十年ほど前、
ふと知り合った人が眼が不自由だった。
訳あって週に一回、その方の家に行って、
掃除とかゴミ出しとか色々やってたけど、
ある春の日、『花見に行きたい!』って言うから
『おぉ!いいね。』と電車で2駅ぐらいの公園に行った。
眼は見えなくても、かすかに光を感じるし、
嗅覚は調香師として相当なぐらい鋭いし、
確かにとっても不便だけども、
『え~っとね、今、正面にこんな樹が有って、え~っと、こんな色で・・・』
って伝えるのが面白くって、
で、『さわる~』っていって、触れて、嗅いで、顔に花びらを感じて・・・
そして、感じたことを話してくれて、
それの色々な表現を聞くのが面白くって、
遠~くまで見える景色を話して聞かせて・・・
なんだか私もすっごく新鮮で、あんなに楽しかった花見は他に無かった。
私たちは普段、視えているから、
色も形も、鮮やかさも、色彩のハーモニーにも、
とっても鈍感になっている。
視えているのに、見えてないものって、
沢山あるんだと思う。
生活上は、不自由だし、色々と辛いこともある。
それは色々聞いていて、怒りがこみ上げたり、
返す言葉も無いことだってある。
だから、視えないよりも、視えた方が良い。
でもね、視覚一つとったって、視えているのに見得てない。
心の眼で視ることを忘れている人だって沢山いる・・・
一輪の花に、この世の果てしない美を感じたり、
一筋の涙、その奥に、見果てぬ愛が込められていることだってある。
自らの心も体も蝕む怒りや憎しみが、
その心情を、その訳を、
ずっと、ず~っと、聴きとっていった果てに、
いつの間にか美しい蓮の花へと変容してゆくことだってある。
花も、海も、山も、空も、果てしなく美しいけれど、
本当は、そう感じられる心が美しいのだし、
人間ほどに愛しいものって、そうはいないんだよ。
::::::::::::::::
sphere-project