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Deep Record

クラシック音楽(特にオーケストラ)を中心に、興味の赴くところをひたすらマニアックに紹介していきます。

今回は、爆演というのとは違うけれども、疑いなく20世紀の最も偉大かつ個性的な指揮者の一人であるオットー・クレンペラー(1885~1973)の演奏を紹介したい。
クレンペラーはユダヤ系のドイツ人で、22歳のときにグスタフ・マーラーの推挙を受けてプラハのドイツ歌劇場の指揮者としてキャリアをスタート、その後はヨーロッパ各地やアメリカでも活躍し、1959年からはフィルハーモニア管弦楽団(後にニュー・フィルハーモニア管弦楽団に改称)の音楽監督を務め、亡くなるまでに多くの録音を残した。

クレンペラーほど数多くの奇妙なエピソードを持つ指揮者はいないだろう。クレンペラーは身長2m近い大男で、性格は傍若無人にして傲岸不遜、加えて自他ともに認める女好きでもあった。例えば、以下のごとき逸話が語り伝えられている。

・1939年に脳腫瘍に倒れたクレンペラーは、言語障害や身体の麻痺といった後遺症との戦いを余儀なくされた。この病をきっかけに元来患っていた躁鬱病も悪化、奇行が目立つようになった。またその他にも、後頭部からステージ下に転落して頭部を強打し背骨を骨折したり、空港で転んで足と腰骨を複雑骨折するなど、指揮者生命にかかわるような事故を多く経験しているが、そのたびに復活を遂げている。

・1958年、クレンペラーは寝室で寝タバコのまま寝込んでしまい、火をベッドに延焼させてしまう。それを消そうとし水と間違えて樟脳(カンフル)をばらまいてしまい大やけどを負い、一時は生死の境をさまよう事態となった。しかし、翌年にフィルハーモニア管弦楽団の音楽監督として契約をするや、驚異の回復を見せ、あっという間に指揮台に復帰した。

・アメリカで活動していた時期(1940年前後)に、ソプラノ歌手の自宅に無理矢理押し入ろうとして、もめごとになった。その後、友人たちの尽力でサナトリウムに入ることになったが、すぐさまそこを出てしまった。この一件は「ニューヨーク・タイムズ」の一面記事となり(タイトルは「クレンペラー、サナトリウムから失踪」であり、「性的に興奮した時のみ危険」とも書かれた)、アメリカにおけるクレンペラーの評判は完全に失墜した。

・ブダペストで、クレンペラーはあるリハーサルのとき激怒してしまい「タクシーを呼べ!」と叫んだ。劇場支配人はクレンペラーの激しやすい性格を知っていたので、タクシー運転手に対し、彼を乗せて劇場の周囲をグルッと一回りしたあとに戻ってくるよう指示した。タクシーは本当に戻ってきて、クレンペラーは指揮台に戻り中断した箇所からリハーサルを再開した。

・作曲家パウル・ヒンデミットが「音楽の哲学的な側面」と題して講演会を開いたときのこと。質疑応答でクレンペラーが手を挙げた。何を質問するかと思いきや、「トイレはどこだ?」

・ある朝、クレンペラーの娘ロッテがホテルの父の部屋をノックした。部屋は散らかり服は散乱し、ベッドには若い女性がいた。クレンペラーはその女性に歩み寄り言った。「紹介しよう、私の娘ロッテだ。ところで君の名前をもう一度教えてくれないか?」

・ウィーン国立歌劇場でヘルベルト・フォン・カラヤンがモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を指揮したとき、観客席にいたクレンペラーがいきなり「悪くないぞ、カラヤン!みんなが言うほど悪くない!」と叫び、会場は大爆笑。演奏の緊張感をぶち壊されたカラヤンは終生クレンペラーのことを許さなかったという。


本題に入ろう。彼は上記のごとく並外れた変人であっただけでなく、演奏も極めて個性的であった。クレンペラーは長いキャリアの中で演奏スタイルを大きく変貌させているが、ここでは晩年のスタイルの演奏を取り上げたい。

まず、クレンペラー最大の問題演奏である、マーラー「交響曲第7番」。演奏時間100分を超えるという凄まじいテンポ設定である。通常の演奏時間は80分前後で、最短ではヘルマン・シェルヘン/トロント響の69分というものもあるくらいだから、このテンポ設定がいかに異常なものであるかおわかりいただけるだろう。
先にも述べたように、クレンペラーはマーラーと親交があったのだが、それだけでなく、この第7番に関してはなんとマーラー自身による初演にも立ち会っているのである。それにもかかわらず実に異様な演奏である。まずは第1楽章からお聴きいただきたい。



かなり遅めのテンポで開始される。表情は徹底的に抑制され、各パートは極めて明瞭に聴こえる。後述する通り、このような手法はこの曲の全ての場面において必ずしも適したものとは思えないのだが、この冒頭場面では大きな効果を上げている。巨大なスケール感と、曰く言い難い不気味な雰囲気で、これから何が起こるのだろうかと、聴く者の耳を引き付けずにはおかない。
しかし、続く02:00過ぎからの部分には「おやっ!?」と思う。普通ならテンポが上がって音楽が徐々に熱を帯びていくはずの場面なのに、クレンペラーはそのままの遅いテンポにドライな音響のままで突入するのだ。その後頻出する場面の転換点においても、クレンペラーはテンポ変化の細かい指示をほぼ無視しており、この信じられないような遅いテンポと乾ききったサウンドのまま、全曲を通してしまう。この手法は効果的な場面もあれば、全くそうとは思えない場面も多い。
効果を上げているとは思えない方の例として、第5楽章を聴いていただこう。



冒頭のティンパニ、なんと間の抜けた、緊張感のない開始だろう。遅いテンポを支えるものが何もない。続く金管の斉奏も、ちょっとあんまりなグダグダ感である。この楽章もやはりこのテンポのまま延々と続いていくのだが、特にひどいのは09:50からだ。ここから12:30あたりまでの箇所は全曲の中でも最大の見せ場のひとつであるはずだが、これがまた、全く盛り上がらない。物理的な音量だけは上がっていく。にもかかわらず、テンションは少しも上がっていかないのである。そのかわり、音響は徹底的に明瞭であり、激しく駆け回るヴァイオリンの十六分音符のひとつひとつまではっきりと聴き取れるほどだ。なんとも異様である。
21:20からも同様、本来ならここは、100人もの大編成のオケが総力を結集して、最後のクライマックスに突入せんとする部分のはずである。しかし、この演奏の冷め切ったことはどうだろう。なぜこのクライマックスで、ここまで高揚感のかけらもない、寒々しく乾ききった音響が実現できるのだろうか。普通なら金管の大音響に押し潰されるはずの木管群の細かい動きまで妙にはっきり聴こえてくるのが、あまりにもシュールである。このクライマックスが、ひいてはこの「第7番」という作品自体が、極めて苦味の強い晦渋な作品であり、一見派手に思えるけれども全く一筋縄ではいかない音楽であると、あらためて思い知らされる内容にもなっている。
アマチュアとはいえオーケストラをやってきた身としては、このような演奏が成立するのは驚異であると思う。例えば先に挙げた第5楽章の09:50からような場面には、一丸となって駆け回り燃え上がりながら次の場面になだれ込んでいきたいと思うのが、プレイヤーの本能ではないだろうか。しかし、クレンペラーはそういった生理的な欲求は悉く徹底的に排し、あくまで冷静に、無表情に音楽を進めていく。これほどまでに音楽を一切盛り上げないためには、どれほどに冷徹かつ強靭な意志が必要だったことだろうか。しかも先に紹介したような常識外れのエピソードを数多持つ激情的なはずの男が、である。

なお、EMIから発売されているこの第7番のCD(輸入盤)には、なんとクレンペラーの自作「交響曲第2番」及び「弦楽四重奏曲第7番」の演奏がカップリングされている。詳細な批評については、じゅうぶんな知見を持ち合わせていないため差し控えるが、決して難解な音楽とは思われないので(特に「交響曲第2番」の第2楽章は後期ロマン派の抒情性をまだじゅうぶんに残している)、ご興味があれば一聴されたい。
クレンペラーの作品は、(前述の2作も含め)今日において顧みられる機会はほとんどないが、それでもごく稀に「メリーワルツ」などの曲が演奏されることがある。クレンペラーはとあるインタヴューにおいて、「あなたは自分をたまたま作曲もする指揮者と考えているか、それとも不当に無視されてきた作曲家であると考えているか?」と訊かれ、「もちろん指揮者としても作曲家としても記憶されれば嬉しいが、思い上がったりせずに、ただよい指揮者としてだけ記憶してほしいと思っている。人々が私の作品を感銘の薄いものだと考えるなら、記憶されない方がよい」と答えている。長く記憶されるに値するものか、忘却されるべきものであるのか、ぜひ読者諸氏にも一聴の上ご判断いただければと思う。
参考までに、「交響曲第2番」の音源を紹介しておく。クレンペラー本人による演奏ではないが、(残念なことに)自作自演よりも聴きやすく仕上がっているように思うので、敢えてこちらを挙げる。Alun Francis指揮、Staatsphilharmonie Rheinland-Pfalzによる演奏である。




マーラーでもうひとつ、「復活」を挙げておく。ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮した1971年の演奏である。クレンペラーは亡くなる前年の1972年に引退しているから、本当に最晩年のものである。
クレンペラーは「復活」によほど思い入れがあったのか、演奏会でもかなりの回数取り上げているようで、録音も、筆者が確認できただけで実に9種類も残っている。そもそもクレンペラーとマーラーが初めて出会ったのも「復活」の演奏会であったとされている。1905年、「復活」の初演指揮者でもあったオスカー・フリートが「復活」を演奏した際、クレンペラーは舞台裏の別働隊の指揮を任されていた。そのとき、クレンペラーは見学に来たマーラー本人と言葉を交わす機会があったという。

さて、ここで取り上げるニュー・フィルハーモニア管との「復活」は、約100分をかける長大な演奏である。実は、クレンペラーは1950年にもシドニー交響楽団を指揮して「復活」を演奏しておりCD化もされているのだが、そのときの演奏時間は、実に68分となっている。そして100分と68分というのは、それぞれ「復活」録音史上の最長記録と最短記録になっているのだ。一人の人物が両極端の記録を打ち立てるなど、前代未聞ではないか。しかも、その差たるや30分以上!ハイドンやモーツァルトの交響曲の1曲分にも相当する長さである。
前述の通りクレンペラーには多数の「復活」の録音があるが、そのほとんどは演奏時間70分台で、最後から2番目の1965年の録音(バイエルン放送響との実演)でも79分となっており、この1971年の録音はずば抜けて演奏時間が長い。
演奏の基本路線は先の「第7番」と同じであり、第1楽章の冒頭から実に克明かつスケール雄大である。実演であるせいか、あるいは「第7番」のようなシニカルな要素が薄い曲であるためか、先の「第7番」のように不自然に白け切ったシュールな感じはない。
特に42分をかける第5楽章は圧巻であり、「復活」好きならぜひご一聴いただくべき内容であると思う。



なお、前述したシドニー響との演奏や、1951年に行われたアムステルダム・コンセルトヘボウ管との演奏は、いずれも演奏時間は70分前後とかなり速めのテンポ設定を取るが、感傷や興奮を極力排した、ドライなサウンドによる冷徹なアプローチという点では共通したものが見られる。こちらも参考までに紹介しておく(下のリンクはアムステルダム・コンセルトヘボウ管との実演の録音)。




続いて「大地の歌」や「第9番」も取り上げたいところではあるが、他の作曲家にも言及しなければならないので、マーラーに関してはここまでにしたいと思う。
なお、クレンペラーはマーラーの交響曲を全曲演奏していたわけではなく、特に第1番と第5番は明確に演奏を拒否している。曰く「第1番は第4楽章が仰々しくて辟易する」「第5番は第3楽章、第5楽章が長すぎ、第4楽章はサロン・ミュージックのようだ」。録音が残されているのは、筆者が確認できた限りでは第2番、第4番、第7番、「大地の歌」、第9番のみである。


(非常に長々と書いてしまったが、残念なことにまだ後篇が続く。乞うご期待。)