コマ担当するとしても、すべて自分の勤務先で講義するよりも、1コマは非常勤で担当する方が実入りがいいからです。実際の意思決定にあたっては、移動時間などを考慮に入れるべきであるという意見もあるかもしれませんが。 だからでしょうか、自分の勤務先の場合、非常勤に依存する割合が非常に高いです。
非常勤講師料よりも高い手当を払う場合、逆になります。特に文系の場合、講義以外の時間帯は、必ずしも大学にいなくても仕事ができるので、このような方法をとれば、必然的に教員の大学滞在時間が長くなります。もちろん、講義時間以外に大学にいないこと自体も問題だともいえる訳ですが、このような方法をとれば、教育上良いと考える訳です。
すでに「給料」を払っている人にさらに手厚く遇する必要もない、という主張もうなずけなくもないですが、同額とは言わなくてもせめてやや低い金額に設定した方が良いような気がするのですが(根拠を問われても困るけど)。
そういえば昔、清水建宇氏(ニュースステーションのコメンテーターとしても出演していた朝日新聞論説員で大学ランキングの編集長(今の肩書きは不明))のコラムで、大学教員の人件費について、「大学の財産は人、特に教員だから、人件費をケチる大学は、教育をケチっていることになる」なんて言う趣旨の、教員から見ても非常にうれしい主張をみたことがあります。
さて、あなたの大学はどっち?
ノルマとは最低限の担当コマ数であって、通常、それを超えた場合には、超過勤務手当(名称は大学によって様々ですが)が支払われる場合が多いです。大学によっては、これに上限を設けて、あまりにも多くのコマ数を持たせないようにしている場合もあります。普通に考えれば、講義の準備なども必要となるので、そんなに多く担当するのは物理的に無理なのですが、なかにはこの超過勤務手当もださず、できるだけ多く担当させようとする酷い大学もあるようですが。
しかし、この超過勤務手当も、まさに大学の戦略(というほど大げさではないか)が反映されていて、面白いです。この金額のメルクマールは、非常勤講師料でしょうか。外部の者と内部の者どちらに多く支払うか、ということで、大学の方針が見えてきます。
自分の勤務先の場合、概ね、非常勤講師料の半分です。このように非常勤講師料よりも超過勤務手当が低い場合、教員は非常勤を選好する可能性が高くなります。例えばノルマ6コマの場合、週に同じ7コマ担当するとしても、すべて自分の勤務先で講義するよりも、1コマは非常勤で担当する方が実入りがいいからです。実際の意思決定にあたっては、移動時間などを考慮に入れるべきであるという意見もあるかもしれませんが。 だからでしょうか、自分の勤務先の場合、非常勤に依存する割合が非常に高いです。
非常勤講師料よりも高い手当を払う場合、逆になります。特に文系の場合、講義以外の時間帯は、必ずしも大学にいなくても仕事ができるので、このような方法をとれば、必然的に教員の大学滞在時間が長くなります。もちろん、講義時間以外に大学にいないこと自体も問題だともいえる訳ですが、このような方法をとれば、教育上良いと考える訳です。
すでに「給料」を払っている人にさらに手厚く遇する必要もない、という主張もうなずけなくもないですが、同額とは言わなくてもせめてやや低い金額に設定した方が良いような気がするのですが(根拠を問われても困るけど)。
そういえば昔、清水建宇氏(ニュースステーションのコメンテーターとしても出演していた朝日新聞論説員で大学ランキングの編集長(今の肩書きは不明))のコラムで、大学教員の人件費について、「大学の財産は人、特に教員だから、人件費をケチる大学は、教育をケチっていることになる」なんて言う趣旨の、教員から見ても非常にうれしい主張をみたことがあります。
さて、あなたの大学はどっち?