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Deep Record

クラシック音楽(特にオーケストラ)を中心に、興味の赴くところをひたすらマニアックに紹介していきます。

さて、時代を遡って、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」を取り上げよう。ニュー・フィルハーモニア管弦楽団とのスタジオ録音と、バイエルン放送交響楽団との実演の2種類をご紹介したい。
まずはフィルハーモニア管との録音(1960年)。



第1楽章冒頭の序奏から、驚くほどスケールの大きな演奏である。どの演奏においてもそうだが、クレンペラーは各パートの音を決して溶け合わせようとはせず、和声を構成するそれぞれの音の間に明瞭な距離を置く。その結果この序奏では、それほど多くのパートがあるわけでもないのに音楽は驚くほどの立体感を持ち、巨大な建築物、それも木目の温もりを感じさせるようなものではなく、もっと無機質で冷ややかな、石造の大伽藍が目の前に立ち現れるがごとき印象を受ける。
そして、第4楽章のコーダ(38:25~)が素晴らしい。コーダ直前、クラリネットの長いソロを終えて、音楽は静かに消えゆく。沈黙…そして、静寂の中から非常にゆっくりとしたテンポでコーダが開始される。低音の弱音から始まり、同じ旋律が繰り返されるうちに、しだいに多くの声部が重なり合い、極めて息の長いクレッシェンドの果てに、ついにクライマックスに達し、ホルンが高らかに吹き鳴らされる。このプロセスはまるで、ブルックナーの交響曲のフィナーレのようであり、階段を一歩一歩上り詰めていくような音楽には、他の演奏では全く体感できないような衝撃がある。しかも、演奏自体は徹底的に生理的興奮や高揚感を排したものであるにもかかわらずだ。まさか「スコットランド」のコーダがこれほど感動的に響くとは。

次にバイエルン放送響との実演(1969年5月23日)。基本的な解釈はほぼ同じである。ただし、先に取り上げた終楽章のコーダが全く違う。なんとクレンペラーはここでコーダを自作のもので演奏しており、この第4楽章の第2主題を繰り返しながら短調のまま終わるようにしているのである。先のスタジオ録音ではあれほど感動的なコーダを演奏していたにもかかわらず、クレンペラーはこのオリジナルのコーダが気に入っていなかったらしい。
原曲と全く方向性を異にした悲劇的で厳粛なコーダは、これはこれで素晴らしいのである。ぜひご一聴ありたい。



同様に楽譜に大きく手を入れた例としては、ブルックナーの交響曲第8番のスタジオ録音(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、1970年)がある。ここでクレンペラーは、第4楽章再現部の第2主題部を丸ごとカットするという信じがたい暴挙にも及んでいる。



このブルックナーの交響曲では、先の「スコットランド」の例とは逆に、ケルン放送交響楽団との実演(1957年6月7日)ではカットは行っていない。これらの解釈のブレについては、本人の意図は謎であるが、興味深いことであるとは思う。




古典~ロマン派では、他にもチャイコフスキーの「悲愴」やブラームスの交響曲第4番、ベートーヴェンの「交響曲第9番」などを特に推薦しておきたい。交響曲の場合、クレンペラーはスケルツォ楽章で遅いテンポ、逆に緩徐楽章ではかなり速めのテンポを取る場合が多い。これも、感覚的な美しさや生理的な興奮を徹底的に排する彼独特のアプローチの一環であろう。


さて、ここまで全てロマン派の交響曲の演奏を取り上げ、いささか批判的な論調で書いた部分もあったが、最後に、バッハの「マタイ受難曲」を紹介したい。これはクレンペラーの演奏の中でも最高傑作であると同時に、バッハの演奏史上にも燦然と輝く名演である。
総演奏時間にして実に223分に及ぶ超大作(演奏者によっては160分台となることも珍しくないのだが)のため、第1曲のみ紹介しよう。



冒頭から、あまりにも巨大にして冷厳な雰囲気に、ただただ圧倒される。方法論はこれまで挙げてきた演奏と同じだ。遅いテンポで、感情を排し、冷酷なまでの明晰さで音楽の裸の姿を白日のもとに晒す。しかし、このバッハの宗教曲において、その効果はあまりにも絶大としか言いようがない。クレンペラーの超辛口のアプローチの下では多くの曲がその脆弱をさらけ出すのに、「マタイ受難曲」は決してそうはならず、それどころか、さらにより一層、壮大、厳粛にして深遠な姿を見せるのである。
各声部の音は全く溶け合うことなく、厳然と距離を保つことによって、音楽は時間性のみならず巨大な空間性をも獲得している。音楽は信じられないほど遅いテンポで進められ、微動だに揺らぐことはない。その様子は、さながら眼前に巨大な石造りの大聖堂が立ち上がってゆくがごとく、圧倒的で、その美しさは比類がない。クレンペラー自身はいわゆる感覚的な「美しさ」を徹底的に排除しようとしているというのに、その演奏から受ける「美」の衝撃は、筆舌に尽くしがたいものがある。


最晩年、クレンペラーは難聴に苦しみ、身体も不自由であり、もはや一般に「指揮」といわれる動作をできる状態にはなかった。1968年にウィーン・フィルを指揮したとき、彼はすでに83歳になっていたが、団員によれば「彼は自分の身体の動きを懸命にコントロールしようとし、それで精力をすり減らして、音楽そのものに入っていくことができなかった」という。彼はしばしば、飛行機の爆音をコントラバスの重低音と聴き間違えたりした。ある練習では、トランペットの音量が大きすぎるとクレンペラーは注意を出した。楽団員が遠慮がちに「今日、トランペット奏者は出ていません」と答えると、クレンペラーは「なら彼が出てきたときにそう言ってくれたまえ!」と切り返した。
また、しばしば練習の間に眠り込んでいることもあった。クレンペラーが居眠りをしている横でオケが恙なく演奏し終え、コンサートマスターが彼を起こすと、彼は「どうだ、うまくいったか?」などと言ったという。演奏会においては団員たちの目線はコンサートマスターの身振りに集中され、どのオケにとっても演奏会をなんとか無事に終わらせることが主要な目的になっていた。

なんともひどい逸話だが、しかし、だからこそ、先に挙げたクレンペラーの数々の偉大な演奏は、余計に驚異なのだ。あの想像を絶するような、冷厳、巨大かつ深遠なバッハをはじめとした名演たちが、体は不自由で耳もまともに聞こえず練習中に居眠りをしているような指揮者のもとで、どうやって生まれてきたというのだろうか?だとすれば…だとすれば、いったい指揮者とは、オーケストラとは、演奏とはなんなのだ?このクレンペラーの逸話は、そんな根源的な問いを我々に投げかけずにはおかない。

ウィーン・フィルのチェロ奏者であったルーペルト・シェトレはその著書「指揮台の神々」の中で、クレンペラーについて特に一項を設けており、その締め括りで次のように述べている。

「高齢のクレンペラーのような指揮者に対しては、オーケストラの楽員はかつてオーラを発した偉大な人物への尊敬の念から、全力を傾けて演奏する。それはかつてのオーラの抜け殻かもしれないのだが。しかしひとつの問いは残る。偉大な指揮者が目の前にいるという圧倒的な存在感だけで、なぜオーケストラがかくもまったく別のひびきを出せるのかという疑問が。これは並みの指揮者が逆立ちしても追いつけぬわざだ。オーラの放射が「指揮」とどう関係しているのか。そこに「指揮」の意味の謎を解く鍵があるように思われてならない。クレンペラーの最盛期には、並はずれた人格の持ち主に内在する力が、身体上のひどい不自由を充分埋め合わせてあまりあるということも明らかになった。彼はその人格の精神的な威厳のみが、楽員たちに最高の演奏をさせることができるとわかっていた。」

筆者がこれに付け加えるべきことは何もない。あとはただ読者諸氏にも、虚心坦懐に、クレンペラーの残した数々の音源に耳を傾けていただければと思う。