爆演シリーズ、第2回はヘルマン・シェルヒェン(1891-1966)の演奏を紹介する。シェルヘンはドイツ出身の指揮者で、現代音楽の熱心な推進者として知られるとともに自ら作曲も手掛け、その一方ではベートーヴェンやマーラーなどで数々の爆演を繰り広げた。
実に不思議な指揮者である。あるときは非常にクールでドライで無表情であり、あるときはまるで別人のように、熱く煮えたぎる演奏を繰り広げる。次に何が起こるか予測できず、その演奏は大変にスリリングである。
実際に彼の演奏を聴いていただければ、説明の必要はあるまい。まずは、フランス国立管弦楽団を指揮したマーラーの交響曲第5番を聴いていただこう。1963年の実演の録音である。
お忙しい方は、第3楽章だけでもぜひ聴いてみていただきたい。曲をご存知の方は、非常に大胆かつ奇妙なカットがなされていることに驚かれるだろう。なんと、あの長大で複雑なスケルツォが、実にシンプルな3部形式にされているのである。形式だけはまるで古典の交響曲のスケルツォのようである。いや、あのマーラーがこんな単純明快な音楽になっちゃっていいのかしら、ってくらいスッキリしている。演奏時間も6分弱である。
あまりにカットが大幅なためか、何ヶ所かで団員が楽譜をドバッとめくる音がしている(3:35付近、4:55付近など)。
これほど大胆なカットを行った理由のひとつには、当時はマーラーの長大かつ複雑な交響曲がまだまだ世の理解を得られていなかったということもあるだろう。実際、シェルヒェンはロイヤル・フィルとこの曲のスタジオ録音を行っているが、そちらではこんなカットはしていないのである。
お時間の余裕のある方には、第1楽章から。冒頭は思いっ切りドライである。トランペット、それに続く弦楽器は、速めのインテンポで、徹底的に無表情に抑えている。
それが、4:50を越えたあたりで、突如として「キレる」。一瞬にしてリミッターが弾け飛び、音楽は沸騰し、オケが狂ったように走りはじめる様子が目に見えるようだ。
08:35からも、妙に冷めた軽快な足取りで開始されるが、やはりすぐに冷静さを失い、あっという間に燃え上がるのである。
第4楽章もすごい。テンポは極端に遅く、弦楽器がねっとりと歌い、実に耽美的である。先の3つの楽章を指揮していたのと同一人物とは思えないような、異様な静謐に支配されている。
第5楽章にも奇妙なカットが施されている。5:15のあたりなど、オケも混乱してるらしく、崩壊寸前である。指揮者は叫ぶ。極めつけはコーダのわずか数小節のカット。不自然すぎて意味がわからない。
そして、終演後の聴衆の反応がすごい。拍手に交じって、盛大なブーイングが巻き起こっている。…ブーイングってほんとに起こるのね。。
実はこの「交響曲第5番」については、指揮者のオットー・クレンペラー(彼はマーラーに直接教えを受けたこともある)が「第3楽章、第5楽章は長すぎる。第4楽章はまるでサロン・ミュージックのようだ」というコメントを残し、指揮を拒否している。シェルヘンの第3、5楽章における大胆なカット、第4楽章で見せる異常な没入は、その発言を念頭に置いたものかもしれない(シェルヘンとクレンペラーは親交もあった)。
なお、シェルヘンの「第5番」には先に少し述べたスタジオ録音もあるが、フィラデルフィア管弦楽団を指揮した実演の録音もある。基本的な解釈や第3楽章、第5楽章のカットは同じであるが(第4楽章はさらに遅いテンポで、15分を超える)、さすが天下のフィラデルフィア管だけあって、フランス放送響の演奏のような破綻はほぼ見られず、より指揮者の意図が徹底されているように思う(安定感がある分、狂気の色は薄いが)。こちらも一聴をおすすめしたい。
この「第5番」で辟易したり憤激したりされた方は、もうこの先は読んでいただかなくてもよろしかろうと思うが、実はこの「第5番」を超える爆演が存在する。同じくマーラーで「第6番」である。
ライプツィヒ放送交響楽団を指揮した、1960年の実演の録音である。まず、冒頭からして異常である。速い。速すぎる。オケも全然弾けてない。崩壊寸前といってもいい。なのに、そんなことは全く頓着せず、ものすごい勢いで進めている。
疾走、ではなく、狂奔と言った方がいいかもしれない。例えばラファエル・クーべリックもメトロノーム的には同じくらい速いテンポをとっているが、彼の演奏は、あくまで颯爽と、整然と行進しているような印象で、全く危なげはない。しかしこのシェルヒェンの演奏はまるで逆で、かの「倶利伽羅峠の戦い」よろしく尾に火をつけられた暴れ牛の大群が突っ込んでくるような、そんな兇暴で破滅的な気配がぷんぷんと漂う。
第3楽章(スケルツォが第3楽章になっている。26:40~)も狂気じみた速さである。ヤバい。おかしい。オケはすでに崩壊している。それでも指揮者は猛然とオケを駆り立てる。
このスケルツォと、続く第4楽章(33:05~)には、例のごとく大幅なカットがなされている。
しかし、こんな演奏が実現するのはすごいことではないだろうか。アンサンブルが随所で崩壊寸前、むしろ完全に崩壊してるところもあるのに、一切の妥協なく、鬼のようなテンポでオケを駆り立てる。オケの方も、悲鳴を上げながらも必死にそれについていく。鬼気迫る演奏である。
普通ならオケもこんなムチャクチャな指揮についていこうとは思わないだろう。それに、演奏がここまで破綻寸前になったら、並みの指揮者なら途中で挫けるのではないだろうか。「あ…やっぱ無理だった」みたいに。それを曲がりなりにも最後まで通してしまうというのは、指揮者もオケも、一緒になって何かに取り憑かれたように音楽に没入していたのだろう。シェルヘンの高い音楽的能力と統率力を認識させられるとともに、音楽が隠し持つ狂的な力を強烈に体感させられる演奏である。
(前篇終わり。残念ながらまだまだ後篇が続きます。乞うご期待。)